暁闇に星ふたつ:45



 リトリアが砂漠にいた理由は、少女の希望と白魔法使いの都合が一致した結果である。殺し手であるレディが半分昏睡して眠っている今、リトリアの外出に付き添わねばならないのは白魔法使いだ。

 しかしここ半年ほど、フィオーレは砂漠国外に出ていない。所用で『扉』を渡って他国に行くことがあっても、一時間もしないですぐに戻ってくる。砂漠国内の魔力が、どうにも安定していない為だった。

 癒しの使い手とはいえ、魔法使いは最高位。王の守りを厚くする為にも、長く傍を離れるのは好ましいことではなかった。リトリアは、砂漠の王に火急の用があったのだという。

 だったら『扉』まで迎えに行くからこっちおいでよ、ついでに噂のアイシェちゃんが見られるかも知れないからお迎えにいこ、とフィオーレが招き入れたのだという。ことの顛末を聞いて、砂漠の王は頷いた。

 足払いをかけて床に倒して的確に背骨を選んで体重をかけ踏みにじりながら、不機嫌な顔でリトリアに尋ねる。

「で? 火急の用ってなんだ? あとアイシェとなんの話をしたかったんだ?」

「ちょ……と待って陛下! 普通に会話続けようとしないでみしみししてる! 俺の背骨から今まさにしちゃいけない音がしててなんていうか痛いし怖いし苦しいし怖いしごめ、ごめんなさいごめんなさい陛下!」

「え、えっと、えっと……」

 リトリアはフィオーレと砂漠の王を何度も何度も見比べ、執務室にいる兵士たちや魔術師たちに助けを求め視線を反らされあるいは頷いて達観した笑みを浮かべられ、じわじわと涙ぐんだ。

うう、と鼻をすすり、もう一度フィオーレと王を見比べて。こく、と頷き、リトリアは息を吸い込んだ。

「署名していただく書類ができたものだから……」

「えっ待ってリトリア俺のことを諦めて陛下と話ししようとしないでっ?」

「見てやる。出せ。フィオーレうるさい」

 背骨が折れたら白魔法使いも即死するのかしら、と疑惑の顔でラティが座り込み、主君に忠実に口を手で塞いで黙らせる。

 どう頑張っても殺害実行現場に同席している気持ちになるのだが、リトリアが改めて助けを求めて周囲を見回しても、微笑んで頷かれるばかりである。

 あ、それ放置して大丈夫なので、と砂漠の王宮魔術師に告げられるに至って、リトリアはもう一度頷いた。

「却下」

 はい、と書類がリトリアに返される。あまりに早く、あっさり戻されたので、リトリアは目を瞬かせて首を傾げた。言葉の意味が染みこんで来るまで、数秒。

 ええっ、と抗議の声をあげたリトリアに、砂漠の王は駄目に決まってんだろうが、と険しい目を向ける。

「ストルはともかく、ツフィアの就任は認められない。フィオーレとレディのどっちかと、ストルの交代なら許可してやらんでもない。以上終了。はい、帰れ」

「……理由は?」

「言葉魔術師を、予知魔術師の殺害役、あるいは守護役として認めるには不安が残る。魔術師としての能力が未知数で、また、詳細が語られないからだ。王の命令あってなお、ツフィアが口を閉ざし、シークが告げようとしないからだ。文献は不自然に焼失している。検証できる資料もない。よって、ツフィアを予知魔術師のどちらの役へも、認めることはできない」

 震える声の疑惑をかき消す、整然としたつめたい声での説明だった。何度も繰り返し語られたことを伺わせる、作業的な言葉だった。唇を噛んで、リトリアはうつむく。

 できたばかりの書類は、王が告げた通り、ストルとツフィアをリトリアの守護と殺害の役へつける為のものだった。それを、大事に持ち直し。リトリアは泣かずに、強い意志をもつ瞳で顔をあげる。

「じゃあ……じゃあ、シークさんか……ツフィアが、言えば、考え直してくれますか。言葉魔術師についてを」

「お前にそれができるなら」

「……できるように、なります。そう待たせはしません。絶対に!」

 一月前の、パーティーの夜でも。リトリアは同じ目をして王たちのことを見ていた。立ち向かおうとする目。諦めない意思。砂漠の王は気乗りしない様子で息を吐き、頷いてやった。別に苛めたい訳ではないのだ。譲りたくないだけで。

 まあ、いいからしばらく楽音で大人しくしておいてやれよと呟き、じゃあ帰ります、と唇を尖らせるリトリアを呼びとめる。

「帰る前に。アイシェになんの話があったんだ?」

「なんの、っていうか……初恋の君が気になって……。え? 両想いなの? いま、どんな風なの……?」

「知らねぇよ俺が聞きたい」

 ハレムから出て行きたいという話は、聞いたことがないので。王に抱かれるのが苦痛であるとは思えず。また、ハーディラに確認も取ったので、居続けなければいけない理由もないことは分かっている。

