祝福の子よ、歌え 11
「やさしくしてくれて……嬉しかったの……。あの、私ね、すぐね、甘えちゃうんだけどね……。ラーヴェさんも、ね。甘やかさないでって、言った時にね。甘やかすんじゃなくてね……」
「はい」
零れそうな涙を、女性の指先が拭っていく。しゃくりあげて、きゅ、と目を閉じて。リトリアはどうにか、言葉の続きを吐き出した。
「やさしくしてるだけですって、言ってくれたの……。嬉しかったんです……」
「甘えるのはいけないんですか?」
「じりつ……自立しなさい、って。怒るの……。わ、私も、ちゃんとね、もっと強く、なって。だからね、甘えるのはおしまいで、自立を頑張らなければいけないの……」
だから泣くのもいけないの、と呟くリトリアに、吐息に乗せて笑う気配がする。仕方のない方、と告げられ、リトリアはやんわりと抱き寄せられた。ぎゅう、と力が込められる。おひさまのにおい。
「ラーヴェの言った通りですわね……。あなたはもうすこし、御自分に自信を持たなければ」
「自信……?」
「大切にされている自信。自負。あなたに今必要なものです。……まあ」
ラーヴェはそのあたりが得意分野ですから大丈夫でしょう、と囁いて、女性はリトリアから離れ、立ち上がった。よろしければ他の者にも出発前に声をかけてあげてください、と告げられ、リトリアはおずおずと頷いた。
椅子から立ち上がろうとすると、手を繋がれたままであったことに気がつく。えっと、と戸惑うリトリアにただ笑って、女性は手を引いて歩いてくれた。ソキちゃんと違ってひとりでもちゃんとあるけます、と言っても。
そうですね、と笑って。出発の寸前まで、離されることはなかった。
もちもちうさぎをリトリアが背伸びしてもぎりぎり届かない高さに持ち上げ、ああでもいらないと仰ったのでしたっけと残念そうに息を吐き出されるに至って、リトリアは確信した。正直に口に出す。
「ラーヴェさん、いじわる……!」
「なにを仰います。無理強いするのは忍びない。それだけのことですよ」
「う、うぅ……ううぅ……!」
えい、と飛んで手を伸ばしてみても、微笑んですっと上に持ち上げられたのでやはり届かなかった。元からある身長の差が邪魔をして、どうすることもできない。ふたりの他は誰もいない砂漠の只中であるから、助けを求める相手もいなかった。
岩陰で、駱駝がのんびりと腰を下ろしてあくびをしている、休憩中のことだった。すこし午睡しましょうと微笑まれ、もちもちうさぎを即座に取り出されて、これである。
リトリアは砂の上に広げられた分厚い布の上にしゃがみこみ、端の方を指先でいじいじと突っついた。
「おや、どうされました?」
白々しいことこの上ない。しゃがんで目の高さを近くしながら微笑まれて、リトリアはむくれながら両腕を広げ、差し出した。
「うさちゃんください……」
「やっぱり、欲しい?」
「だってぎゅっとすると気持ちいいんだもの……」
そうですか、と微笑んで、ラーヴェは穏やかにリトリアを見つめている。しばらく無言で見つめ合って、首をかしげて思い至り、リトリアはくちびるを尖らせ付け加えた。
「欲しいです。いじわるしないで……!」
「はい。欲しい、とは仰られなかったものですから」
ようやっと腕の中にもちもちうさぎを与えられ、リトリアは口元を緩めて安堵した。ぎゅっとして頬をくっつけて堪能しかけ、はっと気がついて顔をあげる。なんだかうっとり見守られていた。
あう、うぅ、と顔を赤くしてもじもじとなにか言いかけ、リトリアはうさぎに顔をうずめて訴える。
「自立が……自立が、邪魔をされている気がするの……」
「気のせいです。さ、お休みの時間ですよ」
「寝かしつけられなくても、ひとりで眠れますったらぁ……!」
はいはいそうですね、偉いですね、と微笑まれながら、リトリアはころんと横にさせられた。柔らかな綿の入った薄い敷布を、さらに広げられた上。頭は自然と抱き寄せられ、あぐらをかいた脚の上に乗せられる。
岩陰は涼しく、心地いい風が時折過ぎていく。頭を撫でる手が、気持ちいい。瞼を閉じる。ふあ、とあくびをして、リトリアは膝に頬をこすり付けた。
夕方から夜に変わる頃にちいさな都市にたどり着き、移動駱駝を預けてから宿までは徒歩で移動した。人々が家路を辿る時間であった為、はぐれると危ないからと手を繋がれ、導かれる。
