祝福の子よ、歌え 02
新入生がいないために、今年一年もその呼び名でひとくくりにされることが決まっている四人は、ナリアン以外暇を持て余している状態だった。
それぞれの担当教員が謹慎状態であることを受け、寮の建物から外に出ることを禁止されてしまった為である。当然、授業に出ることもできなければ、図書館で読書にふけることも、気晴らしに散歩へ行くことも叶わない。
見たことのない勢いで教本を見ながら帳面に答えを書き連ねていくナリアンを横目に、メーシャは机に肘をつき、手に顎を乗せて物憂げな息を吐き出した。
「ストル先生は大丈夫かな……」
「手紙来てるか確認しようか?」
「ううん。いいよ。ありがとう、ロゼア……ところで」
足元から向けられた問いに視線を引き寄せられるように、メーシャは伏せた眼差しを友のもとまで辿りつかせた。ソキと目が合う。
眠たそうにふにゃふにゃしているのに思わず笑みを浮かべながら、メーシャは心からの疑問としてロゼアに問いかけた。
「なにしてるの? あっ腕立て伏せなのは見て分かるからそれ以外で教えて欲しいな」
「うん? 寮から出られないと運動不足になるから」
ロゼアの背中に重石代わりにぺったりくっつき、数をかぞえていたソキは半分夢の中だ。
いーち、いーち、と先ほどからずっと加算されないでいた数字が、ようやく思い出したかのように、にぃ、と鳴き声のように積もり、ふあふあふあと欠伸が零れ落ちる。
「ゆらゆらするから眠くなっちゃうです……。ソキも腕立て伏せをすればいいです?」
「ソキはしなくていいよ。退屈?」
「ソキにはやれることがないのでした……」
しょんぼりとしてロゼアの背中に頬をぺたっとくっつけるソキは、メーシャの目から見ても、なんだかとてもしょげている。思わず手を伸ばして乱れた前髪を整えてやりながら、メーシャはそれじゃあ、と拗ねきった碧の瞳に提案する。
「俺と一緒におしゃべりしない?」
「する、です。ロゼアちゃん? お背中からソキが降りるですけどぉ、腕立て伏せをがんばるです? アスル? ソキの代わりにロゼアちゃんの重し、できるです……?」
むぎゅっと抱きつぶしていたあひるっぽいぬいぐるみ、アスルのつぶらな瞳と見つめあい、ソキはこくりと頷いた。なんらかの会話と交渉は成立しているらしい。
よじよじよじ、とロゼアの背中から降りたソキは、代わりにアスルをぽんと置き、がんばるがんばーるロゼアちゃーん、偉いですすごいですかっこいいー、ですぅー、とほわほわ歌いながら、メーシャの傍らにちょこんと座り込む。
にこにこと笑いあいながら、メーシャはロゼアの背中にちょんと鎮座しているソキのアスルを一瞥した。黄色くてまるっこくてふわふわしている。
「ねえ、ソキ。アスルってあひるなの? それとも、ひよこ?」
「アスルねえ、ロゼアちゃんとメグちゃんが、ソキにくれたんですよ」
「……ソキ、知らないんでしょう」
にこーっと笑ってふにゃんふにゃん、と言いながら体を左右にふりふりするソキは、全力でごまかす気であるらしい。一応、砂漠に住んでるいきものなんですよ、と教えてはくれたので、特殊な固有種であるのかも知れなかった。
図書館に行って図鑑でも眺めようかと思いかけ、メーシャはふうと息を吐く。寮から出てはいけない、というのは、殊のほか自由がなく、やることもない。
「俺も課題を頂けるように、ストル先生に手紙を書こうかな……。宿題のお願いなら、届けてくれるよね、きっと」
「届けてくれないお手紙もあるの? ……いじめ?」
「いじめじゃないよ。検閲があるって聞いたから、宿題の催促なら問題がないかなってこと」
言い方が悪かったね、ごめんね、と囁くメーシャの隣で、ゆっくりとした動きでナリアンが机に伏せる。そのまま、メーシャが見つめても、ソキが身を乗り出して指先でつんつん突いても、ナリアンはぴくりとも動かない。
百五十六、百五十七、と腕立て伏せを黙々と続けるロゼアの声が隙間を縫って行った。やがて、のろのろと顔をあげたナリアンが、ぜつぼうてきな目でメーシャに視線を重ねてくる。
『だめだよメーシャくん……課題なんて催促したらしんじゃうよ……。俺の二の舞にはならないでというか俺の屍を超えては行かないで……!』
「うん、うん。ナリアン、お茶飲もう? 休憩しようよ、ね。ロゼアも、一回休憩しない?」
『お茶……? 休憩……? それ、なんだっけ……』
ふふふ、とうつろに笑ってまたぱったりと伏せるナリアンは、ちょっと目を離していた隙に限界の向こう側へ旅立っていたらしい。
ごめんねナリアン俺がしっかりしていなかったばっかりに、と立ち上がったメーシャが、数枚の白紙をバインダーに挟み、万年筆を取って気合を入れる。
「ナリアン、大丈夫。協力するよ! 課題の消化計画を考えるからね……! そんなにがんばりすぎちゃ駄目だよ……!」
「あれ。ソキだけやることがなくなちゃたです……」
「ソキは休憩の準備をしてくれる? お茶を入れて、お菓子を食べて。皆をゆっくりさせる時間を作る。ソキにしかできない役目だよ」
