暁闇に星ふたつ:55
着たくない服を出された時の最終手段。あっソキはお茶を零しちゃったですぅ、と繰り返すこと三回。折れたのはロゼアが先だった。乾かされても乾かされてもくじけず、ソキがお茶を持った手をぱっと離して服をびしょぬれにしたからである。
ロゼアはたいそう困った顔をして、悲しそうにもしてソキを怒ったが、こういう根競べで勝つのは長期化した時弱いほうだ。
給仕されるお茶は、ソキの喉を痛めない生ぬるい温度に冷めているとはいえ、火傷しないとも限らないし、放っておけば風邪を引く。乾燥させるロゼアの魔力にも限りがあるし、繰り返せばその都度、集中力は落ちていく。
諦めた顔のロゼアにいつものワンピースを着せてもらいながら、ソキはふんすふんすと鼻を鳴らしてふんぞりかえった。
「ロゼアちゃんたら、いけないことです。ソキにちーさいお服を着せようとしたです。いじわるさんです」
「……ソキ。アスル投げるのやめような。どうして俺の言うこと聞けないの」
「あ。ロゼア負けたの? おつかれさま」
困ったね、と部屋の入り口からひょいと顔を覗かせたのはメーシャだった。課題の提出を終え、ストルとの話も終わったらしい。
四階のソキの部屋へ、お邪魔するね、と声をかけてから踏み込んで。メーシャは弱りきった様子で落ち込むロゼアに心配そうにしながらも、物珍しげにくすくす肩を震わせた。
「ソキがこんなに頑固なのも珍し……くはないけど、ロゼアが言いくるめられないのは珍しいね。どうしたの? 今度こそ反抗期されてる?」
「はんこーきじゃないもん」
「反抗期じゃないの? ……うーん。大丈夫だよ、ソキ。ロゼアはソキを置いてどこか行ったりしないよ」
てきぱき服を着せられ終わり、ソキはロゼアに髪を梳かしてもらいながら、あたりまえのことですぅ、とふんがいしながら頷いた。
授業だってソキと一緒の課題提出式に切り替えてもらったので、落ちつくまで、ロゼアがそれを理由に傍からいなくなることはない。
「それにね、ソキ。もし誘拐されかけても、ロゼアなら大丈夫だよ。ロゼアが強いの、ソキだってよく知ってるよね? ソキが誘拐されかけちゃったら、ロゼアを呼ぶのが一番だけど、ロゼアがそうなってもソキは呼ばないよね」
つまり、ソキはひとりだと危ないけれど、ロゼアはひとりでもちゃんと大丈夫ということである。ソキが助けなくても良いということである。
「……ロゼアちゃん。ほんとーに誘拐されない?」
「されないよ、ソキ。俺は誰に連れて行かれたりもしないよ」
再三繰り返されたやり取りである。ソキはロゼアをじっと見つめ、アスルを見て、メーシャを見て、唇を尖らせた。でも、でもぉ、とごねる呟きが零れ落ちるのを、止めるように。ロゼア、と息を切らしたナリアンが、階段を駆け上がってくる。
そのままの勢いでソキの部屋へ飛び込み、ナリアンは子犬のように輝く瞳で、俺はやったよっ、と言った。
なに、とロゼアが問うより早く。ナリアンはロゼアに、一枚のカードを差し出した。武器携帯、ならびに使用許可証。え、と言いながらも反射的に受け取るロゼアに、ナリアンはロリエス先生がね、と笑う。
「今度、俺とメーシャくんを遠足に連れて行ってくれるんだけど、その間はソキちゃんとロゼアだけになるから。ソキちゃんが張り切っちゃうと困りますねって言ったら、ロリエス先生が私に任せろって、言って、それで……! 俺の先生かっこいい!」
ナリアンを連れて各国の王の下を巡り、あれよあれよという間に許可証に判をつかせて行ったのだという。
ロゼアとメーシャは無言で視線を交わしあい、頷きあった。これ絶対次からナリアンが行かされる流れだよな、手本は見せただろうって微笑まれるいつものだね、と理解しあうのに、ソキがちたちたしながら声をあげる。
「んもぉー! ソキにも分かるお話をしてくれなきゃいやんいやんだめだめぇ!」
「ソキ、ソキ。ごめんな」
「余裕がないな、ソキ」
くす、と戸口で微笑ましそうに囁かれて。ソキはふくれっつらで視線を向けた。来訪者の多い日である。ロリエス先生ですぅ、とぐする声で呟けば、教員は珍しそうに室内に視線を向けながら、困り眉のロゼアに微笑した。
「すまないな、ロゼア。こちらの対応が決まりきらないばかりに、ソキに苦労をかけている。……一生懸命で、他に気を回す余裕がないんだろう。許しておやり」
「はい、分かっています。許可証をありがとうございました、ロリエス先生」
「うん。……余計な気を回したかな」
いいえ、と穏やかに会話をするロゼアに髪を編んでもらいながら、ソキは静かにロリエスを見つめていた。扉に背を預けて室内に踏み込もうとしない姿を。
うん、と首を傾げるロリエスを上から下まで確認して、ソキは安心してアスルをきゅむっと抱きなおした。
