祝福の子よ、歌え 08


 でも体型補正としてこういうのもありますよ、可愛いですよ。これなんか絶対に似合います、と冊子を開きながら傍らに座り込んで進めてくれる女性に、リトリアは目を潤ませて問いかけた。

「お胸が……お胸があったら変装の助けになりますか……?」

「……でもまず、ご飯をたくさん食べましょうね。こんなに痩せていては、まるくなる所もなりませんわ。ね? 無理をせず、体調を崩さないように。休み休み向かわなくては」

 ご自身のことをもっと大事にしてあげなくてはいけませんよ、と両手を握って囁きかけられ、リトリアはなんだか泣きそうな気持ちで頷いた。かなしいのではないのだけれど。

 この場所で目を覚ましてから、なんだかずっと、やさしくされているので。すこしのことで、なぜか泣きそうになってしまう。

「でも、でも、ご飯は……たくさん、食べてるんです」

「ええ。では、なにか普段から頑張られていることはありますか? 無理ばかりしていては、たくさん召し上がられましても、体を壊してしまいますわ」

「……んん」

 あまりこれ、という心当たりはないのだが。もしかして魔術の使いすぎなのかも知れない、とリトリアは思った。これでもリトリアは一応、行き倒れないように、魔力残量と術式をかなり綿密に計算して、旅路も組んでいた筈なのだが。

 なぜか自然回復量が、リトリアが思っている以上にすくなかったのである。覚えていないうちにずっと発動させているなんらかの魔術があったなら、それが足を引っ張っている可能性はあった。心当たりは全くないのだが。

「よく分からないです……。もしかしたら、なにか魔術かも知れないんですけど」

「あなたは」

 笑みをたっぷり含んだ声で囁かれ、リトリアは落ち着かない気持ちでラーヴェに顔を向けた。首を傾げて続きを問うと同時、悪戯っぽい表情で告げられる。

「もしかして、魔術が不得意なのでは? 先日も熱を出されましたし」

「えっ。えっ……え、えっ。そん、なこと、ない……。私、『学園』を卒業した、一人前の魔術師です!」

「そうですね。不調になられるだけですね」

 そういうことで決められてしまったらしい。見つめられている方がちょっと恥ずかしくなるくらいの穏やかな目で告げられて、リトリアはじわわっと涙ぐみ、赤くなる頬に両手をあてて瞬きをした。

「ちがうの……ちがう、の!」

「そうですね、違いますね」

「ソキちゃんにするロゼアくんと同じ反応しないでっ! もう、だめ! 違うの!」

 完全になだめにかかっている。癇癪を起こしたソキに対するロゼアの反応で、とても見たことがある対応だった。

 もう、もうっ、と涙ぐんで怒った後、リトリアは恨めしげな目でラーヴェをにらむ。

「いいですか……私はソキちゃんより、うんと……うんとじゃないけど、三つも! 年上! なんですからね……!」

「今年で十七になられる?」

「……ふたつでした。十六です。あっ! ちょっと、やっ、笑わないで……!」

 もうもう、いじわるっ、いじわるっ、とリトリアが怒り拗ねている間に、砂漠王都への道筋は決定してしまったらしい。地図をまとめ、ではそのように、と告げられているのは、リトリアではなくラーヴェだった。

 なぜかリトリアは、地図の一枚も見せてもらえていないのである。寝台の上で立ち上がり、リトリアは待って、と出て行こうとする男へ声をかけた。振り返って、なにか、とばかり微笑んでくる男に、リトリアはちょっと怯んで口ごもった。

 この宿場にいる者は、なぜか皆顔立ちがとても整っていて、ひとみしりとしては話しかけるのも大変なのである。

 もじもじもじもじ、手を組み替えては覚悟を決めて、息を吸い込んで、くじけて、やりなおして、えい、とばかりきゅっと目を閉じ、リトリアは頑張ってお願いした。

「地図を見せてください……!」

「え?」

「え? え、えっ、だってその、どこをどう行くか、私も知っておきたいです……」

 やんわりと微笑んで待っていてくれた男の、あまりに不思議そうな声に、リトリアは不安げに眉を寄せて訴えた。なぜか全員が沈黙している。

 しばしの空白の後、口を開いたのはラーヴェだった。

「あなたは、地図をお読みになられる?」

「読めます……!」

 あっ、また、もう、馬鹿にしてえぇっ、と目をうるませてぐずりながら怒るリトリアに、ラーヴェはそうですか、と口元に手をあてて笑った。

「失礼しました」

「ほんとです! もう、いいですか? ラーヴェさん」

 ぱっと男の手から地図を奪うようにして受け取り、リトリアは自慢げに宣言した。

「私はソキちゃんより、ずぅっとしっかりしてるんですから!」

 それはどうだろう、という微笑を誰もが浮かべたのに気がつかず、リトリアはさっそく座り込み、膝上に地図を広げた。現在位置に指で触れ、そこから幾筋も伸びる線のうち、ひとつを選んで辿っていく。

 まっすぐ王都に向かうというより、都市と都市の移動距離が短くなるように選んで、整えられた旅路だった。

「これが、一番安全なんですか?」

「はい」

「確認しても?」

 なにを、と問われるよりはやく。リトリアは楽器の弦を弾くように、指先で書き込まれた線に触れた。

「光よ、走れ」

 ゆるく、魔力が展開する。足元にではなく、地図上にだけ広がっていくように、予知魔術の発動を制限する。最小限に。望む効果だけが出るように。

「真偽の炎よ。望みを叶えて光と化せ。選ばれた道を走りぬけよ。望み叶うなら金に、潰えるならば銀に!」

 繊細な彫刻品のようだった。選んだ道筋は一瞬だけぱっと金に輝き、すぐに青いインクの線へと戻ってしまう。リトリアはやや不満げに瞬きしてから、地図をくるくると丸めて男へと返した。

