暁闇に星ふたつ:42
休憩に選んだ喫茶店は、もう夕陽の紅にやわやわと染め上げられていた。
本当はディタとスピカの店へ行きたかったのだが、買い物をしていた場所から移動するとなると、ソキの足ではあまりに遠く、ロゼアを使っても『学園』に帰るのが遅くなってしまう、と妖精が渋った為だった。
学園に在籍する魔術師のたまごたちには、須らく時間制限がある。門限である。星降ろしの日の夜間外出は、あくまで特例なのだった。
それを超える程には遅くなりはしないだろうが、万一の時に動かねばならないのは星降の王宮魔術師たちだ。最近、五国の中でも特に心痛が耐えないと聞く魔術師たちを、些細なことで苛めるのは忍びない。
はぁい、とやや不満の残る返事で手近な喫茶店で了承したソキは、椅子に座って足をふらつかせ、妖精に向かってちょんと首を傾げて見せた。
「星降の魔術師さんたちはぁ、最近はなにが大変なんです? リトリアちゃんは帰ってきたです」
「レディの過労と、ツフィアの軟禁どうするかと、陛下の落ち着きのなさと威厳のなさをどうするかって話じゃないの? 興味ないから詳しくは知らないけど」
「陛下……。そういえばソキも、星降の陛下が落ち着いていて、威厳がとっても、なところを見たことがない気がするです……」
砂漠の陛下に面談で呼び出さることもあって、あれこれと他国を行き来する機会が、ソキには意外と多いのである。
親しく話したことのない王は花舞の女王くらいであるが、去年の夜会で見た姿や、ロリエスが心酔していることを考えると、落ち着きがないとか威厳がないとか、そういうことは考えにくかった。
「まあ、もう半年もすれば落ち着くんじゃない? リトリアがあれこれしているようだし」
「リボンちゃんはものしりー、ですー」
学園で学ぶソキより、よほど魔術師の事情に精通している。リボンちゃんはいつもなにをしてるの、とわくわくそわそわ問いかけるソキに、妖精は半ば呆れた苦笑で告げた。
「アンタが思っているようなことはしてないわよ。ただ王宮魔術師がおしゃべりなの」
「おしゃべりなの?」
「妖精はどこの国にも所属してないから、愚痴だのなんだの零しやすいんじゃない?」
ソキの案内妖精に遣わされただけあり、妖精はひとに対しても、魔術師に対しても友好的だとみなされている。
面倒見の良い性格が災いしてか、遠方まで荷物や手紙を運んで欲しいと頼まれることも多いらしかった。もっとも、妖精はだいたい断っているのだが。やぁよ重くてめんどくさくて長旅なんだもの、というのが妖精の言である。
断る為に王宮まで出向く、その行きや帰りに声をかけられることが多い、とのことだった。
「アタシ、最近なんでか特に魔術師に絡まれるのよね……。絶対にソキのせいだわ……」
あれこれ世話を焼いているので、保護者役とみなされているらしい。声をかけられて、そのまま無視もせず。いいわよ話くらいなら聞いてやるわよ茶と菓子をよこせ、と付き合ってやるから、でもあるのだが。
ソキはもじもじと指先を擦り合わせ、きゃぁん、と声をあげて頬を押さえた。
「えへへ? えへ。リボンちゃん。大人気ですぅ?」
「嬉しそうにしちゃって……」
「えへん。さすがはリボンちゃんです。えへへん」
アンタ、ロゼアみたいになにかにつけてアタシの自慢をするんじゃないのよ分かったわね聞いてるわね絶対にやめなさいよ、と言い聞かせられるソキに、微笑ましそうな目が向けられる。
「ソキ、ソキ。お茶と一緒のお菓子は選べるんだって。どれがいいんだ? リボンさんも」
くるみのケーキに、リンゴのパイ。かぼちゃプリン、ふわふわ卵のケーキ、なないろゼリー。ロゼアが説明してくれるのをふんふんと頷いて聞き、ソキは満面の笑みで頷いた。
「ソキ、ロゼアちゃんが好きなのにするぅー」
