リトリア、砂漠ひとり旅。になる筈だったマイフェアレディ編。

祝福の子よ、歌え

祝福の子よ、歌え 01


 数枚に纏められた報告書を机に放るように置き、つまり、とエノーラは頭の痛そうな声で言った。

「ストルとツフィアがデキてるって勘違いした傷心リトリアちゃんが旅に出たっていう解釈でいいのね? チェチェリア」

「ああ、もうそれでいいんじゃないか。大きくは間違っていないだろう。そうだな、レディ?」

「王陛下たちの前で同じことが言えるならそれでもいいんじゃないかしらねえぇえ! つまり! 駄目って! ことよ! ふたりともなにを言ってるの……?」

 即席会議室に集まった魔術師たちの目が全員死んでいる。それはもうことごとく死んでいるのを目の当たりにして、ちょっと遅れて入ってきたウィッシュは、びたんとばかりに扉に背をくっつけた。

「えっ、ええぇなにこれ怖い……引く……」

「ウィッシュ。出歩いていいのか?」

「う、うぅ……チェチェリアと一緒……。会議には顔出して、まあちょっと参加してきてねって、陛下が。それが終わったら、とりあえず一週間は部屋で謹慎なんだけど……。ああぁ、よかった、独房じゃなくて。俺、独房嫌い。暗くて狭くてじめじめしてて」

 そもそも、独房が好き、というのであればそれは十分特殊性癖に該当する事案である。おいでおいで、と疲れた顔をしたチェチェリアに手招かれて、ウィッシュは仕方なく、とてとてした足取りで女性たちの傍に歩み寄った。

 椅子を引き、ちょっとくちびるを尖らせて、不安がるような戸惑うような表情で、ちょこ、と座る。ほわっ、とレディが心底和んだ笑みで緊張を解した。

 『砂漠の花婿』は、こと砂漠出身者において、最強の癒しであり兵器であり精神安定をつかさどる。

「ウィッシュさま。ソキさまと、ロゼアさ……ロゼアくん。ナリアンくん、メーシャくんの様子は……?」

「ソキ? ロゼアとあやとりしてたよ」

 なんかソキの手ってやっぱりちっちゃいからさ、こう、ちまちまけんめいに動かしてて、でもからんじゃうんだよね。それをロゼアが丁寧に解いたり、ちっちゃいのを頑張って受け渡されたりするのを、ナリアンとメーシャが覗き込んでてね、と身振り手振りで説明するウィッシュを見て、エノーラとチェチェリアも和んだ息を吐き出した。

 ソキほどではないのだが、ウィッシュの説明は、なんだか小さいこどもが一生懸命になにかを教えてくれているような雰囲気を持っていて、見ているだけでも心を和ませる。

 あっでも怒ってたなぁ、とウィッシュはくちびるを尖らせ、顔の前で両手のひとさしゆびを、つんつんと突き合わせた。

「これはー! せいだいなまきこまれじこー! というものですー! ソキはむじつですー! って、なんかすんごい怒ってた。ぷんぷんだった」

「ぷんぷん……」

「うん。ぷんぷこしてた」

 ソキはおこー、というやつですうううってロゼアのおひざの上でね、こうね、ちたぱたしててね、と説明してくれるウィッシュに、チェチェリアはふっと笑みを深めて頷いた。

「そうか。ロゼアとソキは大丈夫そうだな」

「ナリアンに関しても、安心してくれていい」

 言いながら、コン、と戸を叩き入ってきたのはロリエスである。

 あっロリエスだ今日の下着何色、と流れるように己の欲望を満たそうとするエノーラに黒だと餌を与えながら室内を横断し、ウィッシュのひとつ隣、円卓の椅子を引いてゆるりと腰かける。

「一ヶ月分の課題を出しておいた。一週間で終わらせるように、と言ってな」

「ロリエス。計算が合わない」

「私も明日から謹慎だからな……。女王陛下の執務に一週間付き添い、片時も傍を離れてはいけないらしい楽園か……!」

 ロリエスのそれは謹慎じゃなくてご褒美だよね、という感想を集った魔術師の誰もが抱いたが、口に出しはしなかった。顔を赤らめてふるふると感動に打ち震えるロリエスに、届く気がしなかったからである。

 談話室に寄って来た者ならではの情報として、ウィッシュが、そういえば寮長がソファの上で膝抱えて落ち込んでたもんね、と呟く。女神にも可愛がっているウィッシュにも、どうあがいても一週間は会えないのだ。さぞ辛かろう。

 反動でナリアンを構いたがるだろうが、四倍圧縮課題を出されたナリアンが、相手にしてくれるかどうかは絶望的なものがあった。とすると、と琥珀色の瞳で空を睨みつけ、エノーラは頬に指先を押し当てて息を吐く。

