祝福の子よ、歌え 14
「なにをですか?」
「……予知魔術師は、魅了ができるの」
ストルさんとね、ツフィアにね、私はずっとしちゃってて。だからなの。それでなの。それでね、うんと注意しているんですけど、もしかしてラーヴェさんにもしちゃってるんじゃないのかと思うの。
たどたどしく、やや涙ぐみ気落ちしながら呟くリトリアに、女性たちはあらあらまあまあ、と微笑ましく視線を交わし。のち、しっかりと頷いた。
「勘違いですよ?」
「えっ。で、でもでも、あのね?」
「いいですか、リトリアさま。わたくしどもが、こうして魔術師の方にお目にかかるのは、はじめてのことです。ですから、魔術を使ってどうこう、という専門家ではございません。ですが、こと、魅了、というものについて、わたくしどもは、よぉく知っておりますのよ」
ひとことを大切に、受け渡すように。手の中にそっと包ませるように。穏やかに、やさしく、語りかけられる言葉だった。
「ご安心くださいね。ラーヴェは元が自由なだけですわ。あれは性格ですの。……困った方」
「それに、リトリアさまが仰る方々も。決してそんな風にはなっておりませんわ。ご自身の意思で、リトリアさまを大切にされているだけですのよ」
「……理由が、なくても?」
いまひとつ腑に落ちないが、ラーヴェに関しては本人が老後の楽しみだと言ってはばからないので、もうそういうことにしておくとして。ストルとツフィアのそれを、信じられないでいる。
信じるのが怖かった。疑っていることを、はじめて受け入れる。信じていないことを。愛情も、好意も、優しさも、すべて。信じたいと思う、と感じることで、もう本当は疑っていた。目隠しを続けたそれに、はじめて手を伸ばす。
「ふたりに好きになってもらえる理由なんて、なにひとつ、私は持っていないのに……?」
「では、リトリアさまの理由は?」
おふたりをどんな理由で好きになられたの、と問う声は、リトリアを咎めていなかった。なにひとつ。責めずに、ただ、待っていてくれた。そんなの、とリトリアは涙の滲む想いで目を伏せる。
出会いの記憶は宝石の欠片のよう。心の一番やわらかな場所に、眠らせながらそっと置いてある。いつでもそれに巡り合える。新緑。光が降り注いでいた。寮と学び舎を離れ、満ちた光の降り注ぐ場所で、リトリアはひとりで泣いていた。
誰かを求めていたわけではない。呼んだつもりもなかった。けれど、足音がして。未だ知らぬ名を、呼びかける言葉を持たぬ声がして。振り返って、目が合った。ふたりに。その瞬間に、突き落とされるように恋に落ちた。
運命だと、思った。ずっとそう思っていた。だから。
「わたしの、理由……」
そんなものは存在さえしていない。理由があるとすれば、もし、あるとするのならば。はじめてめぐり合った時から、好きだと思った。第一印象からの、本能的な好意。それだけだった。
「理由、ないです……。好きなの。傍にいたいの。大好きなの。……好きに」
なってほしかった。囁く望みの言葉をくちびるに力をいれることで殺し、リトリアは何度か瞬きをして、浮かんできた涙をもこらえきった。荒れた感情を深呼吸で押さえつける。
内側にある魔力は水面を揺らすだけで、零れ落ちていく気配は感じ取れない。ほ、と息を吐いた所で、笑み交じりの声が囁いた。
「ね? 理由がなくても好きにはなれますでしょう?」
「でも……傍に、いてくれなく、なっちゃったの……。もう、いや、って」
言われたのだろうか。本当にそれを言われたのだろうか。それを考えるたび、気持ちはそこで立ち止まる。違う、と思いたい。言われていない、と思っている。それなのにインク染みのように広がる記憶が、リトリアの気持ちを何度でも否定した。
言われた記憶が、ある。リトリアに、それはあるのだ。ストルは言っていない、と言ったけれど。ツフィアの腕はリトリアを抱き返してはくれなかった。言葉魔術師は、予知魔術師の影響をある程度受けにくい。ある程度、までなら。
深層に染み込んだ予知魔術、呪いじみた魅了に対する反発であるとするなら、それこそが答えだ。記憶が正か、想いが正か。正しいものを考える。否定をするものを。否定しなければいけないものを。
