ひとりの。別々の夜。 45


 リトリアが呼ばれたのは、ソキの魔力の安定の理由を探る為である。魔力を溜めておく水器を持たない魔術師であるから、ソキのそれが安定状態を保っている、そのことがすでにおかしいのだが。

 リトリアさん、きいてきいてぇ、あのねあのねロゼアちゃんがね、と頬を赤く染めて興奮しながら話し続けるソキに、特別な異変を感じ取れることはなかった。確かに、魔力が体に満ちて、ひどく安定している。

 その魔力が根本的にロゼアから受け渡されたものであるという事実を考えなければ、これはただ魔力がいっぱいになって、落ち着いているだけの状態だった。

「それでね、それでねソキは思ったんですけど。もしかしてロゼアちゃんはソキのこと、ちょっと好きすきにっ……きゃあぁあん! かわいい、かわいいソキっていーっぱい言ってくれるようになったです。ソキは、ロゼアちゃんの、かわいい、です。ふにゃぁあんやんやんやぁあんっ」

「……前とおんなじじゃないの?」

「だってほっぺをすりってしてくれるですうううリトリアさん、さわるぅ? リトリアさんなら、ちょっとだけ、ソキのほっぺを撫でてみても、いいんですよ? でもりょうちょはだめですお断りです減っちゃうです」

 談話室の隅に視線を投げかけ、びしっとした声で嫌がるソキに、はいはいはい、と受け流すような仕草で頷きが向けられている。思わず笑ってしまいながら、リトリアはすこしだけね、と囁いて、ソキの頬に指先を伸ばした。

 しっとりとした、さわり心地のいい肌だった。きめ細かく整えられたそれは、指先に吸いつくような滑らかさだ。ほんのわずか指先を押しかえす弾力に、思わずソキの体を引き寄せ、腕いっぱいに抱きしめたくなる。

 リトリアはふるっと指先を震わせてソキから引き剥がし、ぎこちなく息を吸い込んで、頷く。

「きもちいい……ね……?」

「でっしょおおお? ロゼアちゃんがね、両手でね、ソキの頬を包んでくれてね。ソキ、ソキ、かわいいソキ。俺のお花さん。俺の傍にいような。ソキのして欲しいことなんでも言っていいよって。だからね、ソキね、ソキをロゼアちゃんの好きにして? ってお願いしたです」

 げふっ、とも。ぶふっ、ともつかないひずんだ音でレディが咳き込む音が聞こえたが、リトリアはさもありなん、と微笑みを深めてそうなの、と頷いた。これは昼間に聞いていい話なのだろうか。

 というか談話室で聞いていていい話なのだろうか。

 えっと、あの、その、待ってね、と控えめに食い止めようとするリトリアの話を、もちろんまるっと聞き流して彼方にぽいっと投げた満面の笑みで、それでねそれでね、とソキはもじもじと続けて行く。

「ロゼアちゃんの好きな風にソキに触っていいんですよ? ね、ね、ソキをロゼアちゃんの好きにして? いっぱいして? さわって? ねえねえ、って言った……いったら……言ったです……ソキはめいっぱいゆーわくしたです。ほんとです。ちゃんとお膝に乗ってお胸もくっつけて、すりすりしたです。柔らかくてとってもきもちいな筈です。お風呂上がりで、ほわほわあったか、いいにおいー、だったですうううう」

 べこっ、べこここっ、と途中でなにかへこむような音がした、気がした。ソファに両手をついて、体を支え切れずにくにゃりとその場に蹲り、ソキはいやぁあああっ、と悲痛な声で頭をふり、もぞもぞしている。

「そうしたら、そうしたらロゼアちゃんったら、何度もソキに念押しするです。ほんと? 好きにしていいの? 俺の好きにしていい? かわいいソキ。ほんと? って。だからソキはもちろんです、ソキをロゼアちゃんの好きにして? って言ったですううううこれはいけると思ったですううう! ロゼアちゃはうん分かったって言ってくれて、ソキをころんて寝台に横にさせたからこれでもうロゼアちゃんはソキにめろめろですきもちいのですって思ったのに、思ったのに……!」

「う、うん……うん……?」

 雲行きが怪しく、なっている気が全然しないのはリトリアの勘違いではなかったらしい。その場に突っ伏したまま、ソキは悲痛な声でいやぁいやぁああっ、と嘆き、すんすんと鼻をすすりあげている。