「問題はメーシャくんか……。ストルと会えてないんでしょ?」

「リトリアの家出以後、即座に拘留されてたからな……」

「家出……? あれ家出なの……? 家出っていう単語で片づけていいの……?」

 とりあえず楽音だとそういう感じになってる、と果てしなく遠くを見る目で呟くチェチェリアに、レディが涙目で頭を抱える。

 わたしにははっけんしだいとらえろとかせいしとわずとかいうめいれいまでくだってる家出ってなに、と呻くレディの肩に、エノーラがぽんと手を置いた。

「無断家出の傷心旅行よね」

「ええぇえ……え? 白雪と楽音は? そういう解釈なの? 花舞じゃないのに頭に花咲いちゃった感じ?」

「は? ストルがリトリアを振ったと聞いたんだが?」

 それは旅にも出るよねええええ、という同情でものすごいのが花舞の魔術師一同の意見であり、解釈であるらしい。

 謀反の意思あり、発見次第捕えよ、抵抗の際には生死問わず、という命令書は、もちろん、どこの国にもまわされたものである筈なのだが。あれ、という不可解な沈黙が、関係魔術師集合会議室を静まりかえらせる。

 沈黙を破ったのは、ひょいと会議室を覗き込んだラティだった。メーシャの様子が心配で、見に来ていたらしい。なにこれ、と沈み込んでいるのとはまた違う雰囲気を察知して眉を寄せるラティは、砂漠の王宮魔術師。

 無言のまま視線が交わされ、ラティ、とチェチェリアが微笑みながら問いかけた。

「今回のリトリアの出奔に関して、砂漠の見解は?」

「ツフィアがストルと浮気してリトリアちゃんが傷心旅行に出たんじゃないの? ツフィアどうしたの? なんで人生に惑ってるの? って感じ」

 だんっ、とレディが机に両手をついて立ちあがった。涙目である。ものすごく泣きそうである。

「お願い、だから……!」

 やや引き気味の魔術師の視線を受けながら、レディはくじけず、ちからいっぱい言い放った。

「報告書、読んで……! 読んでよおおおおお!」

「レディ。読んでも意味が分からなかったからこうなったんだ」

 ふああ、と口の前に手をかざしてあくびをし、ロリエスは冷静な声で突っ込んだ。

「ストルがツフィアを好きでツフィアがストルを好き? リトリアがそう言った?」

「……うん」

「レディ」

 説得力のある笑みを浮かべ、ロリエスは断言した。

「起き過ぎで疲れてたんだな? 寝よう」

「あっ、えっちょっとまってちょっとまって気がついちゃったんだけどこれもしかして! 私があんまり寝てなかったすぎて勘違いしてるんじゃないの説が生まれてる可能性っ……!」

「白雪だと、レディいいから寝ろよ派と、リトリアったらうっかりさん派に分かれてるよ」

 王の命令書が下されてなお、情報が錯綜して混乱した揚句、よく分からないことに落ち着きかけている原因と理由はそんなところにあるらしい。

 ああああもおおおっ、と涙目で叫んで、レディは捨て台詞のように、良いわよ寝てやるわよ眠ればいいんでしょうこんちくしょうめがおやすみなさいっ、と走り去った。

 手を振って見送り、チェチェリアはやや罪悪感のある表情で、胸に手を押し当てた。

「可哀想になって来た……」

「でも、レディが殺害役で、執行の最有力候補である以上、多少強引にでも眠らせておかないと……」

「えっそういうのだったのあれ、えっ、えっ」

 申し訳なさそうに顔を見合わせる女性陣に挟まれて、ウィッシュはオロオロと視線を彷徨わせる。それに、ふ、と笑って立ちあがって。ラティは帰ろうか、とウィッシュに向かって手を差し出した。

「『扉』まで送るよ」

「え、えぇえ……俺だけ事情知らされなかったのなんで……?」

「あなた嘘つけないじゃない」

 きっぱりと言い切られて、ウィッシュはむくれて唇を尖らせながら、ラティの手をきゅっと握りしめ、立ちあがった。とてとて歩いて行きながら、ウィッシュはリトリアのことを思う。少女は砂漠の国へ向かっているのだ、と聞いた。

 現在、なんの不具合が起きているのか、全ての場所から『扉』が通じず、魔術的な移動ができず。指名手配をされている以上、通常の手段で国境を通るのは難しいことだろう。

 魔術で撹乱し、強引に突破することならば叶うだろうが、リトリアは予知魔術師。万能であるが故、魔力量が極端に少ない魔術師である。それでも、ラティよりはあるのだが。

 とてとて歩きながら、ウィッシュはソキを参考に、指折り数えて考えた。国境を無理に超え、その情報がどこにも行かないように封じつつ、制限となる百時間の前に解いては進みを繰り返しているとして。

「……枯渇して、行き倒れてないといいけど」

 心配だなぁ、と息を吐くウィッシュに、緊張感はなく。魔術師の誰もに、それはなく。あえてそれを目の当たりにしないよう、努力して目を逸らして。降り積もる時間に、ただ祈りを重ねていた。

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