「ええ……。アタシはもうなにも言わないわよ……。好きになさい……。どれでもいいわ。今日のおすすめがあるなら、それで」
ロゼアが説明してくれるのが嬉しくて聞いていただけで、ソキは最初から決める気がなかった、ということが理解できる程度には、妖精も分かっている。
ロゼアも分かりきっているだろうに説明したのは、ふんふん頷いて聞いているソキが見たかったからに違いない。コイツら無駄なやりとりに満ちてるな、と呆れる妖精は、注文の者と入れ替わりに歩み寄ってくる、給仕の女に目を留めた。
なにかが、意識に引っかかったのだが。それを妖精が掴むより早く、女はソキに、選んだ焼き菓子が欠品であることを告げた。代わりのものを選んで欲しいと促され、なにごとかを考えたのち、ソキはこくりと頷いた。
よちよちした動作で椅子から滑り降りる。立ち上がろうとする妖精と、ロゼアを順番に見て。ソキはちりん、とふたつ三つ編みの鈴を揺らし、自信たっぷりにふんぞりかえった。
「ロゼアちゃん? リボンちゃん? ソキはちゃぁんとひとりで選べるです。だからその間、仲良しさんをしているです」
名案です、とばかり頷くソキに、妖精は額に手を押し当てた。喧嘩してないと言っているでしょう、と告げても、リボンちゃんは今日たくさんロゼアちゃんを蹴ったです、ソキはちゃぁんと見てたです、と頬を膨らまされる。
「いーい? 仲良しさんですよ? 分かったぁ……あ、あ、あ! でも、でもでも、あの、あんまり、いっぱい、すっごく、仲良くしたらいやんいやん!」
「しなくていい心配をするんじゃないっ……! ああ、もう、分かったわよ。はいはい蹴って悪かったわよ避けるんじゃないわよ」
「避けるのは反射ですから、そう言われても……。ん? うん、ソキ。心配しないでいいから。選んでおいで」
はーい、とソキが頷くと、また鈴がちりりと揺れて鳴る。それに穏やかに笑いかけたロゼアの足を、机の下で蹴る妖精にまでは気がつかず、ソキはよちてし店内を移動した。
冷えた空気の満ちた硝子の中に、きらきら輝くお菓子が綺麗に並べられている。ええと、ええと、とどきどき覗き込み、ソキは不思議さに首をかしげた。いくつものお菓子が並べられている。
くるみのケーキに、リンゴのパイ。かぼちゃプリン、ふわふわ卵のケーキ、なないろゼリー。残りひとつ、ということもない。あれ、と目をぱちくりさせて、ソキは給仕の女を振り返ろうとした。一瞬早く。屈みこんだ女がそっと、ソキの耳元で囁く。
「かわいい、ボクのお人形さん」
凍りつくソキの目を、伸びてきた女の手が覆い隠す。くらやみ。くすくす、笑い声が響く。
「もうすぐ向かえニ行くかラ、準備をシテおくんダよ……」
波が引くように。手が離される。女性の手。響いたのも、女性の声。ソキは青褪め震えながら、振り返ることもできずその場に立ち尽くす。あら、と間の抜けた、訝しげな声が響く。なにをしていたのかしら。
言葉はソキの頭の上を素通りしていく。怖い。いや、いや、とソキが衝動的に振り返り、ロゼアと妖精に助けを求めようとした瞬間だった。ゆらめく陽炎のように。くすくす、笑い声がソキに囁く。
「『瞬きひとつでキミは忘れる』」
ちりりんっ、と鈴の音に、ロゼアは勢いよく椅子から立ち上がり、妖精も不審げにソキを見た。慌てて一歩を踏み出したまま、ソキはぱちくり瞬きをして、半開きの口でロゼアを見上げる。血の気の失せた顔で。
すぐに歩み寄り、どうしたの、と問うロゼアの腕の中で、ソキはぎこちなく首を振った。告げる言葉はない。なにも。思い出せず、分からなかった。
妖精は鋭く虚空を睨みつけ、帰るわよ、とロゼアに言った。覚えのない、思い出せない悪意が、妖精の記憶にも絡みついていた。
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