暁闇に星ふたつ:50



「こわいこわいです」

 ふふん、といっそ自慢げな顔でソキが頷いた。元に戻っちゃったねー、と面白がる声でウィッシュは笑った。でもさすがにそっからは分からないなー、と言って、ウィッシュはロゼアに目を移す。

 ロゼアが、罪悪感でしにそうな顔をしていた。心から慰める気持ちで、いや頑張っても分からないよこれ、と言う。

「俺があれって思えたの、リトリアがうさぎのぬいぐるみに『うさぎちゃん』って名前付けてるの知ってたからだもん。だから、ソキのも、もしかしてアレかなって。ちゃんと名前つけないの珍しいね。そんなに怖くてヤなものなの?」

「こわいこわいだもん」

「そっかそっか。……うん、あの、ロゼア? ロゼア、元気出して……?」

 出します、とすぐ素直な言葉が返ってくる。しかし落ち込みきっている。ロゼアを慰めるのはソキに任せて、ウィッシュは呆れと関心の入り混じった顔をする寮長を見た。

「もうちょっと詳しく聞いてみるけど、ここからはたぶん俺よりロゼアのが聞きだせると思うよ。ロゼアが元気でたら、だけど。……んー、とすると、ソキが特定の相手にアスルぺいぺいしてたのもそういう理由じゃないかな。最初から無差別ではなかったみたいだし、選別してたなら、その、こわいこわいが理由だと思う。あ、ソキー、アスルみせてー。あとどんな呪いにしたのかお兄ちゃんにこそっと教えてよー」

「おにいちゃ? ソキはぁ、いま、ロゼアちゃんで忙しいです」

 ふんすっ、と気合の入った声で返事をされる。気になって見ると、目がきらんきらんに輝いていた。元気のないしょんぼりロゼアちゃんですううう貴重なことですうううかわいいかわいいですううううっ、という意思がだだもれになっている。

 頬を染めてもじもじし、じぃーっと見つめてきゃぁんやぁんと照れて、もう一度もじもじしてから、ソキはふんふん鼻を鳴らして頷いた。

「ロゼアちゃん? ソキがなでなでしてあげるぅ……!」

「ソキ……。ソキ、ごめんな……」

「ろぜあちゃ? 大丈夫ですよぉ。こわいこわいから、ソキがちゃぁんと守ってあげるです」

 アスルとけんめいに頑張るです、と気合を入れなおすソキに、ウィッシュはしみじみと頷いた。

「頑張ってたんだな、ソキ。あとは、なんでフィオーレさんとエノーラとルルクなのかが分かればいいんだけど……。ソキ? なんでその三人呪ったの? その三人がこわいこわいだったの?」

「ちぃーがぁーうーでぇーすぅー……! 皆がこわいこわいなんじゃないの。でもね、こわいこわいなんですよ? それでね、いっぱいいるの」

 これでもう分かったでしょぉ、と自慢いっぱいの顔でふんぞりかえるソキに、ウィッシュは微笑んで頷いた。

「ちょっとよく分かんない」

「がっかりですうううう!」

 癇癪を起したソキの手から、アスルが飛んでくる。のす、と両手に乗せるように受け止めて、ウィッシュはすぐにそれをあするあするとじたばたするソキに返してやった。

 呪いが発動することはなく。それでいて、途切れることはなく。ソキの魔力は散らばり、きらめいて、アスルのふんわりとした毛並みを覆っていた。




 突発的な事故を防ぐために全員と顔合わせてソキのこわいこわいを割り出していけばいいんじゃないかなぁ、というウィッシュの提案により、にわかに『学園』は騒がしくなった。

 世に魔術師の数は限られているとはいえ、『学園』の生徒だけでも結構な数である。専属講師や調理人、細かな世話役も魔術師だ。主に宮仕えが向かない性格をしていたり、体力その他様々な事情を抱えて『学園』に残り続ける者は多い。

 それらを合わせると膨大な人数になる。

 そこに王宮魔術師も加わるとなると、会うだけでもソキの体力が難しい。難色を示したのはロゼアだったが、提案を実現するには難しいと告げたのはチェチェリアだった。

 ウィッシュの面談に引っ張り込まれたロゼアを、授業はどうする宿題にするか、と尋ねてきた場でのことである。そもそも、王宮魔術師は自由な外出を許されていない者が大半だ。

