暁闇に星ふたつ:31


 ぴすぴすふすふすくすんくすん、と拗ねて不機嫌で仕方が無い寝息を響かせていたソキは、一通りの手伝いを終えたロゼアが迎えに来て着替えに連れ去り、帰ってきた時にはもうとろける笑みになっていた。

 真新しい、紅の光沢を持つ真珠色のドレスを着せられ、赤い花の髪飾りを揺らしてご満悦である。ロゼアも髪を撫でつけ、ゆったりとした印象の砂漠の正装を身に纏っている。それ去年のじゃないのと言いかけ、妖精は諦めて口をつぐんだ。

 よしんば去年と代わり映えのないものであっても、ソキの日常着のように細部が異なるものであっても、服装は個人の自由である。自分の服飾費を節約してソキの一着にぶちこんだ可能性を、わざわざ確定させてやる理由もなかった。

 しかし、嫌味なくらい正装を着こなす男である。ソキを片腕に抱き上げてなお、所作の滑らかさに滞りはなく。年齢ゆえの幼さを未だ顔つきに残すだけで、印象としては完成されきっている。

 その腕いっぱいに、花を抱き上げて微笑んでいる。そういう印象を振りまく男だ。

 ソキはロゼアの腕の中にうっとりと身を任せきっていて、時々、こそこそと耳元にくちびるを寄せてはなにか話しかけていた。そこに、応援係をだめされたぁ、としょげ返っていた面影は全く無い。

 うつくしく、愛らしく、上品で清楚に整えられて、上機嫌に談話室の端へ戻ってこようとしていた。ふわふわした笑い声が空気を染める。

 着替えと化粧の一時間でなにがそんなに嬉しいことがあったのかと思うが、起きたらロゼアの腕の中なのもきっと幸せでならなかったのだろうし、ロゼアの好きな服を着せられ、ロゼアの好きな髪形に整えられ髪飾りをつけられ、ロゼアの好きなように手入れされ化粧され靴を履かされその他あれこれと手間隙と時間をかけられて、戻ってくる時は当然のように抱き上げられている。

 不機嫌を持続させておく隙がない。

「あ、ロゼアちゃん? ソキ、リボンちゃんのお隣に座るです!」

「うん、いいよ。……お待たせしました、リボンさん」

「なんでアンタ当たり前の顔してアタシの隣に座るのよ……! ソキを膝の上からおろしなさいよ」

 微笑んで聞き流された。ソキが聞こえないふりをするのはいつものことだが、ロゼアにされると頭にくる。呪おうかしらと睨んでいると二人の後を歩いてきたシディが、苦笑しながらロゼアの名を呼んだ。

 やんわり窘める案内妖精の言葉に、ロゼアはんー、と声を発してソキを抱きなおす。

「ソキ、座りなおす?」

「ロゼアちゃん? ソキはちゃぁんと座ってるです」

 ソキに膝から降りる意思がなければ、ロゼアが降ろす筈もない。もにっと頬をくっつけ合わされて、くすぐったそうに微笑むだけだ。エスコート頼まれてるのアタシなんだけど、と言っても、ロゼアが抱き寄せる腕を放す気配は見られなかった。

 まだ廟の入り口が開放されていないので危ないでしょう、と言いたげだ。夕刻。準備もいよいよ大詰めで、楽団役があちらこちらへ走り回り、手配をする者たちが大きな声で各国の王の到着予定時刻を知らせまわっている。

 危ない、ことに同意してやる気持ちはあるのだが。座っていればなんの問題もない筈である。しかしソキがあまりに幸せそうにロゼアを満喫していたので。妖精は苛々する気持ちをシディで晴らすことにして、その暴挙を許してやることにした。




 椅子に座り、青褪めて震える姿は、とてもではないが待ち人に胸をときめかせているようには見えない。せっかく上から下まで、城の者に可愛くしてもらって送り出されてきたというのに。

 星降の城の待合室。ツフィアのいる部屋の近く。様々な準備が整うのを同僚たちと共に待ちながら、チェチェリアは溜息をついた。どうしても放っておけないと思いながら、リトリアの名を呼んで傍まで歩み寄る。

 どうした、と問えば泣き出す寸前まで涙を溜めた瞳が、そろりと持ち上がって瞬きをした。

 腕にはもっちりとしたうさぎが収まっている。つれてきたらしい。思わず優しい笑みになるチェチェリアに、リトリアはうさぎをもぎゅっと抱きつぶしながら、だってぇ、と弱々しい声を出した。

「心細かったんだもん……。チェチェ、ツフィアはどうしてお返事をくれたのかしら……ストルさんと踊っても嫌な思いをさせないかしら……」

「んん……? リトリア……?」

「ねえ、チェチェ。ふたりがいつからお付き合いしてるか、知ってる?」

 知らない。待てどうしてそうなったと呻くチェチェリアに、リトリアは目を瞬かせながら首を傾げる。頑張って泣かないようにしているらしい。忙しなく呼吸をして、リトリアは落ち込みきった声で呟いた。

