暁闇に星ふたつ:38



 銀の星たちが暗く沈んだ天に瞬いている。冷えた夜風で赤らんだ頬を冷ましながら、ラティはひとり、砂漠の廊下へ戻ってきた。王宮は寝静まっている。もう数時間もすれば朝が巡る、豊かな夜の時間があたりには満ちている。

 夜の警備の者たちは街の明かりを見つめていて、ラティには注意を払わない。あくびをしながらゆっくり歩き、今しがた出てきた『扉』を振り返った。魔力の残響が、火の粉のように漂い、消えていく所だった。

 火の熱のようなざわめきを思い出す。今宵の学園、夜会は、ひときわ盛況だった。リトリアが戻り、ツフィアとストルと共にあったからだ。

 詳しい説明はまた後日されるだろうが、いつからか姿を消してしまっていたツフィアは、何処かの王宮魔術師として迎えられる可能性があるという。その対応や諸々の協議のために、結局五王は星降の一室に集まり、忙しく会議の最中だった。

 新入生への対応がないから時間をずらして訪問する気遣いが、会議開始時間を後ろに倒してしまうという結果になった為、終わるのは朝日が顔を覗かせた頃だろう。

 ラティの王は夜眠るのを未だ好まないのでそれでもいいだろうが、他の王たちには大変な徹夜であろうに。また日を改めて考えるには早急さを求められる案件がいくつかある為に、護衛を入れ替えて王は徹夜、という珍事態と相成った。

 今頃は、星降の廊下に白魔法使いの笑い声が響いている筈である。彼の国の魔術師たちに安眠妨害で殴られなければいいけど、と思い、ラティは静まり返った廊下を、あくびをしながら歩いていく。

 なんだか、やたらと眠かった。靴音が響いている。瞬きと共に、意識が明滅する。ゆっくり歩く。あくびをする。瞬き。目を閉じる。

「……あ、れ?」

 立ち止まって。ラティはあたりを見回した。いつの間にか、ハレムに繋がる廊下の曲がり角まで来ていた。出入り口を守る兵士たちが、不思議そうにラティの姿を見て、その背に王の姿を確認しようとしている。

 ひいいい道間違えましたっ、と叫び、ラティは身を翻して走って戻る。『扉』から途中までは同じ場所を辿るが、魔術師の眠る区画とハレムは逆方向である。うぅ、寝ぼけてた、絶対寝ぼけてた、と目を擦り、ラティは幾度もあくびをする。

 意識が明滅する。ゆっくり靴音が響く。夜の静寂。暗闇が首元まで降りてきている。夜の。息苦しさで目隠しをされる。

『……仕上がりを確かめないとネ』

 靴音。瞬きで意識が切り替わる。その日、ラティはもう二度道に迷い、眠る部屋まで辿り着いた。




 ふにゃふにゃ寝ぼけながら、ソキはアスルとロゼアのローブを一緒くたに抱き寄せて鼻先を埋めた。ロゼアは朝の運動にソキを連れて行かずに置いて行ってしまったので、これはしかたのないことなのである。

 ふんすふんす匂いをかぎ、ソキは寝台の上でちたぱたもぞもぞやぁんやぁん、とした。

「ろぜあちゃんのいい匂いが、するぅー……!」

 ローブに頬をこすりつけて甘え、好き勝手にローブをアスルに着せてみたり、自分で着てだぼだぼなのをひとしきり楽しんだり、またふんすふんすいいにおいを堪能しながら、ソキはまたうとうとと、眠りへ戻ろうとした。

 ぴすぅー、と眠りかけた所で、はっと気がついて顔をあげる。ローブを畳んで元の通りに戻しておかないと、もちゃもちゃしていたのがロゼアにバレてしまうのではないだろうか。

「たたむです。たたむ、たたむ……んしょ、んしょ。んしょ……んん? これでいい……?」

 きちっ、としたロゼアの畳んでおいたのと比べて、多少へちょりとしている気が、なんだかとってもするのだが。とりあえずこれでいいことにしよう、と眠たく思って、ソキはこくりと頷いた。

 いつもと同じくらいの長さを寝た気がするのだが、昨日の夜会で踊ったりした為に、まだすこし眠り足りない。もしかしてロゼアちゃんが踊りに誘ったりしたくなっちゃうかも、と期待しながら、ソキは妖精と二曲ほど踊ったのだが。

 ロゼアは優しい微笑みで、ソキの踊りの上達をしきりに褒めてくれただけで、誘ったり嫉妬でめらめらしてくれることはなかったのである。

 ロゼアちゃんがソキをうばって踊ってくれる筈だったんですううぅ、とむくれるソキに妖精は怒らず、呆れ返った目ではいはいそうね残念ね、と頷いてくれた。思い出して、ソキはしょんぼり息を吐き出した。

