ひとりの。別々の夜。 32



『アタシを魔力酔いで昏睡させといていちゃついてんじゃないわよーっ!』

「ぴゃぁあああああ! ソキまだなにもしていないですうぅうううぴゃあああああああろぜあちゃ起きちゃったですうううううう!」

 あんまりなことですううううもうちょっとだったですううううっ、と打ちひしがれてべしょりと寝台に伏すソキを、寝ぼけまなこのロゼアがひょいと抱き上げる。

 んー、と声をもらしながら体を起こし、膝の上に抱きあげて、ロゼアはあくびをしながらソキの背をぽん、と撫でた。

「どうしたんだ? ソキ」

「め、めったにないことだったです……きちょうなちゃんすだったです……。ううぅ……う、う……う……? ……あ、あー! ああぁー! リボンちゃんですうううう!」

『遅いのよこのノロマーっ!』

 ソキが見上げる先。天井からつりさげられた灯篭の中で、妖精が眦をつりあげて怒り狂っていた。火は消されて久しいのか、熱にやられた様子もない。ソキはぱちぱち瞬きして、くにゃん、と力なく首を傾げてみせた。

「リボンちゃん、そんなところでなにしてるです? ……捕まっちゃったごっこ?」

『なんでそんな結論に達したのか分かりやすく説明しろこの馬鹿』

「ぷーぷぷぷ! この間読んだ御本で、妖精さんが捕まえられてたです」

 こんなでね、こんなでね、こんなのにね、こうやってね、ぺいってしてね、それで鍵を閉めてね、それでねそれでね、と身ぶり手ぶりでけんめいに説明するソキに、妖精は半眼になりながら六角柱に作られた、透明な硝子を脚で蹴った。

『アンタが! 空間ぶち抜いて帰ってくるなんてことするから! 一番近くにあった安定した魔力の傍で蹲ってるしかなくなったのよ反省しろっ! ああぁあと遅くなったけど、おかえり、ソキ。怪我はない? ちゃんとご飯食べてた? 眠れてたの?』

「きゃぁん。リボンちゃんがお優しいです……!」

『嬉しげに照れてないでアタシの質問に答えなさいよおおおおおっ!』

 なんでアンタはすぐそうやって自分の都合の良いトコしか拾い聞きしないのよほんとにいいいっ、と怒りながら、妖精は硝子をがんがん蹴って灯篭から脱出し、腰に手をあてて空からロゼアを見下ろした。

 その後ろでは、鍵はかかってなかったんだから普通にあけて出てください、と頭を抱えたシディが顔を覗かせている。妖精たちは、灯篭を宿代わりに夜を明かしていたらしい。

 ソキは己の案内妖精と、ぐったりするシディをきょとんと見比べて。ねえねえロゼアちゃん、と己を抱く腕を指先で突きながら、上目づかいに問いかけた。

「リボンちゃんとシディくんは、なかよしさん?」

「……ん?」

「ふたりでいっしょに寝てたです……!」

 なかよしさんです、と頬を赤らめて照れるソキに、シディが頭を抱えて天を仰ぐ。前代未聞にして未曾有の大規模巻き込まれ事故です、とシディが呻くのと。

 お前の脳内に咲いた花を今日全滅させてやる覚悟しろ、と低くうねる声で妖精が吐き捨てたのは、ほとんど同時のことだった。




 魔力そのものに存在が近い妖精にしてみれば、それは意識を失う程の衝撃であったらしい。恐らくは数秒間の完全な昏倒の後、妖精が意識を取り戻したきっかけは、ロゼアがソキの名を呼びながら部屋をかけ出して行ったからだった。

 ロゼアの部屋には、少年の魔力が満ちている。太陽の黒魔術師。時に敵と定めたものを一瞬にして蒸発させ、植物を狂い死ぬほど成長させるその無慈悲な力は、本人の半ば無意識で室内空調に役立てられている。

 魔力純度をこの上なく希釈すれば、確かにその力は空調にとても役立つのだ。光と熱の魔力。降り注ぐそれを和らげ、時には強め、空気を暖め、上昇しすぎないように抑え込む。下限することを食い止める。