「昨日緊張してよく眠れなくて……。そうしたらなんだかそんな夢を見て……。そ、そうしたら、だんだん、なんだかそんな気がしてきて……!」

「リトリア。言ったろう。思いつめる前に相談しなさい、と……!」

「ねえ、なんか城一つ滅ぼされそうな怖い会話が聞こえた気がしたんだけど……? なに……?」

 扉を僅かばかり押し開けて顔を覗かせ、震えていたのはレディだった。リトリアは出入り口のすぐ近く、扉が開いても当たらないぎりぎりの場所に椅子を一脚移動させて座っていたから、不運にも聞こえてしまったらしい。

 レディさん、とあまえた声で名を呼ばれて、魔法使いは微笑して頷いた。

「お願い、リトリアちゃん。事実無根すぎて私が死ぬ前に勘違いを正して。火の無い所に煙を立たせないで。しぬから。私が」

「……じゃあ、ひとつ聞いていい?」

「はい、なに?」

 レディはこの後、チェチェリアからリトリアの監視と護衛を引き継ぎ、パーティーに同行する予定になっている。そうであるから魔法使いの正装を身にまとうレディのことを、すこし眩しげに、はにかんだ眼差しで見上げて。

 リトリアはその手をそっと包み込むようにして持ち、ちいさな声で囁きかけた。

「ツフィア、私のこと、好きだと思う……? あの……んと……その、ストルさんより。私の」

「そのストルよりっていうのがどこにかかってくるなんの意味かでまたちょっといろいろ話が違うんだけど、好きだとは……! 思います……! えっなんで手を握ってくれてるの……?」

「……いや?」

 きゅ、と指先に力をこめてうるんだ目で拗ねられて、嫌だといえる相手がいたらつれてきて欲しい、とレディは思った。お前には人の心が存在していないと叫んで殴る為である。

 このこは絶対に私が守ってあげなきゃ、と決意を新たにするレディの手を、きゅむきゅむ握って。リトリアはくすぐったそうにはにかみ、緊張を解した微笑みを零した。

「レディさんにちょっと甘えたい気持ちだったの……。ありがとう」

「チェチェお願い私に惑うなしぬぞって言って!」

「リトリア、無差別に事案を発生させるんじゃないと朝から言っているだろう……?」

 レディ頑張って耐えろ死ぬぞ、と真顔で告げられて、魔法使いは無言で深く頷いた。リトリアはぷぅっと頬を膨らませてレディの手を離し、うさぎをもちもちと抱きなおす。

「うさぎちゃんだけがぎゅってさせてくれる……」

 うさちゃんかわいい、すき、と鼻をすすって、リトリアは頬をもちもちとうさぎに擦り付けた。しゃがみこんで呻いて復活して立ち上がる、落ち着きの無い動きをして、レディはきりっとした顔でチェチェリアに向き直った。

「聞きようによってはウィッシュさまに飛び火しかねないから、早急に名前をつけてあげたほうがいいんじゃないの」

「私に言うな、レディ。リトリアに言え」

「……うさぎちゃん、っていう名前だもの」

 リトリアは己の下に現れた妖精の呼び名を、『妖精ちゃん』にする感性の持ち主である。もっと他の名前にしなさいと諭されて、リトリアはもちもちうさぎと見つめ合った。

 真面目に考えても、それといって思いつくものがない。ソキちゃんはなんでアスルってつけたのかしらと思い、はた、と別のことに気がついて、リトリアは助けを求めてあたりを見回した。

「あの、あの……! パーティーの間、このこどうしよう……!」

「連れて行けばいいんじゃないか……?」

 この様子では、置いていくと気になってしまうに違いない。優しく微笑みながら促すチェチェリアに、リトリアはでも、と口ごもった末に、視線をそろそろと己の殺し手へ向けた。

「……レディさん」

 お願い、うさぎちゃん持ってて、とお願いされて、レディは力なく頷いた。頷くしか選択肢が無かった。

 ちなみにリトリアがパーティーに行くにあたってツフィアとストルをそれぞれ指名したのは、一通り終わったのち、話し合いの場が持たれるからである。そこに立ち会うのもレディだった。

 楽音の魔術師たちが、次々とレディの肩を叩いて労をねぎらう。でも誰も変わってはくれないのよね、と呟くと、全員にさっと視線を反らされた。溜息が出る。

 窓の外は夕陽のいろに染まっていた。なにもかもが紅に塗りつぶされる一時が終われば、世界には夜が来る。レディ、と誰かに呼びかけられ、魔法使いは視線を外から引き剥がして振り返った。

 ツフィアの支度が終わったらしい。分かったと返事をして、リトリアに手を差し出す。行こう、と告げればリトリアは真剣な顔で頷き。ひとりで座っていた椅子から、ようやく立ち上がった。


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