言われるなりぱっと顔を嬉しげに赤らめ、ソキはひとりでできるもんっ、とばかり立ち上がった姿を、メーシャは頼もしげに頷いて見守った。
自炊室と談話室をちょこちょこ往復するだけでも、ソキには十分な運動である。
ロゼアが用意したならものの五分で終わる所を、四十分かけてあれやこれや運び込み。お茶をカップに注ぎ終え、ソキは心行くまで自慢げに、ソファの上にふんぞりかえった。
「でーきまーしたー! ロゼアちゃん? メーシャくん? ナリアンくん? お茶の時間ですよ、休憩をしなくてはいけないです」
「おっ、良いところに通りすがった」
「寮長はお帰りくださいです」
息を吸うように自然な動きで着席した寮長を、ソキはぐいぐいと両手で押しやったが、びくともしない。
それどころか、甘くていいにおいのする紙袋を目の前に差し出されて、ソキは大変不本意ながらも目をきらめかせ、そわそわそわそわもじもじした。
「欲しいか……? 欲しいだろう。なら言うことは分かってるな?」
「う、うぅ……中身、中身はなんですか……?」
寮長になんてちょうだいちょうだいをしないです、でもでも、でも、と紙袋をじーっと見つめて葛藤するソキに、シルは勝ち誇った笑みで言い放つ。
「リーフパイ。白雪城下の一番人気の店のヤツ」
「寮長は特別に、とくべつに! ですよ? お茶に参加してもいいことにします」
よーしよしよしと満足げに頷いてソキの両手の上に紙袋を置き、寮長は続いてロゼアにも紙袋を差し出した。ソキに渡した見かけからして軽そうな三角包みの袋とは違う、上製本が何冊も覗く、運搬用のそれである。
不思議そうにしながらも、ありがとうございます、と告げるロゼアに、シルは至極残念そうにお前礼儀だけは正しいのになと息を吐き、首を振った。
「まあ、いい。ロゼア、お前はそれな。読んだら同封の課題を解いて提出しろよ」
「寮長。チェチェリア先生と?」
「会った。元気だ。心配すんな」
多少目が死んでたが関係者は今現在皆そんな感じだから触れてやるな、といまひとつ大丈夫だとは思えない言葉を添えた寮長に苦笑いをして、ロゼアは改めて、ありがとうございますと告げて課題一式を受け取った。
次、メーシャ、と言いながら、寮長の手が空に魔術式を書き入れる。なにもないように見える場所から、ロゼアに渡したものとよく似た課題教本一式と、真っ白な封筒をひとつ、取り出して渡す。
「お前にだ。会いに行けなくてすまない、課題を済ませて置くように、とのことだ。……不安がらせてすまない。落ち着いたら話をしに行くから、とも」
「……ストル先生は、どう過ごされてるんですか?」
「三食オヤツ付で昼寝付で監視付。悪いようにはされてない」
だいたいのことは書かれてるだろうから、読んでやれ、と示された封筒を裏返すと、検閲済みの赤い印が押されている。ごめんねごめんね読んでごめんね、と走り書きの一文も、ぺたりと張られた薄青の付箋の上に。
それ星降の陛下の直筆だぞ、ありがたがれよ、とごりおされて、メーシャはふわりと微笑んだ。仕方がない保護者たちである。
「さて、ナリアン?」
「え? なんで話しかけてくるんですか?」
「そこからかよ。この反抗期が……!」
さくさくさくっさくさくさくっ、と人参を与えられた子兎の動きで、一心にリーフパイを食べているソキから視線を外さないまま、ナリアンはきっぱりと言い切った。
「俺に用事はない筈です」
「残念だったな、ナリアン」
す、と寮長の指先が魔法式を描く。取り出されたのは分厚い教本の数々。
「俺の女神が!」
どさっ。
「お前に!」
どさどさばさっ。
「もっと輝けと……囁いている!」
ばささささっ。
「ということで追加分だぞ、ナリアン。喜べ」
ちなみに、提出期限は延びないとのことである。山と詰まれた新教本と回答集を眺めて、ナリアンは厳かに頷いた。
「不在の間の課題をくださいってロリエス先生にお願いした俺はどうかしてた」
「女神の愛の鞭だぞ? 喜べよ」
「あっ、ソキの問題集もあるです。きゃぁあん!」
山が崩れた一角の整理整頓をしていたソキが、付箋がぺたりと張られた小冊子を引っ張り出し、目を輝かせる。ウィッシュがロリエスに依頼して、整えてもらったものであるらしい。
製作者、ウィッシュ。難易度調整、ロリエス、と書かれている。お勉強ができるです、嬉しいことです、と満面の笑みで、ソキはちょんっとナリアンの隣に座りなおした。
「ナリアンくん。ソキと一緒にお勉強しましょう?」
「うん分かった! 俺、この課題を倒してみせる……!」
「でも、今はお茶をしてお休みしましょうね。りーふぱいをあげます」
えい、と口の中にパイを突っ込まれて、ナリアンは和んだ気持ちでそれを咀嚼した。ソキのものをいくつか差し引いても、まだ十分に山の形を失わない新たな課題のことは、ひととき忘れることにした。
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