「ロゼアちゃんったら、ソキのおていれー、をしたです! あしも! おせなかも! おかおも! ぜんぶ、ぜんぶです……! ソキはおせなか、くすぐったいですぅー、いやんいやんってしたですのにぃ! ロゼアちゃんったら、俺の好きにしていいって言ったろ? かわいいかわいいソキ、好きにしていいんだろ? って言って、いいいーっぱい、お背中をなでこなでこして香油ぬったり、まっさじ、したり、なでこなでこして、いっぱぁーい、さわってくれたですうううううそういうんじゃなかったですううううソキのみりょくがたりないですうううううゆゆしきじたいですうううううう!」

「リトリアー、それ、毎日のことだから。ほっといていいぞー」

 とりあえず傍観している寮長の声は、呆れに彩られきっていた。こくん、と頷きながら、リトリアはソキの髪を撫でてやる。不用意に触れたことを後悔してしまいそうな、さらさらの髪だった。

 手をしっかり洗ってからにすればよかった、と思う。いい香りもした。白い花の香りだった。

「ソキのなにがたりないですかぁああ……! ……も、もしかして、もしかしてなんですけど……!」

 もちゃもちゃ、ちたぱたした仕草で顔をあげたソキは、青ざめた表情でリトリア、の胸を見た。

「ろぜあちゃ……! リトリアちゃんみたいなお胸が好きになったんじゃ……!」

「ソキいいいいいっ!」

「やああぁあああたいへんなことですうううう! ふわふわでふにゃふにゃのソキのお胸より、控えめで慎ましくってすとーんってしたのが好きになってたら……! リトリアちゃんみたいなお胸ないのがお好きになってたらどうしようですうううう!」

 頭を抱えて全力で叫ぶ寮長の声を完全無視して、ソキはあわあわと己の胸に両手を置いている。ふくよかで、やわらかそうなふくらみと、己のそれを見比べて、リトリアはぺたんっとそこへ両手を押し当てた。

 おなかよりは、やわらかい。ような気がする。

「せっ……成長期がこれから来るんだもん……」

 しかし。ソキのような、ふくよかで柔らかそうな胸や肩、ほっそりとした印象の腕と、折れてしまいそうな腰回り。ふんわりとした、それでいて華奢で儚い、完璧に整えられきった印象の体つきには、これからどうしても成長できる気がしない。

 ストルさんもやっぱり、お胸がほわんとしていた方が好きかな、と落ち込むリトリアの眼前で、ソキはふたたび打ちひしがれた様子で、へしょりとソファに突っ伏した。

「ソキ、リトリアちゃんみたいなおむねになるぅ……。なるもん。なるうぅ……」

「ロゼアほんと性欲ねぇなみたいな嘆きはもう構わないとは言ったけどな! 被害拡大させんなってあれほど、あれほど言っただろうがこのつんつるてんの鳥頭がっ!」

「構わないんですか……?」

 でもストルさんの好みとか、今度こっそり誰かに聞いておこう、と決意しつつ。視線を向けたリトリアは、訝しげな顔で瞬きをした。見るに見かねて駆け寄ってきたらしき寮長が、けれども傍に来ることなく、不自然な距離を保っていたからである。

 やぁね、そんな何回も殺人未遂なんてしないわよ、と眉を寄せるレディにお前じゃねぇよと呻き、寮長は警戒の眼差しで、まだ嘆いているソキを見た。

「先日から、ソキをひっぱたくと火に直に触ったみたいに痛くなんだよ。手が」

「……やけど? 守護か呪い、ですか?」

「いや、単にロゼアの魔力が敵に対して反発してるだけ、というか。静電気みたいなもんだけどな。……まだ」

 ともかく、近くまで行くと反射的に折檻してしまい、手が痛いので一定距離を開けることにしたらしい。

 そんなのりょうちょがソキをぺちんってしなければいい問題ですうううう、とぷんぷんしながら文句を言うソキに、リトリアは困惑の視線を向け。寮長を見て、レディを見て、もう一度ソキに視線を戻して、しばらく考え。

 ちょっと、チェチェリアのところまで、一緒に行きましょうか、と提案した。なにか考える所があるようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る