祝福の子よ、歌え 06
突然、あっと声をあげて、ソキはくちびるを尖らせてあたりをきょろりと見回した。
「たいへんなことです……! いま、ソキの、ないしょーのあくじが、だれかにばらされちゃたきがするです……! ゆゆしきことです……!」
「自分で悪事だって分かってるのがソキちゃんのいい所だよね……」
「ナリアンくん? しー。しー、ですよ。ロゼアちゃんにきこえちゃうです!」
普段より小声で早口なせいで、発音のほわふわ度がこの上なく増している。ちたぱた、あわあわ、ちたちた、あわあわとしたのち、ソキは両手でぱっと口を押さえ、そろりそろりと視線を移動させた。
定位置になった談話室の一角、日当たりのいい隅に新入生たちはいた。ソキとナリアンは机に向かい、横に並んでせっせと課題を解いている最中である。
ロゼアとメーシャは許可を取り、その近くの家具を移動させて平地を作り、今日は朝から柔軟に勤しんでいた。ソキはそんなロゼアをじぃっと眺め、胸を撫で下ろしてからほわりと笑う。
「安心です。聞こえてなかったです!」
「う、うん……?」
ナリアン、とソキが目を離したとたん、視線を重ねられた。にっこり笑ったロゼアの表情はどう考えてもソキの発言が聞こえていた者のそれであったが、こちらへ来て追求するつもりではないようだった。
ただし、なにか分かったことがあったら教えて、という意思は感じる。ふんふんふん、と鼻歌をうたいながら脚をふらふらさせているソキに、ナリアンはそーっと、そーっと問いかけた。
「ソキちゃん? ないしょで悪いこと、したの?」
「ソキ、じつはぁ、ロゼアちゃんをめろめろにしちゃうんですううぅ!」
その為の作戦をあれこれ考えている最中らしい。
いろんなひとにめろめろの方法を、ロゼアちゃんにはないしょで教えてくださいってお願いしているです、とふんすと鼻を鳴らして気合いっぱいに教えてくれたソキに、ナリアンはそっかぁ、と頷いた。
「誰かいい方法教えてくれた?」
「ぷ。それがぁ、めろめろには上限があるんだよ? って皆言うです」
これ以上はちょっと難しいんじゃないかな、という返事がやんわりと戻ってくるばかりであるという。皆分かっていないです、と頬をぷくぷく膨らませながら、ソキはいじいじと課題を指で突っついた。
「だってちゅうもしてもらえないです……めろめろが足りないということです」
「そ、うなんだ……?」
「でもでも、ぎゅう、が、ぎゅううーっ、になったですからぁ、きっともうちょっとに違いないです! あと、ひとおしー、というやつです! ……あっ! ねえねえねえねえナリアンくん? ねえねえ」
ソキの、ねえねえ、はろくでもないおねだりであることが多いのだが、ナリアンがそれに勝てたことなどない。一度もである。というか一度も勝とうと思ったこともない。
腕にちょん、と両手の指先を乗せられ、きらきらした目で見上げられて、ナリアンは微笑みながら、なにかな、と頷いた。ソキは頬を染めてそわそわしながら、ナリアンくんはぁ、とはちみつみたいな声ではしゃいでいる。
「どんな時にニーアちゃんにちゅうしたくなるです? ソキにこっそり教えてください!」
「メーシャくんの方が参考になるんじゃないかな!」
「うん? ソキはアスルによくちゅっちゅってしてるけど、どんな時にしたくなるの?」
ナリアンの放った剛速球を難なく受け止め、ソキにぽん、と投げ返すのがメーシャの技術である。戻ってきたことに気がつくこともなく、ソキは目をぱちぱちさせてから首を傾げた。
「アスルがかわいー! 時ですとかぁ、ロゼアちゃんにいっぱいぎゅうされてた後です」
「……ロゼアもアスル、ぎゅってするの?」
「ソキがお呼び出しとかされる時にアスルに代理を頼むです。ロゼアちゃんのぎゅうはソキのですから、ソキがいない間はアスルが代理でぎゅうなんです」
浮気防止というやつです、と真剣に言うソキに、ナリアンとメーシャは視線を交わして頷きあった。ロゼアさびしがりやだもんね。ね、ソキがいなくてぎゅっとするものが欲しかったんだよね。ね。
ふふ、と微笑ましく和む二人に、ロゼアは黙々と腹筋をしていた。
担当教員が謹慎になって、かれこれ二週間。当初は一週間である予定のそれが無期限で延長となったことを受け、ソキいわく、まきこまれじこきんしん、となった新入生たちは、未だに寮からの外出を許可されていない状態だった。
