暁闇に星ふたつ:37


 もう分かったから言わないでごめんなさい、とリトリアが許容量を超えて泣き出した所で、ストルとツフィアは切々と積み上げる愛の告白を一旦は中断した。中断である。

 慰めて落ち着つかせてから内容を復唱させ、まだいまひとつ伝わっていないな、という結論が下されると、あっけなく再開した。うううぅっ、と涙目でしゃくりあげながら、顔を真っ赤にして震えるリトリアの手は、両方ともしっかりと握られている。

 ごめんね助けてあげられなくて本当にごめんね、と全力で耳を塞いで意識を明後日へ流していたレディは、なんとなく会話が途切れた気配に、胃痛の底からえずくような息を吸い込み、吐き出した。

 そーっと耳から手を外して、そーっと視線と意識をリトリアへ戻す。レディは干物にされた魚のような目で、力なく首を左右に振った。

「事後かな……?」

「レディ? あなたなにを言ってるの」

「……泣かせ……うん……。泣かせるのは、どうかと……ほんとどうかと……思うわよ私はね……」

 リトリアはようやく離された手を胸元まで引き寄せ、幼い仕草でしゃくりあげながら忙しなく瞬きをしている。熱に溶けた瞳はぼんやりと定まらず、薄く開かれたくちびるでようやっと息を繰り返していた。

 訝しく眉を寄せて立ち上がるツフィアとは対照的に、跪いたままでいるストルは、やわらかく微笑して少女のことを見つめていた。伸ばされた指先が、頬を伝い、今も零れ落ちようとする涙を丁寧に拭っていく。

 微かに震えて、リトリアはきゅぅと目を閉じた。ん、んっ、と整わない息にあまく声を零しながら、離れていかない指の熱に、恐々まぶたが持ち上げられていく。視線がすぐに重なって、リトリア、と笑いながら問う声に言葉を促された。

 息を、吸い込んで。こくりと喉を鳴らして唾液を飲み込み、リトリアは触れる指に懐くよう、ことりと首を傾げながら囁いた。

「ストルさん……」

「うん?」

「……ストルさん。私、が……好き……」

 あどけない確認に、そうだ、と言葉が重ねられる。息が詰まるほど嬉しくて、リトリアはストルに腕を伸ばした。跪く男を抱き寄せて、体をくっつけて首筋に顔を埋める。

「うれしい……。好き。ストルさん。ストルさん……大好き……」

 言葉もなく。強く、腕の中に抱きしめられる。うっとり身を任せてくっついていると、振り返ったツフィアが思い切り眉を寄せた。

「リトリア。こっちへいらっしゃい」

「……もうちょっとだけ。もうちょっとだけ、くっつきたいの。……だめ?」

「……分かったわ。もうちょっとね。聞いてるわねストル」

 聞こえているさ、とやや機嫌を損ねた呟きが、リトリアの耳に触れて響いていく。くすぐったくて。肩を揺らしてくすくす笑えば、ストルの手がゆっくりと髪を撫でていく。

 気持ちよさに吐息と共に力を抜けば、いいこだな、と耳元でストルが笑った。

「リトリアの希望は最大限叶えられるべきだと思わないか、ツフィア」

「思うわよその通りよでも今は離しなさい、ストル。リトリア? もうすこし経ったでしょう。こっちへいらっしゃい」

「はぁい。……あの、ストルさん。また今度、あの、ぎゅぅっとしてください……」

 恥ずかしさを堪えて囁けば、ストルはなにかを堪えるような間を置いて、分かった、と言って腕を離してくれた。ととと、と離れて、リトリアは次にツフィアにぎゅぅっと抱きついた。

