ひとりの。別々の夜。 44


 魔力的なことだよ、と頷いて。ウィッシュは機嫌良く伸びあがり、ロゼアに頬をぺとっとくっつけているソキを見た。

「ロゼアから離されたんだもん。体調が良い訳ないよ。そんなことは分かってる。で、それに付随して魔力がおかしくなってるのは魔術師の常で……俺がなんで? って思ってるのは、そんな状態なのに、あれだけの規模の魔力をソキが扱えたことと、そこからの回復の仕方と……おかしいくらいの安定の仕方だよ」

「……魔力が?」

「魔力が」

 転がすようにその言葉だけを繰り返し、ウィッシュは柘榴色の瞳を訝しさにゆがめた。

「あんなに安定する筈ないし、あんなに回復してる筈がない。あんなにいっぱいに、魔力で満たされてる筈がないんだよ。満ちるものが、ないんだから。……水器が元に戻ってるようにも思えないし、そういう風には感じ取れない。……なんだろう」

「悪いことか?」

「分かんない。リトリアの担当教員さんに聞いてみるよ、前例がないか」

 あと、リトリアにも聞いてみる。考えながら呟くウィッシュの視線の先で、ソキはくっつけた頬をくしくし擦りつけ、ロゼアにくっつくのに忙しいようだった。甘えやがって、とうんざりする寮長の呟きに、『花婿』は苦笑する。

 甘えるというか。あれは『花嫁』の自己主張だ。ロゼアちゃんはソキのっ、ロゼアちゃんはソキのおおおっ、といっしょうけんめい主張すべく頑張っているのに、離れてて寂しかったもんなー、わかるわかる、とのほほんと頷いて。

 ウィッシュは眠たげにあくびをした。リトリアに聞くのを忘れないようにしなければ、と思った。




 星降の筆頭魔術師。リトリアの元担当教員たる男からの回答が、常識的に考えてその安定の仕方はちょっとおかしいし、リトリアにそう言った状態が見られたことはありませんでした、というものだったので、ウィッシュは速やかに楽音に対し、予知魔術師の外出許可を要請した。

 予知魔術師本人が出向いて、調子を見てくれるのが一番だと思ったからである。当代の王の魔術師たちの中でも、リトリアは特に魔力の純度、密度が高い。

 扱いが上手であるかはまた別問題だとしても、こと予知魔術師の魔力問題について、同一適性であることを踏まえた上でも、これ以上ない適任者だと思われた。

 もう大丈夫だから、ちょっと見がてらお外に出してあげなよー、という気づかいであることも想像にたやすかった。

 かくして火の魔法使い、レディを伴い、リトリアが『学園』を訪れたのは五月のはじめ。初夏の頃である。

 新入生のいる年度なら、迎えの役を割り振られた妖精の気配で『中間区』は不思議なざわめきに満ちているものだが、リトリアを出迎えた空気はひやりと落ち着き穏やかだった。

 ようやく、ソキのぶち抜いた空間の修復も終わり、全体の魔力酔いも収まった所である。平年通りの『学園』である筈なのだが、リトリアはそこになんとなく抑圧されたものを感じ取り、無言で目を瞬かせた。

 視線を辺りに彷徨わせるうち、無意識に立ち止まっていたのだろう。数歩先を大股に行っていたレディが、足音を立てながら戻り、リトリアの腕を掴んで引いた。

「どうしたの? なにかいた?」

「……なんでもないです」

 うん、と納得してくれたような、それでいて不満げな声をもらし、レディはきゅぅと眉を寄せて息を吐く。リトリアの元へ現れた時から、レディはなんとなく不機嫌だった。

 己でもそれを自覚しているのだろう。気持ちの荒れをリトリアにぶつけてしまったことを恥じるように、レディは唇に力をこめ、掴んでいた腕から指を離す。

「ごめん……でも、ちょっと私から離れないでいてくれる?」

「はい。なにか、ありましたか……?」

「ええ。ちょっと、ちょっとね……すごく個人的な理由で苛々してるだけだから、リトリアちゃんには申し訳ないんだけど……うん、でも、うん。うん……。リトリアちゃん、私が守ってあげるからね……!」

 なんらかの理由で気合いを入れ直すレディの手に指先を預けながら、リトリアはくすりと笑み零し、よろしくお願いしますと囁いた。手を包みこみ引きながら、レディはほっとした微笑みでもちろん、と囁く。

 その役目を王たちから押しつけられたというのに、守り役としてのレディは、リトリアの目から見ても熱心だった。繋いだ手からじわりと魔力が染み込む。

 血を熱くするような火の魔力は、リトリアの気分を悪くするものではなかったから、そのまま受け入れる。触れただけで、己の内側にある魔力が、相手に伝ってしまうことはない。