 大なり小なり好意はあると思うのだが。それがどういうものかが、分からない。ふうん、と訳知り顔で頷いて、リトリアは口に両手をあてて肩を震わせた。

「大丈夫。そのうち、きっと、上手く行くわ」

「はいはい、そうだな。ありがとうな」

「もう! ……あ、もしかして! ソキちゃんにもそうやって雑に対応したんでしょう? だからよ……?」

 傍にいるのがロゼアくんだから、そんな態度を取られたこともないでしょうし。怖かったんだと思うの、かわいそうに、と続けられて、砂漠の王は心当たりのなさに眉を寄せた。

 なんの話だと問えば、リトリアはきょとん、として。するすると視線を王の足元へ降ろした。王が脱力した隙を逃さず脱出した白魔法使いは、身をよじって背中の汚れを払い、待ってる間に話してたんだけど、と口を開く。

「陛下。今日の午後、ソキの定期面談の予定なんだけどね」

「……そうだな。それが?」

「昨日の夜、ロゼアからお断りの手紙が届きました。なんかね、ソキが手がつけられないくらい泣いて嫌がったので代理での出席も拒否します、っていう、要約するとそういう内容だったんだけど。陛下、先月のパーティの時とか、もしかしてなんかあった……?」

 なんでも、泣いて泣いて嫌がって咳をして泣いて、熱を出して寝込んでいるのだという。砂漠に行くのを断固として拒否した、とのことだった。ロゼアの代理も拒否ということは、傍を離れるような状態ではないのだろう。

 は、と声を零した王に、フィオーレはだよねえ、と頷く。

「特になにもなかったよね。挨拶したくらい。でもそうすると……なんだろう?」

 ソキはちゃんと義務だって分かってればやるこだもんねえ、としみじみとした白魔法使いの呟きに、王は胸中で深く同意した。義務であれば。役目であれば。ソキはそれを受け入れ粛々と実行するだけの度量の持ち主だ。

 肉体的にどれほど貧弱でも、意思は強い。定期面談も、王が予知魔術師としてのソキに課した義務である。単純な好き嫌いで拒否するものではないと、王も白魔法使いも分かっていた。

「……『扉』の状態は?」

「同じ適性のリトリアが通過しても安定してるし、乱れる兆候はない。前回も、前触れなくおかしくなったから……それを不安がってかな、と思えなくもないけど……。『扉』の確認がてら、様子見に行っていいなら、リトリアつれて行って来るけど」

「楽音で連れてく許可取ってからにしろよ」

 リトリアの意思が関係ないのは、記憶が戻っても変わらないことだった。待遇が改善していないからである。まあいいか、と苦笑して、さっそく向かおうとするリトリアと白魔法使いの背に。ああ、そうだ、と砂漠の王は堂々と言った。

「あと、ロゼアが俺に対するなんかの疑惑持ってたら泣かせて来い」

「陛下……いじめよくないよ。それこそソキに嫌われるよ……?」

「あのね、陛下。疑ったのは私が悪かったのですから、私を怒ってください。ロゼアくんをいじめるのは感心致しません」

 そして疑いましたこと申し訳ありませんでした、と完璧な笑顔で謝罪されて、砂漠の王はリトリアの成長を残念がる顔つきで頷いた。

「これか……スティが言ってたリトリアの心に来る対応……」

「うん。そうだね陛下。心に来るね。大人になられて辛いね。だからロゼアいじめるのやめようね」

 大丈夫だよ陛下俺はいつでも陛下の味方だからねとぽむぽむ肩を叩かれて、砂漠の王はぐったりと、積み上げたクッションに体をうずめた。なんだってさっきまで踏んで反省を促していた者に慰められなければいけないのか。つらい。

 ソキから上手く聞き出せたら、リトリア送って早く帰ってこいよ、と告げると、フィオーレは心得た顔で頷いた。

「行ってきます、陛下。安全な場所にいてね」

「ああ。……反省したな? 踏んで悪かった」

 いない間は任せて、と張り切るラティの手には、過失致死防止機能付きの長くてあたると痛そうな杖が、しっかりと握られている。

 俺、ラティのそういう気遣いのできる所素敵だと思うよ方向性がいつも俺の理解できる範囲をふりきってるけど、と苦笑して、フィオーレはラティと手を叩き合わせ、歩き出した。

 砂漠国内は、密やかな警戒状態が続いている。城から姿を消し、各都市を早急に確認して回っている筆頭が告げたからだ。なにか意図して力が動いている。我らの王を、砂漠の黄金の光を。二度と、決して、害させるな。

 ようやっと、眠れる場所をみつけたあのひとの幸福を。

「……フィオーレ」

「うん?」

「あの……。なにかあったら助けるから。私のできる全部で、頑張るから。言ってね」

 砂漠にはたくさんご迷惑をかけてしまったから、できることで少しずつお礼をして行きましょうねって陛下にも言われているし、と。出てきた執務室を振り返りながら言うリトリアは、なにか感じるものがあったのだろう。

 僅かばかり不安そうに告げられて、フィオーレはゆったりと笑って、うん、と頷いた。できるコトなラ、いくラでモあるよ。歪んで響いた、己の心に。言葉に。フィオーレは気がつかず、あリがとうな、と言った。

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