祝福の子よ、歌え 04


 熱が体から引き、だるさが消え、自力で体を起こせるようになるまで三日かかった。砂漠風邪、と呼ぶのだという。日差しの強さと湿気、朝夕の寒暖の差が旅人を惑わし、時に死へも誘うのだという。

 リトリアは寝起きのぽやぽやした頭で説明を聞き、目を擦ってふぁ、とあくびをした。ご迷惑をおかけしました、どうもありがとうございました、と言葉を告げようとして、視線を移動させ。

 リトリアは寝台の横に椅子を置き、そこへ座りながら穏やかな微笑を絶やさないでいてくれた男に、照れくさそうに笑いかけた。ところで、あの、ともじもじと指先を擦り合わせながら口を開いた。

「ラーヴェ、さん?」

「はい」

 なんでしょう、と静かに囁く男は、どう多めに見積もっても三十の半ば頃に見えた。ソキにはわりと年上の兄がいると聞く。リトリアは頭の中で引き算の計算をして、ちょっと首を傾げたのち、改めて問いかけた。

「ソキちゃんのお父さんですよね……!」

 げふがふずるごとがたんっ、と。室外から咳き込み、笑いをこらえ、むせ、壁になにかぶつけたり、物を落としたりする音が響いた。

 えっ、えっと扉の閉じられていない廊下の向こうへ視線をやり、狼狽するリトリアに、ラーヴェはしばらく返事をしなかった。見ると頭を抱えていた。え、えっと、えっと、とそろそろ顔を伺うリトリアに、ラーヴェはぎこちない動きで顔をあげて。

「……ソキさまのお知り合いでしょうか」

 はい、とも。いいえ、とも。答えなかった。




 てっきりリトリアは、行き倒れていた所をソキの父親に助けられ、介抱してもらっていた、と思ったのだが。違うらしい。違う、となぜかハッキリ口に出されることはなかったのだが、どうも違うということらしい。

 窓辺で揺れる日避けの布越し、ふわふわとした陽光を浴びながら、クッションの上で冷たい飲み物を口にして。リトリアはまだ腑に落ちない顔で、でもでも、とくちびるを尖らせて首を傾げた。

「じゃあ、ラーヴェさんは、ソキちゃんの……?」

「ソキさまの母親が、私の『花嫁』でした。『傍付き』については、ご存知でしょう?」

 ロゼアで、と暗に示されて、リトリアはこくりと頷いた。頷いたのだが。

「えっ、でもソキちゃんのお父さんじゃないんですか?」

「ソキさまのお父上は『お屋敷』の前御当主様です」

「なんで?」

 なんで、とは、という顔をしてラーヴェがついに天を仰いだ。高熱が続いていたからか、魔力が底をついてから回復しきっていないからなのか、いまひとつ動きの悪い頭を持て余しながら、リトリアはふあふあと欠伸をする。

 目を擦って、だって、と繰り返すのは駄々っ子の声だった。

「笑った顔がソキちゃんに似ていますし……」

「ソキさまが幼い頃から傍におりました。それで、似たのでしょう」

「髪が……目の色が、ソキちゃんと一緒ですし……。とっても、すっごく、似てるって言われたり、したでしょう……?」

 ねむい、と目を擦る動きを慣れた仕草でやめさせて、男はリトリアの肩まで薄布を引き上げた。座っていた大きなクッションに体を預けるようにさせ、ぽん、ぽん、と肩を叩いてくる。

「さあ、まだ眠らなければ。万全ではないのですから」

「……ふぁ、ぅ……あれ、そういえば、ここ、どこですか……?」

「楽音との国境近くのオアシスのひとつ。中継都市です。起きて動けるようになりましたら、ご案内致しましょう」

 その言葉の響きは、ロゼアがぐずるソキを寝かしつける時の、うん夕方くらいに起きられたらその時にしような、というのに酷似していたのだが。リトリアが気がつくことはなく。

 やがて、すぅ、と穏やかな寝息が、あかるい部屋の中に響いて行った。




 白い花がひとひら、風に運ばれ過ぎ去っていく。玉葱の色をした道はざらざらとしていて、岩を削って都市の地盤とし、そこへ家を組んで行った印象を受けた。

 道に馬車の轍の跡はなく、馬の蹄よりも大きな足跡が、てんてんと付いては風に吹き消され、あるいは人々の足に踏み慣らされていく。主な交通手段は駱駝であり、馬を伴った旅人がこの都市を訪れることさえ、珍しいのだという。

 窓辺から眼下に広がる都市の説明を受け、リトリアは己の記憶を探って、息を吐いた。記憶している砂漠の国内図が正しければ、予定していた旅路から、だいぶ外れてしまっている。