 ソキが戻って来れないことで『学園』に泊まり込んで帰りを待つ、と宣言した妖精を、ロゼアは賓客のように部屋へ招いてもてなしたのだが。

 そこへ満ちる糖蜜のような魔力に触れて、妖精はほとほと呆れかえって腕組みをし、臓腑の底から溜息をついた。

 傍らで優しい微笑みでロゼアを眺めていたシディも、心配してやってきてナリアンにひっついていたニーアも、明るい笑顔であれこれと話しかけ大丈夫だって、と言い切ってやっていたルノンも、同じような表情でロゼアを見た。

 世界断絶の知らせを受けて、導きの子の様子見に来た妖精たちも、同じような表情だった。妖精たちは、時折、丘に花を摘みに来てはロゼアちゃんやんやん、とぐずったり照れたりちからいっぱい自慢したりする、ソキのことを知っている。

 その迎えに来るロゼアのことも、シディに会いに来てなにくれと世話を焼く以上の理由で、妖精たちは知っていたのだ。

 妖精たちの知るロゼアというのは、シディの導きの子であり、チェチェリアの生徒であり、希少な太陽の黒魔術師であり、そしてひどい少年だった。

 なぜならソキの主張を総合して要約すると、なんだかそのうち恋人ができて飽きられてそうしたらもうだめですでもそんなのいやです、という風になるので、苛烈な妖精の物言いを加味せずとも、とりあえずちょっと呪う案件、くらいには思っていたものなのだが。

 シディの、いえ絶対にそんなことはないと思いますよ僕はね、という遠い目で呟かれた言葉の意味を、案内役を経験した妖精たちは、魔力に触れることで思い知る。

 それは鳥籠だった。美しく、麗しく、かくも繊細に編みあげられた鳥籠の鋼だった。太陽の魔力は鋼の檻を形成している。その範囲はロゼアの居室。そして妖精たちが見る所、その扉は完全に開かれていて、役目を成していないように思えた。

 妖精は、ソキがそーっと差し出した角砂糖を奪うように受け取ると、がりがりかじり、ロゼアを睨みつける。食堂へ連れ出される前に確認したが、扉が開くことで流れの絶えていた太陽の魔力が、正しく循環するようになっていた。

 檻はそこへ抱くものを取り戻し、扉を閉じたのだ。ソキは、食堂に来るなりこふんと咳をして、おせきがでるです、と眉を寄せている。ロゼアの部屋にいる時に、その喉が悲鳴をあげることはなかった。

 がりがりがり、八つ当たり気味に角砂糖を噛じり、ごくん、とひとつめを飲み込んで。妖精は苛々と羽根を震わせ、ほらさっさとよこしなさいよ、とソキに両手を差し出した。

 ソキは、またそーっとした動きで妖精に角砂糖を差し出し、並べられた朝食に目もくれず、ぱちぱちと瞬きをする。

「リボンちゃん、今日はいっぱいお砂糖さんを食べるです……。おなかがすいたの?」

『……ア・ン・タ・がっ!』

 受け取った角砂糖をそのまま、ソキの指先めがけて投げつけて。妖精はやぁんっ、と声をあげて両手を上にあげたソキを、苛々しきった眼差しで睨みつけた。

『あんな風穴なんぞ開けなければ! アタシだってこんなに食べたりしないわよーっ!』

「ニーアちゃんはっ? ニーアちゃんは……っ?」

『……角砂糖が足りなくなるから、蜂蜜を飲ませなさい』

 ひょい、ぱく、あむ、こくん。ひょい、ぱく、あむ、こくん。規則正しく、それでいて必死な様子で角砂糖を瞬く間に飲み込んで行くニーアを振り返り、妖精は嫌そうな顔でナリアンに文句を言った。

 ナリアンの前には白い小皿に、それこそ山と角砂糖が積まれているが、妖精もソキも知っている。ほんの十分ほど前には、その山は三つあったのだ。今はもうひとつだけである。

 ひょい、ぱく、あむ、こくん、の音は早くはならなかったが遅くもならない。早々に、『学園』の角砂糖備蓄を枯渇させるのが忍びなくなったのだろう。ルノンとシディは紅茶にミルクを注ぎ入れるちいさな器を借り受けて、それぞれ蜂蜜を喉に通している。

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