 なに、と笑う声に胸元に顔を埋めてくっつきながら、リトリアはとろける瞳であのね、と言った。

「ツフィア、ツフィア。大好きよ。あの、あのね……もう一回だけ、好きって言って?」

「好きよ、リトリア」

「きゃぁ……! つふぃあ……! 好き。ツフィア大好き……!」

 ぎゅうぅ、と抱きついてうりうり顔を擦り付けてくるのに笑って、ツフィアはリトリアの体に腕を回した。ぎゅ、と抱き返すと腕の中でリトリアがしゃくりあげ、好き、と零す。

「ずっと傍にいて欲しかったの……本当よ。だからね、ずっと会いたくて、寂しくて」

「私もよ、リトリア。あなたの傍にいたかった」

「頑張るから。私、ツフィアが戻ってきて、それで、傍にいてもらえるように頑張るから……!」

 レディは両手を組み合わせ、別室で気を揉みながら結果を待っているであろう王たちの、魂の安息と平穏を祈った。リトリアは恐らく、ストルとツフィアの自由と安寧を勝ち取る為ならば、今後手段を選ばない。

 保護中にも良好な仲であったと聞くから、白雪の女王は被害を免れていくだろうが、他の王たちの心はさぞ折られるだろう。

 楽音の王は朝からリトリアと口をきいても貰えず、どうしてもという時だけ満面の笑みでもって畏まりました陛下と返されるので、見たこともないくらい落ち込んでいるらしい。

 これで、帰ってきたリトリアが上機嫌に甘えながら二人の解放と身柄の引渡しを要求したとすれば、すばらしく飴と鞭である。元よりリトリアに甘い、と言われているのが楽音の王であるから、要求が受け入れられるのは想像に容易かった。

 ああ、でもこれで私の胃が痛くなったり頭が締め付けられたりすることはもうないのかな、と。安堵と残念さが等分の気持ちで息を吐くレディの服が指先で摘まれ、やんわりと引かれる。

「レディさん。あの、ありがとうございました……」

「うん……。どういたしまして、リトリアちゃん。勘違いなくなって、よかったわね。……なくなったのよね?」

 ツフィアの腕にくるんと絡み付き、ぴったりくっついて甘えながら。再度の確認に、リトリアはあどけなく頷いた。

「魅了して、いなかったの……。や、やだもう、やだもう……! ねえ、これってあの、私、自意識過剰だったっていう……う、うぅ……」

「……すぐに泣くのは直らないのだから」

 ぐずりだすリトリアに息を吐き、ツフィアは丁寧な仕草で零れる涙を拭っていく。違うの、いまだけなの、泣かないの、自立したの、とリトリアが訴えると、ツフィアはあらそうなの、と首を傾げて絡みつかれている腕を外そうとした。

 慌ててぎゅぅっと抱きつきなおし、くちびるを尖らせていじわる、だめ、と拗ねるリトリアに、ツフィアが向ける目は悪戯っぽく、穏やかだった。

 私はもうツフィアとストルが魅了されてなかったという事実の方が嫌だし怖い訳なんだけど、と呻き、レディは胃のあたりを手でさすりながら問いかけた。

「ツフィアもストルも、早急に報告書にまとめて陛下に提出してよね。リトリアちゃんがなんかされてたんだったら、それに対する処罰も下さないといけない訳だし……リトリアちゃんは、陛下に報告に行こうね……?」

「……もうちょっとだけ」

 くちびるを尖らせて主張して、リトリアはツフィアの名をとろけるしあわせの声で呼び、背に腕を回してぎゅむりと抱きつきなおした。

「ツフィア、もう帰る? もうすこし、パーティーにいてくれたら、私すぐ戻ってくるから……」

「分かったわ。行ってらっしゃい。……でも、陛下にお会いするなら、顔を洗ってからにしましょうね」

「うん。分かりました。ストルさんも……待ってて、くれる?」

 こてん、と首を傾げて、行かないで欲しいと目で求められて。用事があるだとか、もう帰るだとか言える相手がいたらつれてきて欲しい、という顔でストルは息を吐き、頷いた。お前には人の心がないと断じる為である。

 男の内心が手に取るように分かってしまったので、レディはしぶい果物を口いっぱいに詰め込まれた気分でよろよろと立ちなおした。砂漠系男子と思考回路が、一部であっても同じなんて御免こうむる。

 ツフィアから離れとことこやってきたリトリアに、レディは慎重な気持ちで手を差し出して。行こうか、と手を繋いだ。

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