祝福の子よ、歌え 05
「ソキちゃんを誘拐した犯人は、生きています」
言葉にして吐き出し、リトリアは一度目を閉じた。感情が高ぶったせいで、内側で魔力が波打っているのを感じる。零れないように押さえつければ、回復しきっていない体に、すぐ嫌な熱が宿るのが分かった。
よわい心では、リトリアの魔力を制御しきれない。それを、殆ど初めて、自覚的に痛感する。強くなりたい、と思った。強くならなければ。己の意思ひとつ紡ぎきれない。
「誰に、しあわせになってほしいのか」
涙が零れ落ちる。熱に揺れる瞳で、言葉と共にほとほとと落ちていく。
「誰のことなら助けられて、誰を、助けられないのか……はやく決めなきゃいけないのに、わたし。わたしは、わたしの……」
「……一度、眠りなさい。あなたは、今なにより、己を労わるべきだ」
「わたしが、最初に、なにを望んでいたのかさえ……思い出せないんです」
揺れる意識を、保っていられない。熱っぽく汗ばんだ頬を撫でられ、頭を胸に抱き寄せられる。背を撫でるてのひらに、リトリアは掠れる記憶に縋るよう、強く目を閉じた。
一度もそんな風にされたことはない、と思う。一度もそんなこと、してもらった記憶など、ないように思う。
その辛さで胸が張り裂けることをこそ、防ぐように。立ち上った白の魔力がリトリアの記憶を塗りつぶし、いくつもの感情ごと、意識を夢へ連れ去っていく。
ぎゅ、と無意識にラーヴェに抱きついて。リトリアは涙を零しながら、男の胸に顔をくっつけた。
「……おとうさん」
魔法使いの白い魔力は。刻まれた呪いこそを、覆い隠している。
解せぬ、という顔でフィオーレが正座させられているのは、床である。薄い絨毯すら敷かれていない。直に、磨かれた石床の上である。ひんやりしていて冷たくて硬くて切なくてしんどい。
もぞりと身動きをする白魔法使いを、さほど広くない部屋で、ぐるりと取り囲んでいたのは同僚の魔術師たちだった。隣室は王の執務室である。
書類を運んで来た文官がぎょっとした顔でそれを見ては、なんの儀式の最中なのですか、と王に問いかける声が流れてくる。砂漠の王はものすごく面倒くさく、かつ適当そうな声で、あああれな、尋問中、と答えていた。
「加減できなくなると困るから、俺の目の届くとこで苛め……もとい、尋問しろよって言ったらああなった。俺の仮眠室を占拠していいとは言わなかった筈なんだがな……」
「陛下。御労しい……!」
「おいたわしくない上に陛下いまいじめって言った! いじめってー! いじめだめぜったいよくないうわぁあああちょっやめっ!」
痺れている足を的確に爪先で突かれ、フィオーレは正座を崩せないままじたじたと身悶えたのち、涙目でその場に突っ伏した。立ち上がれないようにしっかり呪われているので、突っ伏すくらいしか動けないのである。
やーい、といじめそのものの声で囃し立てたのち、しゃがみこんだラティが指先でつむじをぐりぐりと押してくる。痛い。
「で? フィオーレ? リトリアちゃん、今どこにいるの?」
「だからぁ知らないって言ってるだろ……! 俺にだってわかんないのぉーっ!」
「リトリアちゃんに魔力であれこれしておいて! わかんないなんてことがありますか!」
リトリアに幼少期の記憶、正確に表すなら『学園』入学までの記憶がないのは、式を終えた直後に魔力が暴走したからであり。
その際、フィオーレがなんやかんや小細工を施したからである、というのは、当時『学園』に在籍していた者が知る、純粋なる事実である。
本人が自白したからだ。リトリアの魔力が暴走したのは過去のとある記憶に起因するものであり。それを収める為には、思い出さないように消すしかなかったのだという。
「もう半月にもなるのに……!」
忽然と姿を消し、のち、痕跡すら見つけることができないでいる。楽音の国内にすらそれはなく、向かっているとされる砂漠も、念の為に確認している花舞も、星降にも。魔力の残り香ひとつ、見つけることはできないでいる。
予知魔術を駆使した本気の隠蔽の結果が、そこにはあった。大戦争の兵器。切り札のひとつとされた、その意味を知る。ぞっとする魔術師たちに囲まれながら、フィオーレはなぜかやや自慢げに、そうだよなー、と頷いた。
「リトリアすごいよね。俺もうちょっとはやくつかまると思ってた」
「関心してる場合じゃないでしょう……? 本人の意思の元での逃亡か、不慮の事故の可能性もあるんだから、探さないと……。で? どこにいるの? なんで分からないの? 砂に埋められるの、好き?」
