祝福の子よ、歌え 13
砂漠の首都へ到着するまで、蛇行し遠回りする道筋で、あと一週間。残り二つの都市と一つのちいさなオアシスを残し、リトリアはお風呂へ放り込まれていた。
連続して移動すると熱を出すでしょう、と頑なに休養日をなくそうとしないラーヴェに、朝起きるなり今日はゆっくりお手入れをさせてくださいね、と告げられた為だ。
確かリトリアは差し迫った危機の為に一刻も早く首都に到着しなければならず、その為に楽音から逃亡している筈なのだが。何回、どう考えても、その筈だったのだが。
色とりどりの花びらがたっぷり浮かんだ、いいにおいのするお風呂に浮かびながら、リトリアはなんでこんなことになってるんだっけ、という、最近一日四回は考えている疑問に取り組んだ。
ラーヴェの老後の楽しみのせいである。おおきくなりましょうね、と健康を願ってたっぷりの休養と食事を与えられているせいである。八割九割それである。ちょっとよくわからない。
お風呂から出ると待ち構えていた女性たちにもみくちゃにされながら、リトリアは懸命にそれを訴えた。
先を急いでいてこんなことしている場合じゃないんです、と告げた言葉をあれよあれよと転がされ、聞き出され、リトリアはいつの間にか暖かい薄荷湯をすすりながら、だってストルさんとツフィアはほんとうは私のことが好きじゃなかったんだもん、という所にまで辿りつかされていた。
どういう道筋でそこまで聞き出されたのか全く思い出せないのだが、気がついたらそういう話になっていた。てきぱきとリトリアの髪を結い上げていた女性が、うぅん、と笑みをたっぷり含んだ声で笑う。
「勘違いですよ?」
一言である。うんうん、と頷く世話役の女性たちに混じって、いつの間にかラーヴェの姿もあった。ものすごく微笑ましそうに笑っている。
リトリアは、いいですか終わるまでは動かないでじっとしていてくださいね、と告げられた椅子の上でもちもちうさぎをぎゅうううぅっと抱きしめ、そんなことないです、と言った。
「えっと、えっと、私……私、予知魔術師っていう、えっと魔術師なんですけど……! 予知魔術師って、あの、やろうと思えばなんでもできて……!」
「はい。それはすごいですね」
「ラーヴェさんたら絶対信じてくださっていないでしょうー!」
ソキ、なぁんでもひとりでできるんですよぉ、すごいでしょうえらいでしょう、えへへん、とふんぞり返るソキを褒めるロゼアと、同じ眼差しをしていた。
ほ、ほんとうだもん、できるんだもん、といじけた声で抗議するリトリアに、ラーヴェは穏やかな声ではい、と言った。
「そうですね、できるんですよね。ちょっと魔術が苦手なだけで。……それで?」
「苦手でもないんですってばぁ……! ここ何日かは熱だしたり、眩暈したりとかもしてな」
「ここ何日かは?」
ぱっ、とリトリアは口元を両手で押さえ、ラーヴェから視線を反らした。体調を崩すので勝手に魔術を使いません、という約束を療養中にさせられていたからである。リトリアはそれを忘れていた訳ではない。
ただ、こっそり使って大丈夫だったので、以後も内緒にしていただけである。だって近くなってきたから心配で、ともそもそ言い訳をするリトリアに、深く息が吐き出される。
「あの熱は……それでか……」
「ご、ごめんなさい……。近くなってきたから心配だったの。最近はなんだか体調もすごく良いし、大丈夫かなって……」
「普段からあまり体調が良くおられない?」
定期的に『学園』を訪れることさえできていれば、リトリアはソキよりずっと元気である。それを伝えるとラーヴェは輝かんばかりの笑みでよく分かりましたと告げ、今日はお手入れが終わったらお昼寝をしましょうね、と言った。
もはや決定事項を通達する響きだった。ソキちゃんみたいに、あんなにたくさん寝なくても大丈夫なんです、という訴えは聞こえないふりで流される。
「それで? 魔術がどうされたんでしたっけ……?」
「も……もう勝手に使ったりしません……。ラーヴェさんがちゃんと隠してくれるって、もう分かったもの……」
「……はい。偉いですね」