なにが間違いなのかを。
「それから、ずっと会えなくて……会っちゃいけなくて……でも、会ったら、ストルさんは好きって。俺のリトリア、って、いうの。ずっと傍にいてって、わたし……私が、お願いした時、には、だめって。でも、そういうの。だから」
「お傍にいられない事情があったのではなくて? 例えば、どなたかからそうご命令されていた、ですとか。……会ってはいけない立場にならざるを得なかった、ですとか」
「……会ったら、いけないのは、だって」
それはリトリアが選ばなかったからだ。ストルを殺し手として、ツフィアを己の守り手として。この世のなにもかもを退けてでも傍にいて欲しいと望む手を、ふたりに伸ばさなかったからだ。
考え、口に出そうとして、リトリアはざっと血の気の引く音を聞く。会えなくなったのは、会ってはいけないと告げられたのは、いつだっただろうか。仮決定ではなく、ほんとうに、五王の許可の下に命令が下されたのは。
ふたりの卒業が決まって、リトリアが呼び出されて、そして。意思確認をされた後。誰もなにも選ばなかった後のこと。リトリアの選択が、ツフィアとストルを今の立場に突き落とした。
それをツフィアがうらまないでいると、どうして言えただろう。ストルがそれを、厭わないでいると。
それで、どうして。好きでいてくれるだなんて思えたのだろう。
「だって?」
「……だって、やっぱり、魅了しちゃうからで……しちゃってるんだと思うの……」
いじいじ、指先を擦り合わせながらかなしげな声で呟くリトリアに、女性たちはあらあらと視線を見合わせた。ひとりが問う。
「リトリアさま。ちなみに、会われなかった期間というのはどれくらいですの? 一週間? 半月ほど? それとも、まさか、一月以上?」
「ううん? えっと、えっと……二、三年、くらい」
「……そのおふたりに会われた時、正気でらした?」
ひきつったような沈黙の後に重ねて問われて、リトリアは眉を寄せながら一応考え、こくりとばかり頷いた。
ストルはちょっと怒ったり不機嫌だったり、目が怖かったりしたこともあるが、すこしすればいつもの、記憶にあるようなやさしい、甘い笑みでリトリアに手を伸ばしてくれたのだし。
ツフィアも早足に立ち去ってしまった以外は、ふつう、であるように見えたからだ。切れ切れの言葉でなんとか説明すると、髪結いの女性はおおげさなまでの仕草で胸を撫で下ろし。
全身全霊の気迫を込めて、しっかりと頷き、リトリアを見た。
「魅了されておりません。ご安心なさって?」
「え、えぇ……?」
「そんなに長期間正気を保っていられるのであれば、間違いはありません。よろしいですか? 無理です。まず無理、ではなく。決して、望みなどなく、不可能、という無理ですわ」
リトリアはちらっと、『学園』に戻れなかった期間のソキのことを思い出した。たった数日でみるみるうちに体調を崩してやつれていく様は見ているだけでも切なかったが、それを語ったリトリアに、チェチェリアは達観しきった笑みで頷いた。
離れていた間のロゼアのことを、チェチェリアはなぜか話そうとせず。深く息を吐いて、落ち着いているように見せかけている、のがこちらに分かるくらいの状態だった、とだけ言った。
ロゼアくんもしかしてちょっと危なかったのではないかしら、と思い悩むリトリアの頬を、化粧筆がこしょこしょとなぞって行く。
「もう。どうしてそんなに魅了しているところから離れたがりませんの?」
「だ、だって、だってぇ……! ストルさん、私が言って欲しかったこととか、言ってくれるのに、だめって言ってもやめてくれなかったりするし……! えっとえっと、この間も、その、怖い? って聞いたのに教えてくれなくって、ツフィアにぎゅっとしたら、ふたりで何処かへ行っちゃったし……! ツフィアはほんとうに久しぶりに会ったのに……ぎゅっとして欲しかったのに……」
昔はぎゅっとしてくれた気がするのに、と鼻をすすって呟くリトリアを囲みながら、女性たちは大まかに察した、というような笑みを交わして頷きあった。
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