祝福の子よ、歌え 10


 ラーヴェさん、ロゼアくんに似てるんだ、とリトリアが気がついたのは、保護された家をふと見上げた時だった。かれこれ半月以上お世話になった場所であるのだが、こうして外観を見上げるのは初めてのことである。

 ちょっと魔術を使っては熱を出し、あれこれ思い出してヘコんでは熱を出し、を繰り返していたリトリアは、基本的に寝台から動かしてもらえなかったせいだ。

 四回目の発熱の世話をしながら、いいこで眠りましょうねと微笑んだラーヴェの表情は穏やかだったが、有無を言わせないものがあった。いいこ、というのはつまり、絶対安静のことである。

 それに気がついたのは、室内にひとりになって暇を持て余したリトリアが、本棚から一冊を持ち出して窓辺に椅子を置き、読書していたのを発見された時だった。

 水や食料、こまごまとした身の回りのものを腕いっぱいに抱えて戻ってきたラーヴェは、特に怒りはしなかった。ただ無言でリトリアからひょいと本を取り上げ、いいこにしているといいましたよね、と微笑んだ。

 寝台から抜け出すのと読書は、同じ室内にいてじっとしていても、いいこには該当しないらしい。リトリアはあれよあれよという間に寝台に連れ戻され、薄桃色のうさぎの抱き枕を与えられ、寝かしつけられた。

 実はこっそりひそかに、ソキちゃんのアスルいいな、ぎゅっとしてみたいな、と思っていたリトリアは一応、私そんなにちいさいこじゃないですと抗議したのち、それを抱きかかえて眠りについた。

 もちもちの柔らかな抱き心地で、おひさまのにおいがして、とっても気持ちいい抱き枕だった。ひがないちにちぎゅっとして療養に努めていたせいで、最近のリトリアは、寝る時にそのうさぎをぎゅっとしないと落ち着かないようになってしまった。

 恥ずかしいのでその事実は内緒にしていた筈なのに、ラーヴェが手際よく積み込んでいく荷物の、それも取り出しやすい位置に、うさぎの耳がはみ出ている。くちびるを尖らせて、リトリアはととと、とラーヴェに走り寄った。

「余計な荷物は、いけないんじゃなかったんですか……!」

「ん?」

 にこにこ笑いながらしゃがみこんだラーヴェは、リトリアがなにを言いたいか、すぐに分かったのだろう。はみでた耳をちらりと見たのち、微笑ましそうにゆっくりと一度、頷く。

「ああ。やはり抱いていきますか?」

「ち・が・い・ま・す……! もう、ラーヴェさん? 私、十六だって言ってるじゃないですか……! そん、そんな、ぎゅっとしないと落ち着かないこどもじゃないですったら……!」

 ふふ、と控えめな笑みをこぼされ、大きな、あたたかな手で頬を包まれる。宥めるように。こつ、と額が重ねられて、至近距離から語り聞かされた。

「でも、よく眠っておいででしたよ。今日の朝も。大変可愛らしかった」

「そ、そういうことを言わないでったらぁ……!」

「はい、はい。さ、もうすこし出発には時間がかかりますから、どうぞ彼らに挨拶を」

 くるんと体を反転させられ、背を押された先、道に面した前庭には簡易的な机と椅子が並べられ、お茶の場が整えられていた。朝の清涼な風に乗って、リトリアの好きなお茶のにおいがふわっと漂ってくる。

 とと、と踏み出しかけて、リトリアははっと立ち止まった。

「準備! 私もします!」

「お気持ちだけで。昨夜十分手伝いはして頂きました。ですので、どうぞ」

 手伝い、と言っても。自分の荷物をまとめただけである。なぜか持ってきた服が総入れ替えされていたり、空になっていた飴や携帯に適した菓子類が補充されていたり増えていたり、色々と腑に落ちないことが山積みであったのだが。

 今だってリトリアの着ている服は、髪飾りから靴に至るまで、倒れて拾われるまでのものとは違っている。長袖の白いシャツこそ地味だが、柔らかく肌触りの良い生地は着ていてとても気持ちが良い。

 袖口のボタンはどれも花の形をしていて、光を弾くときらきらと輝いた。その上からかぶせられたキャミソールのワンピースはこげ茶色で、リトリアの体の線をするりと撫で下ろし、足元までを隠している。

 ワンピースの胸元や裾には生地と同じ色の色で細かな模様の縫い付けがあり、動くとようやく、靴の先だけがちらりと覗く。

 あいらしく丸みを帯びた革靴は見かけに反してしっかりとしていて、それでいて軽く歩きやすい。しっかりと結ばれた紐は銀のきらめきを帯び、同じものが、リトリアの髪にも揺れている。

