祝福の子よ、歌え 09


 窓の外で繰り広げられる小規模の運動会めいた光景を眺め、ストルは懐かしいな、と口元を和ませた。毎年、初夏の頃に行われる測定ごとは、もちろんストルにも覚えがあるものである。

 当時の担当教員から、どんな手を使ってでもいいから短距離走で八位を狙ってねと微笑まれたことまで連鎖的に思い出し、やや遠い目になる。言われた時にはこのひとはなにを言っているんだと思ったものだが、それもまた、魔術教育の一環である。

 未来を読み、道筋を読み解く。予想し、予測し、可能性の糸を手繰り寄せ、望む結果へ導く為になにをすればいいのか。どうすればそこへ辿りつけるのか。占星術師としての修練に組み込まれているのが、運動測定の結果だった。

 その為に占星術師だけが後日、改めて再測定されるのだが。

 メーシャはどうだろう、とストルは眼下に愛弟子の姿を認め、申し訳なく微笑んだ。課題を出せていないし、今から告げる手段もない。よって、正確な数値であろうとなかろうと、メーシャに再測定の礼状は届くのだが。

 種明かしをするまでに戻れるだろうか、とストルは星を読もうとした。しかし立ち昇る魔力は形を成す前に崩れて消え、結果を導くに至らない。ストルが軟禁されている部屋には、魔術封じの呪いがかけられている。

 それほど強いものではないので、心身に過剰な負荷がかかることはないが、術式を発動させるのは困難なことだった。ツフィアがいる部屋にも、同じ呪いがかけられているに違いない。

 同じ城内にいることは知らされても。会うことは許されなかった。

 恐らく、ストルとツフィアには同じことが繰り返し問われているに違いない。リトリアの所在や、それについての心当たり。最後に交わした会話や、その時の様子。そして。砂漠の幽閉された犯罪者、シークとの関わりについて。

「シークか、フィオーレに会う、必要が、ある……」

 リトリアは楽音の王にそう告げ、姿を消した。王たちが注目したのが、そこだった。なぜ、その二人なのか。逆に、なぜストルとツフィアではないのか、という点について。

 リトリアが最も心を寄せているのは、今も昔もストルとツフィアの筈、である。それについてはレディも苦虫を顔面にめいっぱい叩きつけられたような表情で証言したし、幽閉されるふたりともが、恐らく、と迷いながらも頷いたことだった。

 リトリアがストルに、ツフィアに向ける愛情はまっすぐだ。近年はなぜか怯え、戸惑われているが、想いに関してをストルは疑ったこともない。ツフィアもそうだろう。だからこそなぜ、ストルとツフィアではないのか。

 俺に関して言うのなら、心あたりがないこともないよ、とフィオーレは言った。五王に召還された尋問の場で。まっすぐに背を正して。

 やましいことがあるとかじゃないんだけど目を合わせたらころされる気がしてツフィアとストルこわい、と涙声で早口に弁明したのち。ツフィアとストルとは絶対に視線を合わせないようにしたまま、言った。

「リトリアが楽音で読んでいた資料からの推測になるけど。その術式を正確に把握、発動、解除する為に、俺か……シークの手助けが必要なんだと思う。シークっていうか、たぶん、言葉魔術師、なんだろうけど」

「……言葉魔術師と、予知魔術師の係わりについては」

 忌々しそうな声と視線、溜息を隠そうともせず。砂漠の王はつめたい目でツフィアを見た後、問いですらない確認口調で、話せないんだったな、と言った。諦めとは違う、突き放した物言いだった。

 シア、と白雪の女王が砂漠の王をたしなめて呼び、紫の瞳でフィオーレを見る。リトリアの、花のような柔らかな色とは違う。透明で硬質な、水晶のような色彩。

「それは、フィオーレ……。いいえ、魔法使いか、言葉魔術師であれば、予知魔術師の助力たりえる存在である、ということなの? それとも、個人的に理由があって、ということ? あの子と……シークは、特別親しかった覚えがないのだけれど」

「リトリアがストルとツフィア以外と、仲良かった、ことなんてないよ」

 ああ、でも最近はソキとは仲良いよね。レディとか、と口元だけの、どこか歪な笑みで。フィオーレは並ぶ五国の王へ、恭しく頭を下げた。

「リトリアは、俺が失わせた彼女の過去に用事があります。……俺の推測があっているとすればね。リトリアが予知魔術師でさえなければ、あのままの状態でも、もうしこし魔術をうまく使えたんだろうけど……」