 ありがとうございました、と言おうとした瞬間だった。意識を断ち切る眩暈に襲われ、リトリアの体がぐらりと傾ぐ。寝台へ体が叩きつけられる前に、それを予想していたような腕に抱きとめられた。

 すこしだけ怒るように。笑い声が、耳元で問う。

「不得意なのでは、なく?」

「……違うはずなんです」

「はい、はい。そうですね」

 しかたがないひとだ、と囁き落とされ、ころんと寝台に戻される。眠りを促す声に誘われ、リトリアはすぐに、繰り返す呼吸を寝息のそれにした。




 在学中の魔術師に対する義務のひとつに、年に一度の測定がある。身長体重運動健康状態その他、病の前兆があるかないかを事細かに、専門技師や医師の手によって記録されるそれは、新入生に対しては二年目から実施されるものである。

 入学が決定すると同時、ありとあらゆる詳細な調査書が王の下へ送られるので、その必要がない、という為の二年次の実施であり。また、測定は外部の専門医師を招く必要性などもあり、星降王宮の一角で執り行われる為だった。

 新入生は、突然変異として目覚める特質上、まだ己の魔力が身体になじみきっていない。あらゆる危険の可能性を防ぐために、一年をかけたのちの実施となっているのだった。

 測定は基本的に、男女別で執り行われる。医師の診察も同様に。

 それを聞かされたソキは抵抗して抵抗して、やんやんやんやんソキはロゼアちゃんにはかってもらうですからいいんですうういやぁああんっ、とロゼアにびとっと引っ付きへばりつきそれはもう抵抗したのだが。

 あえなく剥がされ、ぽいっと女子更衣室に放り込まれてしまい、あれよあれよという間にあれこれと計られた。身長体重胸囲腰周り。肩から肘まで、肘から手首まで、手首まわり。

 おしりのおおきさ。ふともも、腰から膝まで、膝から足首まで、足の大きさ、など。とにかく事細かに数字が書き込まれた用紙を恨めしげに見て、もうつかれちゃったです、と床の上にくったりした。

「なんでこんなに細かいですかぁ……」

「新入生がいなくても、パーティは毎年あるものだから?」

 ソキの傍らにしゃがみこみ、胸囲の項目を覗き込んだルルクが、おぉう、と声をあげて沈黙する。視線が紙面とソキの胸元とを往復し、なぜか無言で何度も頷かれた。

「ちょっと触ってみてもいい?」

「やぁー、でぇー、すぅー……! ソキもうロゼアちゃんとこかえるぅ……」

 あっところで今日もロゼアちゃんに選んでもらったんですよぉ似合うでしょう、と上下ともに下着姿でふんぞりかえるソキに、ルルクは一周して落ち着いた穏やかな微笑で頷いた。

「防御力が高いけどたゆんたゆんって感じ」

「に・あ・う・で・しょー・おー?」

「似合う似合う。でもソキちゃん、まだ終わりじゃないよ? 健康診断の次は、運動測定だからね。説明あったでしょ? 今日の日程表にも地図……は読めないのはもう分かったから、私と一緒に運動場に行こう?」

 動きやすい服を持ってきてねって注意事項にもあったでしょう、と窘めるルルクに、ソキはもぞもぞとその場に座りなおし、おでかけしろうさちゃんリュックサックを抱き寄せた。

 中を覗き込むと、確かに着替えとは別の服が一式、丁寧にたたんで詰められている。こくん、と頷いて、ソキはんしょんしょ、とその服を丁寧にしまいなおした。

「なかったことにしちゃうです」

「運動測定だよー。男子と一緒だからロゼアくんもいるよー」

「でも、でも、でもぉ。ソキ、運動はちょっぴり、ちょっぴりですよ? ちょーっとだけ、苦手ですから、これはもういいと思うです……」

 特にこれ、こういうのです、と予定一覧の記された紙面を指差し告げられて、ルルクはなるほど、と頷いた。なぜか、というか恐らくロゼアの手によるものだろうが、短距離走、持久走、障害物設定地疾走、の項目に丁寧に二重線が引かれている。

 というか、運動測定の項目で二重線が引かれていない項目がなかった。ね、ね、ねっ、と期待に満ちた目で見つめられて、ルルクはにっこりと笑い返した。

「じゃ、着替えて移動しよっか!」

「あれ。……あれ、あれ? 着替えて、移動するだけです? ロゼアちゃんの応援?」

「うん。応援もしようね!」

 いまひとつ納得できていない顔でルルクと二重線で訂正のなされた紙面を見比べたのち、ソキはこっくりと頷いて、ロゼアちゃんの応援をしにいく、という誘惑に屈した。

 ふんにゃんふんにゃんっ、と機嫌よく鼻歌を歌いながら動きやすそうな服、それでも頑なに長いスカートであるそれに着替えだすソキを眺め、まあ測定不可とか途中棄権とかいう表記もあるしね、とルルクは遠い目で呟いた。

 上から下までびっちりと、測定不可、の文字で埋め尽くされる結果を、生徒の八割は予想していた。

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