ひとりの。別々の夜。 33

 ソキ、リボンちゃんにも蜂蜜さんをあげるです、とほわほわ言ってくるのに、妖精は厳しい目を向けた。

『いいから。アンタは自分の食事をなさい』

「リボンちゃん? ソキはぁ、いま忙しいです」

 妖精が見たところ、ソキはロゼアの膝の上に陣取って降りようとしないまま、ぺたーっと体をくっつけて甘えているようにしか思えないのだが。

 なにに忙しいっていうの、と説明を求める妖精に、ソキはよくぞ聞いてくれましたっ、とばかり、えへんと偉そうにふんぞりかえって告げた。

「ソキはロゼアちゃんに、いいぃーっぱぁーい! あまえるです。いそがしです」

 はふー、と息を吐き出して、ソキはロゼアにきゅむりとばかり抱きつきなおした。

 妖精が半ば睨むように沈黙する間も、ソキはやたらと幸せそうな様子でくしくしと頬を擦りつけ、はうーはぅーきゃうーきゅぅう、きゃぁぅーっ、と声をあげてはしゃいでいる。はしゃぎきっている。

 ロゼアは甘えてくるソキにふっと笑みをこぼし、膝の上に抱きなおした。ぎゅ、と妖精が見て分かるほど、ロゼアの腕に力が込められる。

「ソキ。ソキ、そーき。どうしたんだ?」

「甘えてるです。ロゼアちゃんはソキを甘やかさなくっちゃいけないです」

「あまえてるの?」

 くすくす、笑いながらロゼアが頬をソキの頭にくっつける。頭に重みが加わったので、ソキはぷきゅ、とすこし潰れたような声を出した。んー、とのんびり笑ったロゼアが、ソキの背をぽんぽんと撫でて宥める。

 ソキはすぐにくてんっと体から力を抜いて、ロゼアの膝上でもぞもぞ、体の座りの良い位置を探した。そしてまた、ぺとぉーっ、と見るからにあまえきった仕草でロゼアにくっついた。

「ねえねえ、ロゼアちゃん。ロゼアちゃんは、今日はソキと一緒にお昼寝をするです。ね、ね、ね? いいでしょう?」

 それで、ソキが先に起きて今度こそろぜあちゃんにちゅ、ちゅうを、するですっ、という欲望が先走っているのが妖精にもよく分かるおねだりだった。

 机にあぐらをかき、肘をついて首を傾げながら、妖精は片手で角砂糖を口に運び、がりがりがりとかじって行く。妖精の考えが正しければ、十中二十五くらいの確率で、いっしょにお昼寝なんぞしたソキが先に起きるという事態は起こらない。

 ロゼアはソキの髪を手櫛で梳き、一本の三つ編みを作りながら問いかける。

「お昼寝したい?」

「ソキ、ロゼアちゃんと一緒にお昼寝したいです」

「ん。いいよ。お昼寝の服に着替えような」

 きゃあぁあんっ、と両手をあげておおはしゃぎするソキに、妖精は深く溜息をついた。

 昼寝をするのに一々服を着替えるなとか、アンタそれどうせ自分で脱ぎ気しないんでしょそもそもその服を選んで来るのはロゼアでしょうロゼアの趣味の服でしょうとか、言ってやりたいことは事細かにそれこそたくさん、たくさん、山のように積み上がって谷底が見えないくらいに、あるのだが。

 そーっとシディが、供え物のように差し出してきたはちみつを受け取り、妖精はそれをごきゅごきゅと飲んだ。お静まりください、と控えめな願いは聞かなかったふりである。

 こと、と空の容器を机に置いて、妖精はゆぅらりと羽根を揺らして問うた。

『で? アンタ食事はいつになったらするの? アタシが言うまでも! ないと思うけどっ! コイツどうせちっともさっぱり全然食事なんぞしてないしできてないと思うから! 戻ってきたんだったらまず食べさせたり飲ませたりしなきゃダメじゃないのそれでまた体調崩したらどうするつもりなのロゼアテメェ!』

「やん! リボンちゃん、ロゼアちゃんを叱っちゃだめぇ……!」

『アンタにどう言おうとなんの改善も期待できないから最初からロゼアを怒ってんのよアタシはーっ!』

 それともなにアンタちゃんとご飯を食べるっていうの、と睨みつければ、ソキはもちゃもちゃと慌てた仕草でロゼアにくっつきなおした。ソキ、いま、いそがしいです。

 くちびるを尖らせて繰り返された主張に、アンタそれ生命維持的な優先順位としては最下位に近いんだからね、と妖精はうんざりと天を仰ぐ。くちびるを尖らせたまま、ソキは拗ねた声でちがうですう、と言った。

「いーっぱいロゼアちゃんを堪能しないと、ソキはごはんを食べたり眠る気にならないです。ロゼアちゃんが足りないです……。……あ、まちがえちゃったです。んっとぉ……ロゼアちゃんがいるのに、ごはんを頑張るのと、おやすみするのは、もったいないです。わかったぁ?」

『ロゼア充電機能は葬り去れ! 今日を限りに!』

「リボンちゃんがむりなんだいをソキにいうぅ……!」

 それを自ら無理難題と言うのであれば、ロゼアから離れたらソキはじわじわ充電切れを起こして弱るということなのだが。コイツ本当に分かってるんだろうかという目で、妖精はソキを睨みつけた。