例外として、図書館と限られたいくつかの座学にだけ出席を許されたが、その行き来だけでは当然運動不足となる。
黙々と体を鍛えるロゼアをじいいぃっと眺め、ほぅ、と息を吐き出したソキは、今日もかっこいいですー、とやんやんしたのち、与えられた課題に向き直った。
「ソキもお勉強を頑張るです……! ……そういえばナリアンくんは、昨日終わったんじゃなかったです?」
「即日で次の課題を出してくださるとかロリエス先生は俺をどうしたいの……」
初回の課題を一週間で打ち倒し、次の課題をまた一週間で討ち取った後の、三回目である。じわっ、じわっと量が増えているのは気のせいとして逃避を図りたくなる事実だった。
遠い目でぐったりしながらも真面目に取り組むナリアンに、ソキはうんしょと手を伸ばして、もふもふとその頭を撫でてやった。
「ロリ先生、ナリアンは私の後継にするって言ってたです」
「それ担当教員が決められることだっけ……?」
「希望は常日頃から口に出しておくと叶うって言ってたです。ロゼアちゃんがー! ソキにー! めろめろになりますようにですー! ……あっ、ちょっぴり間違えちゃったです。めろめろにー! するですううう!」
ソキには、計画を秘密にしておくならとりあえずせめて本人が近くにいる時にちからいっぱい叫んではいけない、という観点が圧倒的に足りない。ふふふ、と笑って、メーシャはロゼアに囁きかける。
「ソキかわいいね、ロゼア?」
「うん」
しあわせそうに即答で頷くロゼアは、腹筋を終わりにしてひょい、と立ち上がる。服をつまんで鼻先に近づけてから、ロゼアはお風呂行くけど、とメーシャを誘った。
「一緒に行く?」
「行く。ナリアン! 俺たち汗流しに行ってくるね」
「行ってらっしゃい。お茶の準備しておくね」
茶会部に任せて、と告げるナリアンの隣で、ソキはあわあわしながら手で髪を整え、服の乱れを直してから、ロゼアに満面の笑みで告げた。
「ロゼアちゃん。いってらっしゃい」
「いってきます、ソキ。すぐに戻るよ」
付き合ってないとめろめろじゃないという言葉の定義と意味が分からなくなってきた、と魔術師のたまごたちは頭を抱えて沈黙した。
リトリアの説明はつたなく、分かりにくいものだっただろう。それも一息に話してしまえたのではなく、体調が良い時を見計らって途切れ途切れに、考えながらの言葉であったから、さらに理解するには難しかっただろうに。
ラーヴェはこともなげにリトリアの、魔術師に関する機密を避けた説明を受け止め、少女がようやく一日を普通に起きだせるようになった頃に、こう言った。
「協力しましょう」
「えっと……?」
「ここから追っ手を避けて王都へ向かうとなると、あなた一人では難しい」
どのオアシスを中継していくにしても、少女の一人旅というのは、とても目立つ。魔術師のたまごが『学園』へ向かって旅をする期間はもう終わっており、不審がられずに移動するのは不可能なことだった。
仕事や事情あって、単身で移動する者はもちろんあれど、リトリアは良くも悪くも人目につく雰囲気を持っている。『花嫁』とは別種の、意識を引きつける、なにか。それはなんとなく、助けになってあげなければいけない、と思わせるような。
ラーヴェも、逗留する宿場の者たちも、皆一様にその印象を口にした。けれども男が助力を申し出たのは、もっと違う理由あってのことだ。
「ソキさまの為に。あなたは先を急がねばならない、という。それならば」
その為に。最も確実な手段はこの手をとることです、と告げられて。リトリアは考え、迷った末に、差し出された手にそっと、指先を預けて力を込めた。
「よろしくお願いします」
「はい」
「……でも、ソキちゃんのおとうさんじゃないんですか?」
未だに納得できていない表情で問うリトリアに、ラーヴェはふっと笑みを深め。むぎゅりと頬を両側から押しつぶしながら、ソキさまのお父上は『お屋敷』の前御当主さまです、と言った。
聞き分けのない幼子に繰り返し語り聞かせた、慣れた口調の言葉だった。
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