 体調が回復してきたからか、思考はもう正常に動いていて、妙な落ち着きのなさに惑わされることもなかった。魔力も回復していたから、近くに魔術師がいないことを探るのも、簡単に行えた。

 結果として微熱を出して動けなくなったリトリアに、ラーヴェは穏やかに微笑んで、数日間の療養を提案してきた。

 提案というか、決定通知のようなものだった。リトリアが熱でぽやぽやしながら動かない頭で、うんそうですね、と疑問系で告げた時には根回しが終わっていて、なぜか魔術を使用しないことと部屋からひとりで出歩かないことが決められていた。

 これソキちゃんがロゼアくんにやられてるやつなんじゃ、とはっと気がついた時にはすでに遅く。かと言って拾ってくれた恩人に強く出られないまま、リトリアはラーヴェの横顔を恨めしげにじぃ、と見る。

 その面差しはやはり、ソキにとてもよく似ていた。

「……なにか?」

「私、ほんとうに、一刻も早く王都に行かないといけないんです……! 追っ手もかかってるんです指名手配なんです……!」

「それは困りましたね。どんなに悪いことを?」

 あああ絶対に信じてくださっていないでしょう、とふくれるリトリアに、向けられるラーヴェの視線は穏やかだった。いたずらぁー、をしたんですよ、とふんぞりかえるソキを見守るロゼアと、とてもよく似た雰囲気だった。

 じわっと涙ぐむリトリアに、ひんやりとした口当たりの不思議な飲み物を手渡しながら、ラーヴェは肩を震わせて笑う。

「頭が痛くなりますよ。それに、近くには誰もいらっしゃらないのでしょう?」

「……そうなんですけど」

「魔術師がこの都市を訪れることは極めて稀です。巡回の方が年に一度、訪れますが、それも先月に発たれたばかり。安心してお休みなさい」

 砂漠は、魔力的な綻びの多い国だ。大戦争の始まる前、この世界が砕けて残った欠片として成す前から、上手く機能しない所の多い国であったと、残された文献にはつづられている。

 そしてそれは、世界が狭くなった以後も続いているのだ。砂漠出身の魔術師は、強大な属性を持つことや、魔力量が潤滑であることが多い。太陽の属性を持つロゼアや、魔法使いたるレディが良い例だろう。

 砂の地で生まれ育った魔術師は、その身に魔力を多く注ぎ込まれて作られる、と言われている。それは俗説で、実証されたことではないのだけれど。

 確かにリトリアの周囲の砂漠を故郷とする魔術師たちは、魔力そのものに近しい、と思わせる者が多かった。

 巡回、とは砂漠特有の、魔術師の役職である。その名の通り、国内の各都市を巡り、魔術的な安定を施しながら、各地を祝福して回るのがその定めだ。今代の巡回を勤めているのは、砂漠の魔術師筆頭である。

 おかげで取り纏め役であるにも関わらず、他国の魔術師の前には数年姿を現していない。砂漠の魔術師の中でも、非実在筆頭説が囁かれる程だ。王の御前にすら滅多に戻れない筆頭が、一月前に過ぎたのであれば、確かに当分は安全なのかも知れない。

 ただし砂漠にはフィオーレがいる。魔力の上限を持たない祝福の子。魔法使いが。

「……安心できないことが?」

 くちびるを噛んでうつむくリトリアに、かけられる声はあくまで優しいものだった。信じられないことを、すこしも不愉快に思ったりはしないのだと。誠実に、そう、伝えてくれる声だった。

 指先の震えを、陶杯を持つ手に力を込めることでごまかして。リトリアは頷き、息を吸って顔をあげた。

「急がないと、いけないことなんです。今、こうしている間にも……危なくなっているのかも、知れないんです。私が、じゃなくて」

 思い描く。笑っていてくれる。生きていてくれる、その未来を思い描く。その為にならなんだってしよう、と決意して。そのたび磨り潰され、壊され、砕け散ってしまった未来を思い描く。

 砂漠の熱が。意識を揺らめかせる体調の悪さが。途絶え繰り返され消されてしまった筈の記憶を、手元までひと時、引き寄せた。失った己の過去より、強く。失わないでいたいと思った、記憶たち。

 ぎゅっと指先に力を込めて握って、リトリアは息を吸い込んだ。

「ソキちゃんが……ロゼアくんが、狙われていて。私はそれを助けるために、どうしても一人で……誰にも見つからないように、砂漠の王宮まで、行かなければいけないんです。会わなきゃいけないひとがいるんです」

「……ソキさまが?」

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