 分かっていて離すだのなんだの努力していたというなら、それは緩やかな自殺に他ならず。それが嫁いでいたとしても同じことだと気がついて、妖精はぞっと背を震わせた。どうして気がつかなかったのだろう。

 『砂漠の花嫁』はうつくしい。妖精の目から見ても。もしも子を授かったとすれば、その赤子もさぞ愛らしいことだろう。その血を引く者たちは、皆うつくしいに違いない。なのに。今も『砂漠の花嫁』は、生きた輸出品としての価値を保ち続けている。

 それは、つまり。続かないということだ。引き離され、弱って、死ぬならば。

『……悪趣味に過ぎるわ』

「リボンさん?」

『いいこと、ロゼア』

 吐き捨てる妖精を訝しむロゼアを、睨みつけ。一言一句を刻みつけるように、妖精は言った。

『アンタ、なにがあってもソキを離すんじゃないわよ。ソキが、やぁんやぁんひとりだちするぅー、ですぅー。だの、ロゼアちゃんが嬉しいのがいいですからソキはちょっとあっちへいってくることにするです、しょもん。だの! おひざだっこはそつぎょうすることにしたです、だの……いや、だっこはいいわ。卒業させてもいいヤツだわ。全然これっぽっちも問題がないヤツだったわ』

「びゃあぁああああああ!」

『うるさいわよ黙りなさいソキ。ともかく、いいこと、ロゼア?』

 殺意すら滲ませる瞳でロゼアを見据えて。呪うような声で、妖精は嗤った。

『アンタが知らないソキの望みを、アタシは知ってる。でも教えてやらない。無理にソキから聞きだすことも許さない。……覚えておけ、ロゼア。お前が、アタシのソキの本当の望みを叶えず、裏切るならば……アンタはそこまでの男だったってことよ。嫁いだ方がソキは幸せになれたかも知れない、ってことよ』

「そんなことないです……! リボンちゃん、なんでそんなこと言うですか……?」

 うるうる、目を涙で滲ませて鼻をすするソキに、妖精はだってそういうことでしょう、と角砂糖に歯を立てた。

『だってアンタ、愛されたがりの、愛したがりだもの。アンタをちゃんと大事にしてくれるヤツに猫っかわいがりされて、それなりに絆されて懐いた方がよかったっていうこともあるんじゃないの? このまんまだったらね』

 ロゼアは、不思議そうに首を傾げたあと、やわらかく笑った。

「俺がソキを離すなんてないし、ソキの願いを叶えないなんてことはないですよ。ソキの望みは――俺の望みだ」

「ろ、ろぜあちゃ……。ロゼアちゃん、ほんと? ほんと……?」

 ぱっと赤く頬を染めて。涙ぐんだ瞳のまま、ソキはロゼアを見上げて問いかけた。ロゼアをしあわせにできる女の子になりたいと思う、ソキの望みが、もし。ロゼアも望んでくれていることなのだとしたら。

 ロゼアは、ん、と問うように声を揺らしながら、ソキの瞼をゆるゆると撫でた。

「本当だよ。どうして? ……どうしたの、ソキ」

「そき、がんばる、です。頑張るです! ソキ、うんと、うんと、がんばるです……!」

 ぎゅううぅう、と首に腕を絡めて抱きつくソキに、ロゼアはうん、と言って微笑みを深める。本日二杯めの蜂蜜を飲みほしたのち、妖精は非常にやさぐれた気持ちで問いかけた。

『ソキはもう知ってたけど、ロゼア。お前、思いこみ激しいって言われたことある? あるわよね?』

「いえ、特に」

『アンタたちには! 話し合いが! 足りない……!』

 すん、すん、と感極まってぐずりだしてしまったソキを抱いたまま、ロゼアは妖精に不思議そうな眼差しを向けて立ち上がった。なにか言葉を告げようと迷ったのち、ソキを落ち着かせるのが最優先だと判断したのだろう。

 どうしたんだよ、ソキ。大丈夫だよ、もう離れたりしてないだろ、と糖蜜のような声でロゼアは囁く。そういうんで泣いてんじゃないわよコイツほんとどうしてやろうかしら、と思いつつ、妖精は深く息を吐く。

 まあ、なににせよ。泣くようになっただけ良い傾向だと思、えないが、思っておいてやろう。

 失礼します、また後でゆっくり、と妖精に微笑んでロゼアは食堂を去っていく。それを見送ってから、妖精は気がついた。

 ところで結局ソキはなにか食べたり飲んだりしてた気がしないんだけどアイツはそれでいいのかしらまあどうせ部屋に専用の食糧だのなんだの備えてるだろうから事足りはするんでしょうけれどあああぁあああもうアイツほんとマジこれでソキのことをしあわせにしなかったらころしてやまちがえた殺意を持ってのろってやるわよどちくしょう、と吐き出して、妖精はさらに砂糖をがりがりと齧った。

 今日はもうたぶんソキは出てこないだろうし、明日も怪しい所だろう。食べたら花園に戻って蜜蜂を襲撃しに行こう、とかたく誓う妖精に、シディがつかれた顔で溜息をついた。

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