 それは無意識の加護であり、それでいて明確な目印にもなりうる行為だった。

 魔力そのものは『魔術師』に共通した、資源にも似たような存在である。しかしそれは、ひとの手を介して世界へ現れる時、明確な個人差、個性を持って行くものなのだ。

 ひとりひとりの声が、指の形が、違うように。それを視認するに長けたものなら、見ただけで誰の魔力かすぐに分かるほど。相手に己の魔力を注ぐという行為は、単なる回復の他であれば、獣が縄張りにしるしをつける行為に他ならない。

 恋人であっても通常、同意なしにはしないことだが、レディのそれは純粋な守護の意思であり、リトリアになにかあった時に全自動で発動する遠隔攻撃の準備でしかない。

 魔法使い程に魔力の量が潤滑であればこそ、余剰分を無意識に使ってしまっているだけなのだろう。

 相性が悪くないから、眩暈や気持ちの悪さを感じることがないのは幸いだった。それに、リトリアは他者の魔力を身の内に落とし込むことに慣れていた。

 そっと息を吐き出して落ち込みかける意識を叱咤し、リトリアは顔をあげ、レディに連れられて廊下を歩いて行く。ようやく冬の冷たさを感じることも無くなった、初夏の陽気が肌に触れて行く。

 そこへ一瞬、熱風めいたきらめきを感じた気がして、リトリアはまた目を瞬かせた。なにか。空気に異質な魔力がそっと混じっている。

 そんな気がしたのだが、リトリアよりも魔力の視認に長けたレディが特におかしな顔をしていないので、気のせいなのだろう。胸のざわめきを指先で押さえ、リトリアはとと、と小走りに、談話室へ駆けこんだ。

「ソキちゃん……!」

 あっと声をあげ、ソキはきゃあぁんと甘い響きで笑って、ソファからリトリアに両腕を持ち上げてみせた。

「リトリアさんですううぅ! リトリアさん、こんにちは、なんですよ。レディさんもいらっしゃいませです。ねえ、ねえ、こっちへ来てくださいです……! リトリアさん、リトリアさん。ねえねえ、元気にしていたです? ソキのせいで、お叱りされたり、しなかった……?」

「大丈夫です。ソキちゃんも、元気そうでよかった……」

 レディと手を繋いだまま小走りにかけより、リトリアは思わず頬を赤らめた。その背後でレディがああと息を吐き呻いているので、それはリトリアの気のせいでもなんでもないらしい。

 ふにゃん、と目をぱちくりさせて首を傾げるソキは、分かっていないに違いなかった。ぎこちなく視線を彷徨わせるリトリアに向けられた、それが得意な生徒たちの眼差しは、うんうんその気持ちわかるよー、と言わんばかりのもので。

 ある程度の慣れを感じさせたから、昨日今日のことでもないらしい。ソキの隣にすとんと腰をおろし、リトリアはそっと、頬に両手を押し当てて息を吸い込む。

「ソキちゃん……魔力、ロゼアさんが……くれるの……?」

「ろぜあちゃのまよく! とぉってもあったかくてきもちです!」

 いいでしょおおおすごいでしょおおおっ、とばかり、ぺっかあぁああっとした笑みでふんぞりかえるソキには、分かっていないにせよ、ロゼアの魔力で満たされている自覚、というものはあるらしかった。

 使っている香水を借りて付けてみたんですけど、そうでしょういい匂いでしょう、と同じくらいの感覚でいるらしい。

 これは教えてあげた方がいいのかな、でもでも、ともじもじするリトリアの前、床の上にしゃがみこみながら、レディが深刻な顔でソキのことを呼ぶ。

「……ロゼアさ、くんは。ソキさまに、なにか……なにを……?」

「ロゼアちゃん? ロゼアちゃんは、いま、授業中です。ソキに、ここから動かないで待っていような? ってして、ぎゅって、そうなんですうううきゃあぁあああんきょうもソキをぎゅって、ぎゅううぅってして、かわいいかわいい俺のお花さん。かわいいソキ、行ってきます、って言って頬をすりすりってして! ソキに! ろぜあちゃが! ほっぺをすりすりってしてきゃぁあああんふにゃぁんふにゃんやんやんはうううううっ!」

 顔を真っ赤にして身悶えて興奮するソキには、身を満たしきったロゼアの魔力より、そちらの方がよほど恥ずかしくて嬉しくてたまらない出来事のようだった。

 つまりロゼアちゃんはソキにさいきん、めろめろー、というやつなんですううううはううううっ、と目をうるませ、顔を真っ赤にしてちたぱたちたぱたひとしきり興奮したのち。

 ソキはあれれ、と目をぱちくりさせ、微笑むレディとリトリアを見比べて。

「もしかして、ソキになにかご用事があったんです……?」

 ようやく気がついたように、とてもとても不思議そうに、そう言った。

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