 魔術っていうのはね、とフィオーレは一礼から、まなざしを、緩く持ちあげながら言った。

「過去がある方が上手に扱えるんだよ。過去っていうか想い出かな。記憶、と言い換えてもいいかも。感情とか、心。そういうのがね、体の内側にしっかり根付いている方が、魔力がちゃんと言うこときくんだよ。別にね、良い想いだけじゃなくても構わない。シーク見てれば分かるでしょ? 憎悪とか、嫉妬とか……殺意とか。その感情の生まれるに至る場所。心に満ちる感情の至る場所。それが、あるか、ないか。リトリアには記憶の出発点がない。そこへ宿っていた感情もない。リトリアが予知魔術師として、あの時から、生きていく為にそれは障害になった。だから俺が取り除いた。でも、リトリアがここから、予知魔術師として歩いて行く為に、それが必要なんだって感じたとしたら? かえしてほしい、って要求されたら? 俺は断りたいけど、拒否し続けられる保証はないよ。まして……」

 ましてやこんな騒ぎを起こしてまで、それを求められているのだとしたら。フィオーレの言葉を完全に理解できた者は、その場にはいなかっただろう。

 抽象的な言葉が描いたのは、物事の輪郭にしか過ぎず。本質へ至らせるつもりがないような。煙に巻きたがるような説明の言葉だった。息を吐き出し、声を発したのは花舞の女王。

「あなたは」

 青薔薇のような声で。囁く女性だった。

「リトリアが、なにを望んでいると……知っているの?」

 それをまっすぐに見返して、フィオーレは言った。

「自分自身を。失われた過去そのものへ至る、記憶の鍵を」

 今は俺たちだけが覚えている、あの時間が欲しいんだよ、とフィオーレは告げて。それ以上を説明せず、呼び出された部屋から退出した。

 ああ、そういえば、といなくなる間際、ようやっと視線をストルと重ねて。いたずらっぽく褒めた言葉を、ストルは思い出す。

「だから、メーシャはすごいと思うよ、か……」

 眼下で駆け回る者たちの中で。視線に気がついたメーシャがぱっと顔をあげ、満面の笑みでストルに手を振ってくるのが見えた。ストルの愛弟子は、いつも光のようで。眩しく、尊く、見つめては目を細めていたくなる。

 嬉しそうにするメーシャに、ロゼアと手をつないだソキがちょこちょこと歩み寄り、ナリアンも走り寄ってくる。ひとりじゃないよ、せんせい。皆がいるよ。そう、囁くように。

 メーシャはやって来たひとを受け入れ、はにかんでいる。ストルは力を抜いた笑みで、メーシャに手を振り返した。




 目を、覚ます。暗闇の中でぼんやりと瞬きをして、リトリアはそっと胸に手を押し当てた。息をするのが、なんだか、すこしだけ楽になった気がする。どこかで、いとしいひとが穏やかな気持ちでいる。そんな気がした。

 それがとても、嬉しかった。たとえそこに、傍に、己という存在がなくとも。

「……起きてしまいましたか?」

 夜に明かりが滲むように。灯りが染み込んでいくように。そっと触れる、声だった。ころんと寝がえりを打って、リトリアは寝台の傍らに椅子を置き、見守ってくれていたひとの名を呼ぶ。

「ラーヴェさん」

「はい」

「……明日から、よろしくお願いします」

 手を差し出せばすぐ、やんわりとした微笑で繋がれる。宥めるように肌を撫でる指。暖かくて、気持ちよくて、ぽかぽかする。ふあぁ、と甘えた響きであくびをするリトリアに、男は静かな声で囁いた。

 明日から、熱を出さなければ。行きましょうね。リトリアは大丈夫ですとくすぐったげに答え、大きく息を吸い込んで、目を閉じた。なにも言わなかったけれど。リトリアがそうして欲しい、と思った通り。

 ラーヴェは手を繋いだまま、リトリアの肩まで布を引き上げ。ぽん、と叩き、おやすみなさいと言ってくれた。


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