 ソキの計画は、最近上手く行かないばかりである。

 ただ、ロゼアは誰とも踊らなかった。じつは去年、シディと踊っているのもちょっぴりもやもやしていたので、それを考えればよかったのかも知れない。アスルを抱きなおしてうとうとしていると、ふわ、と空気が肌を撫でていく。

 ちいさな笑い声。ひょい、と抱き上げられて、ソキは眠たい気持ちでロゼアにくっつきなおした。

「ロゼアちゃん。おかえりなさいです……朝の運動は、もう終わりです?」

「ただいま、ソキ。まだ眠いな」

 そうなんですぅー、と頷いて、ソキはのたくた瞼を持ち上げた。いつもならここで、ぎゅうがあって、なでなでがあって、もうちょっと寝ような、があるのだが。待てど暮らせど、ぎゅうも、なでなでも、おやすみも来ないのである。

 むむ、とくちびるを尖らせるソキに、ロゼアは甘く、やんわりと微笑した。

「ソキ、ソキ。……ソーキ」

 穏やかに。ソキを抱き寄せなおした腕が、体をくっつけなおしてくる。触れる体温の気持ちよさに目を閉じて、ソキは頬をロゼアの肩に擦り付けた。ソキ、と笑う声が、耳元で囁く。

「今日はリボンさんとお出かけするんだろ」

「……あ! あ、あぅ、そうでした……!」

「だから、行く前に『旅行』のことをおはなししような」

 そうでした、とこくりと頷いた後に、ソキはぱっちり瞼を持ち上げた。ロゼアはソキの頬を指の背で撫で、穏やかに微笑している。きっと聞き間違いです、と頷いて、ソキはお着替えをしなくてはいけないです、と主張した。

 妖精とのお出かけである。とびきり可愛くしてもらう予定なのだった。うん、着替えしような、とロゼアは微笑む。

「『旅行』のおはなしが終わったら、着替えような。可愛いのにしような」

「……あれ?」

「ソキ。『旅行』ではどのあたりに行ったの? どういう人に会った? なにされたの?」

 その情報は、なにがあっても。決して『お屋敷』の者に、『傍付き』に、話してはいけないことである。はじめての『旅行』の前に、『花嫁』はそれだけは許されないと言い含められる。

 きゅうっと眉を寄せて口を閉じたソキに、ロゼアは大丈夫だよ、と言い聞かせた。

「俺はもう『お屋敷』から怒られたりしないよ。ソキだってもう、どこにも行かないだろ」

 うん、と返事してしまうより早く。なんだかどきっとして、ソキはロゼアのことを見つめてしまった。もちろん、ソキはもう『旅行』には行かないし、誰かの所に嫁いだりもしないのだけれど。

 あの約束がもし、果たされていたとしたら。どこかへ行く、ことに、なっていたのではないだろうか。ソキ、と訝しげに呼んでくるロゼアにぎゅっと抱きついて、ソキは行かないです、と言った。強く目を閉じて、描いた未来を押しつぶす。

 ロゼアの手がソキではない誰かに伸ばされるかも知れなかった、やがて訪れるかも知れなかった、別れの日を今度こそ。ソキは己の意思で遠ざけて、ロゼアちゃんの傍にずっといるです、と言った。

「ソキね、ソキね……ロゼアちゃん、を、しあわせにするです。するですよ」

「うん? ……うん。ありがとうな、ソキ。嬉しいよ」

「ううぅ……頑張るです。ソキはけんめいに頑張るです……! ロゼアちゃんの一番はソキ、ソキなんです! ソキはもう一番を誰にもあげたりしないです。ソキだもん。ロゼアちゃんの一番は、ソキなんだもん。ロゼアちゃんはソキのだもん……! ソキの。ソキの! ロゼアちゃん? わかったぁ? 他に、めうつりー、をしたら、いけないんですよ。分かったぁ?」

 いいですかぁ、ソキの。ロゼアちゃんはソキの、ソキのですよぉ、とめいっぱい主張されて言い聞かされて、ロゼアはややふんわり緩んだ笑みで、うん、とだけ言った。

 いまひとつ通じていない気がするです、と頬を膨らませるソキに、どうしたんだよ、とロゼアが笑う。頬のまるみを指先で愛しげに撫でながら、俺はソキのだよ、とロゼアは言った。

「目移りなんてしないよ。ソキが一番だよ」

「でぇえっしょおお……?」

 ぴったり体をくっつけて、抱き寄せられた膝の上。自慢げにふんぞり返りつつ、ソキはことり、と不思議さに首を傾げた。ぱちくり瞬きをする。

「……あれ? あれ、あれ……。ううん? もうちょっと……もうちょとこう……。御本だと、ここで気持ちいい感じになる筈です……。あれ? ロゼアちゃん? ねえねえ、しないの? しないです? なんで?」

「ソキ。最近なんの本読んでるんだ? 先輩たちに、だめって言われた本あるだろ?」

「違うんですよロゼアちゃん! あれはぁ、参考書、というやつです。誘惑してお願いしてめろめろりょくをあげるです!」

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