茜が長い影を引く道をゆっくりと歩いて、リトリアはなんだか泣きそうになった。暗くなりきる前の道を、そういう風に歩くのは初めてのことだった。ただ、守られながら。どこかへ帰ろうとしている。
それはたぶん、リトリアがずっと欲しかったものの、ひとつだ。だから、路地のひとつに視線を流し、市がありますが寄って行きましょうかと告げられても、リトリアは胸がいっぱいで、ただ首を横に振った。
欲しいものはいま、もう、そこにあった。
「なにもありませんか?」
「んと……。じゃあ、あの、すこしだけ……」
ほんのすこしだけ、遠回りして。ゆっくり歩いて行きたいです、と。ぽそぽそと響かない声でねだったリトリアに、ラーヴェはあまく微笑して息を吐き出した。
「散策がお好きですか?」
「……うん」
「……そうですか」
吐息に乗せてまた、すこし笑われる。泣きそうな目元をてのひらが撫でて拭い、そのまま額と頬に押し当てられた。鼓動と熱を確かめる仕草。乱れた髪を整えてから、またゆっくりと歩き出される。
夕暮れが背を追いかけてきても、もう、さびしくはなかった。
夕食の間にちらりとよぎり、湯を使っている間に考えた疑問を、リトリアは尋ねてみることにした。
「ねえ、ラーヴェさん」
はい、と柔らかく響く声は背中側から響いてくる。部屋へ戻ってきたリトリアを椅子に座らせ、男は先程からずっと、少女の髪の手入れをしているのだった。
どれがお好きですか、と差し出された香油から、瑞々しい果物の香りがするものを選んだので、なんだかすこしおなかがすいてくる。ぐうっと鳴りませんように、と祈りながら、リトリアはおなかにぺたんと手を押し当てた。
「私、ソキちゃんに似ていますか?」
「いいえ?」
思いっきり楽しそうに、声が笑っている。どうして、と問うのに振り向こうとすれば、前を向いていてくださいねと告げられたので諦め、リトリアはきゅぅと眉間にしわを寄せる。
「だって……こんなにしてもらう理由、なにかなって……アーシェラさんにもお聞きしたけど、よく分からなくて」
「アーシェラはなんと?」
「……ラーヴェさんの。ろうごのたのしみ?」
笑われた。それも声をあげて思いきり笑われた。もおおっ、と顔を真っ赤にして振り返れば、男は楽しげに碧の瞳をきらめかせ、肩を震わせながらも息を整えようとしている。その顔を、思わず見つめて。
頬を染めてもじもじしたのち、リトリアはぽそ、と呟き落とす。
「……やっぱりソキちゃんのおとうさ」
すかさず、もにっと頬を両手でつぶされる。微笑で反省を促されたので、リトリアはちょんっとくちびるを尖らせた。
「教えてくれたっていいじゃないですか」
「そうですね……。砂漠では行き倒れた方を、砂獣の恵みとして手厚くもてなす風習があります。ご存知ですか?」
「え、えっと……? さじゅう? ……幻獣、ですか?」
教えて欲しいのはそっちじゃなかった。戸惑うリトリアを前向きに座りなおさせながら、ラーヴェは子守唄を紡ぐような声の響きで語っていく。むかしむかし、から始まる物語は、世界が分断される前からはじまっていた。
砂漠を放浪する民に安住の地はなく、水や果物に溢れた祝福の地は古から生きる獣たちの土地であった。ある時、疲弊した砂漠の民のもとに獣が訪れ、こう言った。お前たちの所有するうつくしい宝石と引き換えに、豊かな地で生きることを許そう。
宝石。一対の男女。親子であったとも、兄妹であったとも、夫婦であったとも、伝えられている。
その身と引き換えにして、砂漠の民はオアシスを手にいれた。石と砂ばかりの地をさ迷う生からは、開放されて。
「砂の地に倒れる者は、連れ去られた砂漠の至宝、宝石の末裔であるやも知れぬ。ですから、大事になさい、という……御伽噺です」
「……でも、御伽噺でしょう?」
「ええ。砂漠の者なら誰でも知っている、寝物語のひとつです。……さあ」
髪飾りはどれにしますか、と膝の上にぽんと紙の箱を乗せられて、リトリアは体を椅子の背もたれに預け、頭をラーヴェにくっつけた。さかさまの上目遣いに、にらむ。
「荷物の中にありましたっけ。なかったでしょう……? これ、さっきお店で飾られてた気がします……!」
「老後の楽しみなものですから。選んでいただけますね?」
つい先程は思いきり笑っていたくせに、男はそれをリトリアをかまう理由として使うことに決めたらしかった。男の手がゆっくりと、リトリアの髪を撫で、慈しむ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます