祝福の子よ、歌え 03


 正直に言おう。

「はぁいあなたの私の正義の味方! エノーラちゃんですよー! ツフィアひさしぶり顔色良いね元気してた? 今日のパンツ何色?」

 慎ましやかに扉を叩かれたので完全に油断していた。

「あっ胸揉んでいい? いいよね? えい!」

「ちょっとその質問でなんでスカートをめくろうとするのよ……!」

「ロマンがいっぱい詰まってるかなって! ねえねえツフィア、ガーターつけようよガーター。黒のレースのヤツ。絶対似合うよぉガーター! ガーターに挟む仕込みナイフとかも作ってあげるから! いいでしょっ?」

 良い訳がない。むしろなぜ可能であるという希望を持って話を推し進めようとするのか。久しぶりの同期との再会にしんみりする余裕をかなぐり捨て、ツフィアはきっと眦を鋭くし、きっぱりとした口調で言い放った。

「スカートから手を離して、エノーラ」

「今日のパンツ何色?」

「なにがあなたをそこまで駆り立てるというの……!」

 なにって、と言わんばかりのきょとんとした顔で首を傾げたので、ツフィアはくらくら眩暈を感じながら、エノーラの手の甲を平手で叩き払った。

 エノーラはツフィアにぺしってされちゃった、と頬を染め、えへへうふふと恥らいながら手の甲をさすさすと撫でている。

「うん。元気だね。安心した」

「普通に確認なさいよ……」

「え? 普通に確認したでしょう?」

 とめどなくまっすぐな瞳で不思議がられたので、ツフィアはふっと笑みを深め、白雪の女王の安息を全力で心の底から祈った。はぁ、と息を吐き出し、座っていた椅子に逆戻りする。

 背もたれの気持ち良い、体全体を包み込むような座り心地の上質な椅子は、一室に捕らえた囚人に与えるものとは思えなかった。

「なんの用事なのかしら……?」

「気が滅入ってないか気になって顔を見に来たのと、ちょっと噂の真偽を確認したくて」

「噂……?」

 それはつまり、ほぼ用事がないというのと同じ意味合いではないのだろうか。白んだ視線を向けられても怯まず、というか嬉しそうに緩んだ笑みを浮かべながら、エノーラはゆっくりとした口調で言った。

「ツフィア。ストルと浮気してリトリアちゃんを振ったって本当?」

「誰よそんなことを言ったのは殺すわ」

「あっどうしよう目が本気だ落ち着いて欲しいなっ!」

 恐らくは脳が言葉を認識するより早く吐き出された言葉に、エノーラは笑いながら、だよねぇ、と頷く。ツフィアは不愉快そうに眉間に指先を押し当て、失言だったわ、とすぐさま言葉を訂正した。

「それくらいの気持ちで事に当たるわ。誰から聞いたの教えてくれるわよね、エノーラ」

「え、えー……? 皆」

「みんな……」

 私が知らない間に王宮魔術師がどうかしている、という顔で呻くツフィアに、エノーラは肩を震わせて笑った。

「大丈夫よ、ツフィア。同期として断言しますが、ツフィアに限ってそれはないですって、ちゃんと陛下に申し上げておいたから!」

「同期としてそんなことで陛下に進言してあなた大丈夫なのと心配になるわ……」

「えへ。ツフィアに心配されちゃった……!」

 頬を染めて身をくねらせて喜ぶエノーラを見ていると、ツフィアの胃がきりきりと痛んで、心配するだけ損、という言葉の存在を叩きつけてくる。

 おかげで、ツフィアは喉元まで出ていた、会いに来て大丈夫なの、という問いを発することができなかった。深い溜息に全て変わって、消えていく。ツフィアの身は、リトリアの失踪が確定したと同時、速やかに拘束された。

 本人の発言を無視して考えるならば、ツフィアとストルはリトリアが会いに行く最有力の人物だからである。身の回りの必要なものをまとめる時間を与えられたのち、ツフィアの身はほぼ無期限で星降の王城、その一室へ迎え入れられた。

 三食オヤツ付昼寝付監視付、時々質問を繰り返される日々。リトリアはなぜいなくなったのか。どこへ行ったのか心当たりがないか。最後に会った時に、なにを言っていたのか。

 そのいくつかにツフィアは従順に答え、あとは分からない、心当たりがない、とそれだけを繰り返した。どこにいるのか。なにをしているのか。なにを、考えているのか。ツフィアが教えて欲しいくらいだ。

 リトリアはいつしか、なにかを告げるよりはやく泣いて、ごめんなさいと繰り返すばかりになっていた。交わされた言葉は、意外なまでに少ない。あまく名を呼ばれた日々が、遠い。

「……そういえば、エノーラ?」

「んー? え、なに? 気晴らしに私とデートしたい? いいよ?」

「あなたどこの次元からなんの会話を受信しているの……。違うわよ、そうじゃなくて」

 会話をしようとするたびに、それを後悔させてくれる相手というのはしみじみ稀なものである。精神の安定を保つ為に一定の距離を取りながら、ツフィアは己の喉に手をあて、そこになにもないことを確かめた。

 王城に立ち入る時、ツフィアは視覚や発声を封じられるのが常であるというのに。軟禁状態にされてなお、その身に封じるものがない。理由を知っている筈でしょう、と問いかけたのは、他ならぬエノーラが封印具の制作者だからだ。

 エノーラは聞き分けのないこどもを見つめる顔つきで沈黙したのち、あのね良く考えて、と言った。

「今回、ツフィアがときめき軟禁生活になっちゃったのは、リトリアちゃんが家出したからでしょう?」

「もうどこから突っ込んだらいいのか分からないから後にするわ……。ええ、それで?」

「それで、もしも万一、万が一、ツフィアに会いに来た時に、ツフィアがそんな状態にされていなさいよ……。というかツフィア? リトリアちゃんが本人の意思に反してそういう状態にされてたとしたらどう思う?」

 ツフィアは、触れれば切れる刃物めいた笑みで返答とした。そういうことに決まってるじゃないと苦笑し、エノーラはツフィアの肩を叩く。

「大丈夫だよ、ツフィア」

 リトリアちゃん、すぐ見つかるよ、とエノーラが告げる。その言葉を。受け入れることは難しかった。リトリアが姿を消して、すでに一週間が経過している。

 楽音にも、砂漠にも。広げられた魔力探査の網をすり抜けて、リトリアはどこかへ向かっている。




 窓辺で日避けの布が風に揺れる。聞き慣れない音に、リトリアはゆっくり瞼を開いた。目も、喉もひどく渇いていて、全身に力が入らない。けほ、と咳き込むと、全身に影が降りた。やさしい薄闇。

「体を起こしましょう」

 痛くしますから、今はまだ自分で体を動かそうとしないで。やんわりと言い聞かせる声に頷くよりはやく、リトリアの体は寝台の上、座るように起き上がらせられた。すぐに背にクッションがいくつも差し入れられ、体を支える助けとなる。

 ありがとう、と告げようとするくちびるに、なまぬるい水で満たされた杯が差し出された。

「飲めますか? ゆっくりと……焦らずに」

 熱っぽいリトリアの頬に手が触れ、首筋に、額に、指先が移動していく。ふ、と呼吸を楽にしながら、リトリアは水をひとくち、飲み込んだ。塩っぽい、それでいて甘い水だった。混ぜ物をされているようだった。

 かすかにレモンと、ハッカの香りもする。いつの間にか飲み終えた杯は、速やかに手の中から回収された。ぼんやりするリトリアは、また寝台に横にさせられる。意思の定まらないまなざしで、リトリアは動きを助けてくれるひとを見つめる。

 男だった。短い金糸の髪と、うつくしい碧の瞳をした美丈夫。知らない。でもどこか、覚えのある面差し。

「……あなたはだれ?」

「今はゆっくり休みなさい。回復したら、お教えしましょう」

 仕方がなさそうに、あまく笑う。その笑顔を焼き付けながら瞼を下ろす。眠りにつくリトリアに、男は静かに囁いた。おやすみなさい、良い夢を。さわさわ、空気がやさしく動く。誰かが、遠くから男の名を呼んだ。ラーヴェ。

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