 編みこまれ、きちっと整えられた髪に手を添えながら、リトリアはもじもじと、立ち上がったラーヴェを見上げる。なにか、と言うように微笑んだ男の視線が、ちらり、少女の胸元へ向いて。くす、と笑われた。

「はい、よくお似合いですよ。偉いですね。……可愛らしい」

「きっ……気がついちゃだめ!」

「そう仰られましても」

 胸用の下着がないことに気がつかれてすぐ、リトリアはラーヴェに、理由をやんわりと問い詰められていた。それに、ソキちゃんみたいにないからやだつけない、と拗ねた返事をしたのがいけなかったのだ、と思う。

 すぐに女性陣に服をぺいぺいひん剥かれ、事細かに測定され、その日の夜には下着がひとそろえ用意されていた。ちょっと意味が分からなかった。

 あれ私いまなにをしてどこにいてなにをしようとしているんだっけあれ、と涙ぐんで混乱するリトリアに、ラーヴェはあなたはもうすこしご自分に自信をつけましょうと告げ、微笑みながらきっぱりと言い切った。

 そのままでも十分愛らしいですが、とてもよくお似合いになると思いますよ、と。

 つけろ、ということである。そこまでされて言われて、なお拒否する理由までは、リトリアも持っていなかった。

 なので仕方なくつけたのだが、それからというもの、ラーヴェは非常に事細かにリトリアを褒めてくるのである。恥ずかしさとくすぐったくてしにそうになりながら、リトリアは悟った。

 ことあるごとにソキちゃんが褒めてって言って来るのはこれが普通の環境だったからだ、と。たぶんこれで育つと、褒められないと落ち着かないようになって、不安になって、そわそわする。

 足元をふらつかせながら前庭の席までたどり着いたリトリアに、華やかな印象の女性が肩を震わせて笑う。面差しがすこし、チェチェリアに似た女性だった。

「どうされました? ラーヴェがなにか?」

「……あんなにすぐ褒めなくていいです」

「ですが、今までされていなかったのですもの。わたくしがなにも言わずともつけて頂けるようになって、とても嬉しいですわ。偉いですね」

 しあわせそうにとどめをさされて、リトリアは胸に両手をあて、涙目でふるふるした。なんでここのひとたちは、息をするように褒めてくるのか。音のでない足運び、体の動き。やんわりと響く声や、向けられる微笑の雰囲気。

 やっぱりロゼアくんに似てる気がする、と思いながら、リトリアは改めて、女性に対して頭を下げた。

「お世話になりました。全部終わって、落ち着いたら、お礼をさせてください」

「お気になさらず。ラーヴェの老後の楽しみだと思われて?」

「ろぅ……ろうご?」

 あんまり似合わない単語だったので、聞き取れても漢字を当てはめる所まで持っていけない。ラーヴェはどう年齢を上に見ても三十代半ばの、ちょっと落ち着きをなくさせるくらいの、精悍な美丈夫である。

 ろうご、と思わず繰り返すリトリアに、女性は微笑んで頷いた。

「ひさしぶりに貴人のお世話をさせて頂きまして、わたくしどもも大変楽しかったですわ。ですので、お礼など……わたくしどもの趣味に巻き込まれたのだとでも思って」

 もしかしてたいへんなひとたちに拾われてしまったのではないかしら、とリトリアは思った。薄々、なんだかそんな気はしていたのだが。どういう人たちで、どういう場所であったのかも、リトリアは聞きそびれていて未だに知らないままだ。

 身を休めるには十分過ぎる程、整った家であるのに。妙に生活感のない場所であったのだ。ちいさな二階建ての家は、別荘のような雰囲気をたたえている。指先をもじもじ擦り合わせて、リトリアはちょっとうつむきながら、問いかけた。

「アーシェラさんは、その……ソキちゃんの、ご実家の……『お屋敷』の、方、ですか?」

「はい。ラーヴェの補佐をしておりました」

「このお家と……んと、皆、そうなんですか……?」

 つたない問いの意味を取り違えることなく、女性は微笑み、はい、と頷いてくれた。そうなんだ、とようやく身の置き所を見つけたほっとした気持ちで、リトリアは息を吸い込んだ。

「じゃあ……んと、えっと……。『お屋敷』を、お尋ねすれば、アーシェラさんには会える……?」

「わたくし?」

「だ、め……? その、もし、ご迷惑でなければ……。お手紙だけでも……」

 全部終わって落ち着いたら、ありがとうと伝えさせて欲しい。それで、やっぱり、あの、お礼もちゃんとしたいですし、えっと、と口ごもるリトリアに、女性はすっと立ち上がった。

 机を回り込んでリトリアの前にしゃがみ、両手を握って下から顔を覗き込んでくる。今にも、ごめんなさい、と言いそうなうるんだ目。リトリアは何度も瞬きをして、息を吸い込んでは口を閉ざして。

 やがてかぼそい声で、だって、と言った。

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