「待って待って最後のひとつには答えたくないぎゃああああ陛下ー! 陛下たすけてへいかへいかー! 埋められるー!」
王はあからさまな舌打ちで、魔法使いの救援に返事をした。俺今仕事してんだよ邪魔すんな、とありありと分かる横顔だった。この上なくめんどくさそうに視線をよこされ、首が傾げられる。
「埋まれば場所の見当付くくらいにはなるんじゃねーの?」
「ちょっと陛下あああああ! 陛下まであれっ? もしかして俺がサボってリトリアを見逃してるとか思ってる派っ? 城のひとたちがドン引きするくらいの勢いで泣くよっ? アイシェ様とハーディラ様に言いつけるよっ?」
「は? お前なんで俺のハレムの女との連絡手段持ってんの?」
あっやべっ、という笑顔で沈黙するフィオーレに、砂漠の王は慈愛溢れる微笑でもって告げた。
「埋まれ」
「ちちちちちがうから陛下誤解だから! 俺は昔からハーディラ様とは文通友達っていうだけでー! それでそっからちょっとお願いしたっていうか!」
「それは知ってるけどアイシェと手紙交わしていいだなんて許可した覚えはねぇよ!」
言っていて我慢ができなくなったらしい。ちょっと持ってろ、と文官に目を通していた書類を押し付けたのち、王は大またで仮眠室へやってきた。
なぜかニヤニヤしている魔術師たちにお前らその顔なんなんだよと苛ついたのち、見もせずフィオーレを踏みにじる。
「お前さー、ほんとうになんていうかさー、埋まれ? な?」
「いだだだだっ、いった! 陛下ごめん! ごめんって! 浮気じゃないよ違うんだよソキがね? ないしょでアイシェちゃんにお手紙したいですっていうから、どうする? っていうお問い合わせをねっ?」
「疑ってねぇよ! 俺を通さず無断ですんなって言ってんだよ!」
そういう時はソキが内緒にしたがっているのを踏まえて俺に報告しろよ、と頭が痛い声で呻く王に、フィオーレはてへっ、とさほど反省のない声でウインクをしてのけた。
こいつ埋まりたいんだな、という引いた魔術師たちの視線が、魔法使いに向けられる。苛々しきった王の目が、魔法使いを睨んだ。
「……で、なんの手紙だったんだよ」
あっ聞いちゃうんだ気になっちゃうんだっ、とにやにやする王の魔術師一同。彼らの主君は現在、あまり認めたがっていないが、甘酸っぱい初恋真っ最中である。発覚した時、砂漠の城にはおたけびが轟きまくった。
宴会がものすごい勢いで開かれ続けた。魔術師のみならず、武官、文官、女官、城づとめの絵師や通いの者たちにまで話は広がり、ものすごい勢いで祝われ続けた。王の恋愛嫌いはある筋で有名な話である。
ハレムの女たちもそれを熟知している、からこそ。いまひとつ進展していない、というのが、最近の砂漠王宮におけるお世継ぎ問題解消案件の報告である。
フィオーレは周囲の魔術師たちと同じく、ひたすら、やだーっもう陛下ったらーっ、と言わんばかりのにやついた顔で、あのね、とあっさりそれを白状する。
「めろめろにするゆーわくのしかたを教えてください、みたいな感じ」
「アイツ学園でなにしてんだ」
「あっもちろん陛下じゃないです! ロゼアちゃんです! 陛下はいらないです。陛下ったらぁ、アイシェちゃんにめろめろなんでぇ、ソキもロゼアちゃんめろめろにするです! って書いてあった。よかったね陛下」
コイツ、ソキの声真似してもこれっぽっちも可愛くねぇな、という視線を浴びながら、魔術師たちはフィオーレがなぜ王に無断で手紙を通したのかを、うっすらと察した。
頭を抱えて沈黙する王に、だってさー、だってさー、とフィオーレが頬を染めながら供述する。
「今度お礼に、フィオーレさんの手をぎゅっとしてあげます、って言うから……!」
「おい誰かロゼア呼び出せロゼア。お前の『花嫁』ろくなことしねぇなって怒るから」
「ものすごい冷ややかな目で、ご自身の魔術師に対する教育を今一度見直したら如何でしょうか? っていうと思うんだけど、それでも呼ぶ? ……あっごめんなさい陛下ごめんなさいー!」
本人が指摘してくることじゃねぇんだよおおっ、という怒り心頭の王の声が、城の隅々にまで響き渡っていく。
慣れたもので、至近距離にいた魔術師たちは防音術を展開して隣室の文官たちごと己の身を守り、廊下を行く者たちはさっと塞いでいた手を外して、特に驚くこともなく歩みを再開する。
耳をきーんとさせて呻くのは、フィオーレひとりきりだけだった。
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