 彼らは王の持ち物である。そうであるから、通常は城にいなければならない。任務で城を離れている者も数多く、連絡を行き届かせるには時間がかかる。

 生徒の担当教員として命を受けている者は城と『学園』を行き来するし、必要とあらば『扉』で各国を行き来することも許されているが、事後でも申請が必要なことだ。

 ソキの騒ぎようが相当なもので、筆頭会議の議題に取り上げられようと、各々の予定を組み直して顔を出させることは難しい。殆ど不可能だ。

「じゃあ逆に、ソキが行くのは? こう、皆を一室に集めてもらって」

「ソキはぜえぇええったいに! やんやんです!」

 ロゼアにびとっとくっつきなおして主張するソキに、ウィッシュは肩を落として息を吐く。砂漠に行きたがらなかった一件が発端であるから、喜んで頷くとも思っていなかったのだが。

「そんなこと言ったってさぁ……。ソキ? その、こわいこわいが分からないと、俺たちもどうしようもないんだよ。分かる?」

「わかるです。こわいこわいです」

 真面目な顔をしてこっくりと頷くソキに、チェチェリアから和んだ視線が向けられた。

 ソキがアスルに込めたえげつない程の呪いと、すでに三例出ている被害はともかくとして、甘くふんわり響く声と単語のせいで、まったくもって緊張感が出ない。

 課題を出して頂けますか、とロゼアが申し訳なさそうに教員へ告げるのを横目に、ウィッシュはそうだよ、こわいこわいだよ、とソキに言い聞かせた。

「いっぱいいるんだろ? 学園にもいるんだろ?」

「そうなんですううロゼアちゃんが狙われてるです! ソキはけんめいに頑張っているです」

「うん、うん。だからね、こうね、被害が拡大する前にね。ソキにあんまり近寄らせないように俺たちの方でも気をつけてあげるから、誰がそのこわいこわいなのかを教えてくれないと困るんだよね。俺の言ってること、分かる? あんまり痛いのは可哀想だろ。世の中エノーラみたいのばっかりだったら、まあいいかなって思うけど」

 声もなく倒れて動かなくなり、数分後にやや復活した第一声がとりあえずありがとうございますと言えばいいの、だったのは、今の所エノーラだけである。

 フィオーレとルルクのように落ちこんだり、悲しんだり、驚いたりする気配は微塵もなかった。確かに痛そうな声はしていたけれど、それ以上に高揚の気配を感じて怖かったのが本当である。

 ソキはぎゅむりとアスルを抱きなおし、すん、と鼻をすすって訴えた。

「でも、でも。いつも、ずっと、こわいこわいなじゃないもん……。こわいこわいがくっついてても、こわいこわいじゃなくて分からない時と、こわいこわいです! って分かる時があるです。ルルク先輩は、一回はこわいこわいで、えい! ってしたですけど、そうしてからちょっとの間はこわいこわいも大丈夫になってて、ソキはほっとしたですけど、でも今日はまたこわいこわいがいっぱいだったです……」

「……状態変化がある、ということか?」

「あのね、あのね、チェチェせんせい? ソキは、朝にロゼアちゃんに香水を選んでもらうんですけどね」

 突然はじまったおしゃべりに、チェチェリアはやや首を傾げた。しゃがみ込む。そのまま続けさせたのは、ソキの目があまりに真剣で、必死だったせいだ。伝えようとしているのだ。ソキの持つ言葉を、どこからでもかき集めて。

 それをちゃんと、ソキは伝えて、分かってもらおうとしている。うん、と微笑んで待ってやると、ソキはぱちぱち、泣くのをこらえて瞬きをして。

 興奮した息を何度も吸い込み、舌をもつれさせながら、あのね、あのね、と囁いて行く。

「その日のね、お洋服とかね、気持ちとかね。授業とか、お天気とか、色々考えて、一番にロゼアちゃんの好き好きになるように選ぶんですけどね。そうじゃなくってね、ロゼアちゃんが一番好き好きなのを選んでくださいってお願いすることも、いっぱいなんですけどね」

「ああ。ソキはいつも良い香りがして可愛いな」

「えへ? でしょう? ふふん。……あ、あ! それでね? あの、香水のいいにおいはね、つけた時にもふわふわきゃぁんていいにおい! なんですけどね、お昼とか、夕方になると、匂いが変わるです。でもね、匂いはしているです。つけるのがちょっとだとね、すぐに消えちゃうこともあるです。でもね、でもね、そういう日でも、ソキはちゃぁんと朝から香水をつけててね。つけた、っていうのを、ソキは分かってるです。でも周りの人は分からないかもです」

 言葉に。なにか引っかかっている顔をして、寮長が眉を寄せた。

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