「ロリエス先生は、こわいこわいがちょっともないです!」
「ああ。それはよかった」
「え? 俺は? ソキ、ソキ、俺はー?」
ひょい、とさらに室内を覗き込んだのはウィッシュである。あっ、先生ですっ、と嬉しそうに笑うソキに、ウィッシュはそうだよー、と言って視線で答えを促した。ソキはむむっとくちびるに力をこめてウィッシュを注視し、こく、と素直に頷いた。
「ウィッシュ先生も大丈夫です。こわいこわいがちょっともないです」
「わーい。……とすると、やっぱりエノーラの仮説が正しいんじゃ?」
「そうだな。何者かの魔力付与だろう。……楽しい気分ではないな、犯人が同胞というのは、どうも」
ふたつ三つ編みの先を、鈴つきのリボンで結ばれる。鏡を持って確認しながら、ソキはきょとりと目を瞬かせた。
「エノーラさん? エノーラさんのこわいこわい、取れたぁ?」
「……ロリエス。魔力付与って脱着式だっけ……?」
「持ち返って検証するしかないな。錬金術師には負担もかけるが、仕方がない」
ソキにはなにか通じるものがあるのだろうが、三人にはいまひとつ要点のつかめない会話である。髪油や櫛を箱にしまいながら状況の説明を乞うロゼアに、ロリエスはうん、と頷いて腕組みをした。
「現在、報告できる事柄は三つ。ひとつ、ソキの言っている『こわいこわい』に対しての仮説。これは今言ったが、恐らくは何者かによる魔力付与だが、目的その他は不明。魔力付与という特質から推測できる犯人は、錬金術師の可能性が高い。ちなみに犯人の最有力候補はエノーラとキムルで、当然のことながら二人とも否定している」
「錬金術師だけが、なにものかに対する魔力の付与を可能とする、という認識で間違いないでしょうか」
「いい質問だな、ロゼア」
場所を講義室に移動してやりたいくらいだと心から褒めて告げ、ロリエスは変わらず室内には足を踏み入れずに口を開く。境界線の外で、その境に立ちながら。いとし子たちを守ろうとしているようにも見えた。
「原則的にはその筈だ。それを可能とする者、適性を持つ者が錬金術師と呼ばれる」
「例外もある、ということですね」
「そうだよ、メーシャ。その通りだ」
いつの間にか、ナリアンは帳面を取り出して教員の言葉を書き留めていた。ロゼアとメーシャが考え込む中、ソキは三つ編みを摘み、ぴこぴこ振って鈴を鳴らしながら首を傾げる。
「でも、ソキ、ちょっとならできるですよ。アスルもねぇ、とっても頑張ったです」
「そうだな」
ロリエスは微笑んで頷いた。あ、と納得の響きで新入生は声をあげる。そうか、例外、とメーシャが呟いた。
「ソキなら……リトリアさんも。予知魔術師であるなら可能、ということですか?」
「今の所は、そうだ」
「……他にも例外とされる術者が?」
ロリエスは、ナリアンからの質問に中々頷こうとはしなかった。肯定にも、否定にも、迷っているようだった。代わりに、うん考え中ー、とのほほんと声をあげたのはウィッシュだ。
「でも詳しいことが分からないからさー、今聞きに行ってもらってんの。リトリアに」
「……リトリアさんに?」
「うん。色仕掛けでもなんでもしていいから聞き出して来いっていうご命令でねー。俺ねー頑張って仕込んじゃったー」
えへー、褒めて褒めてとほわふわ笑う表情や仕草は、血の繋がりがなくとも、まさしくソキの兄である。隣で、無言で額に手を押し当てたロリエスは、新入生たちの問いかける視線には答えず、胃の痛みを絞るような声で言った。
「あの計画はなんで決行されたんだ……? あれは夜中の三時まで会議して決まらなくて、もういいお酒飲もうっ、て泣き出したラティがワインを三本空けたところで単語を適当に書いた紙を箱の中からいくつか引いて連想して、あみだくじに託して決めた結果だぞ……?」
「奇跡的になんかこう、あっもうそれでいいんじゃ行けるんじゃ……? って思っちゃったんだよねあの時は」
「王宮魔術師の皆様はなにしてらっしゃるんですか?」
ちりちり鈴を鳴らし続けるソキの手から三つ編みを引き抜き、膝に抱き上げてやめさせながら、ロゼアがやや白んだ目で教員たちを問いただす。哲学的な問いを向けられた顔で、ロリエスは静かに頷いた。
「はじまりは会議だったんだが、終わったら酒宴だった」
「あの規模で集まれることってないもんね。大勢っていいよね、騒がしくて楽しくて」
「んもおおおー! ソキがけんめー! にぃー! ろぜあちゃをこわいこわいから守ってるですのにいいい!」
皆もっとまじめにしてくれないとだめなんですよおおおっ、とぷんぷん怒り出すソキを、弱々しく抱き寄せて。ロゼアは深く息を吐き、うんそうだな、と言った。
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