ようするにそれまで、本当には信頼していなかったということなのだが。信頼することができたので。もうしません、と告げたリトリアに、男はうっとりするほど甘く、柔らかく、嬉しそうに微笑した。
実際、ラーヴェはリトリアを隠すのが上手かった。リトリアが魔術を使って行っていた視線や意識の誘導、かく乱を、立ち居振る舞いと、話術。微笑みひとつでやってのけた。
各都市、様々な場所に知り合いがいる男は、その知名度の高さを利用して、注意や視線を己の身に集めたのだ。時に、旅装の中へリトリアをやんわり抱き寄せて隠して。
私の老後の楽しみは恥ずかしがり屋なものでね、と囁かれるだけで、魔法のように人々はリトリアから意識を反らしてくれた。
端整な顔の使い方を、ラーヴェは完璧に理解していてやっている。それなのに。
「……気分はどうですか?」
赤くなったリトリアに触れて熱を探る手は、少女が己に照れたりどきどきしたりしている可能性ではなく、不意の体調不良を案ずるものだった。
ソキちゃんの気持ちがすごくよく分かったと胸に手を押し当てて深呼吸し、リトリアはぐいぐいとラーヴェの腕を押しやった。
「あんまりたくさん触っちゃだめ……」
「ん? ……嫌になりました?」
「間違ってどきどきしちゃったらどうするんですかぁ……!」
ストルは見る者の胸を男女関係なくときめかせるような綺麗な青年だが、ラーヴェのそれは、リトリアには種類が違うように思えた。あまく、やんわり、惑わされる。気がつけば虜になっている。そういう魅力がある美丈夫だった。
だめですストルさんとツフィアひとすじだもの、ほんとだもの、と目をうるませて抗議するリトリアに、ラーヴェはひとすじとは、と言いたげな顔をしたものの、すぐに肩を震わせて楽しげに笑う。
体温を。すこしだけあげるような、笑顔。
「どきどきするの?」
「聞いちゃだめえぇっ……! う、うぅ、ストルさんよりいじわる……! ……あれ? でもストルさんのほうがいじわる……?」
系統が似ているような気がして、リトリアはじわわわわっと涙ぐみ、ふるふると首を振った。怖いから気がつかなかったことにして、ぎゅ、ともちもちうさぎを抱きなおし、気を上向かせる。ふふ、とラーヴェに笑われた。
「うさぎは気に入りました?」
「うううぅうぅ……!」
真っ赤になって涙ぐんでラーヴェをぽかぽか叩いた後、リトリアは笑いをこらえていた髪結いの女性に、頬を膨らませて言いつける。
「いじわるをされます……!」
「ええ。いけない方ですわよねぇ……」
溜息をつかれた。それだけだった。
あの方ちょっと自由なのですわ、許してさしあげてね、とラーヴェを追い出した女性に囁かれ、リトリアはこくこくと頷いた。落ち着きをなくした心臓をなだめながら、リトリアはようやくゆっくり息をして、室内に視線を走らせる。
天井の高く作られた、脱衣所めいた空間だった。棚には編み籠がいくつも置かれ、硝子戸で区切られた次の間は湯殿である。床はやわらかな布が幾重にも重ねられた作りで、椅子から降ろした足先をふわふわと受け止めた。
転んでも痛くなさそう、とふと思う。
「さ。いじわるさんは追い出しましたし、お手入れの続き、致しましょうね!」
「……しないとだめ?」
「わたくしたちがするか、ラーヴェと交代するか、です」
しない、ということにはどうしてもならないらしい。リトリアはくちびるを尖らせながら、ラーヴェの出て行った方角へ視線を投げかけた。
「ラーヴェさんもおていれ、できるの?」
「できると言うか……そうですねぇ。趣味と生きがいではあると思いますけれど、職にしようと思えば簡単なことですかしら」
ですのでお望みとあらばすぐ呼んでまいりますと微笑む女性に、リトリアは頬を赤く染め、ふるふると勢い良く首を振った。ちょっと考えただけでも緊張と恥ずかしさで息が難しくなりそうなので、全力で遠慮しておきたい。
うさぎをもぎゅもぎゅ押しつぶしていじめながら、リトリアは深く息を吐き出した。
「もしかしてラーヴェさんにもしちゃってるのかなぁ……」
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