ひとりの。別々の夜。 31


 なんだか、たくさん眠った気がする。ふあふああくびをして、くしくしと目を丸めた指でこすって、ソキはぼんやりと瞼を持ち上げた。

「ん? 起きた? ソキ」

「……ろぇあちゃ」

「まだ眠いな、ソキ。……まだ朝になってないよ。おいで」

 肩まで軽く温かな布で包みなおされ、抱き寄せられて、ソキはきゅぅと喉を鳴らしてすり寄った。

「ろ、ぜ、あ、ちゃーん……。ソキ、かえてきたです」

「うん。おかえり、ソキ」

 ぎゅ、と強く抱きしめられる。ソキは眠たい気持ちのまま、じわりと浮んで来た涙に懸命に瞬きをした。息ができないくらい、苦しいくらいの力ではないけれど。これまでになかった腕の強さは、昨夜のそれも夢ではないと教えてくれている。

 ろぜあちゃん、ろぜあちゃん、と寝かしつけてくる手に甘えながら、ソキはロゼアをじっと見つめた。ロゼアの赤褐色の瞳は、とろりとした熱を滲ませている。視線を重ねたまま、ソキ、と囁くロゼアの手が。ゆっくりと、幾度も、頬を撫でた。

「眠いだろ。眠っていいよ。……どうしたの、ソキ」

「ロゼアちゃんは、ねない、です……? ソキと、いっしょに、眠るです」

 くし、と親指の爪でやわく肌をひっかいてくる悪戯に、きゃぁんと肩をすくめて笑って。ソキはロゼアの腕の中で、んしょんしょ、とけんめいに腕を伸ばし、首筋に回して、ぴとっと体をくっつけなおした。

「ろぜあちゃん? いいですかぁ……? ソキは、あったかくて、ねむたくて、やわやわで、ぎゅっとすると、きもちです。ロゼアちゃんがね、いなかたです、からね、いつもよりちょっと……ちょっと、です。ちょっぴり、ですよ。ちょっぴり、ぎゅっとした時のきもちいのがすくないかもですけど……いいにおい、も、あんまり、かもですけど……。でも、でも、でもぉ……眠れないから、ソキをぎゅってするのがいいと、ソキは思うですよ。そしたらね、ロゼアちゃんはきもちです。ソキもぎゅぅはだいすきです。ね、ね? ね? ……ロゼアちゃん、ぎゅぅ、する? するです?」

 そきはぁ、ぎゅっ、していいです、て、言ってるですよ、と。くちびるを尖らせて主張すれば、ロゼアは肩を震わせて笑った。

「知ってるよ」

 ぐっ、と腕に力が込められた。ソキの柔らかな体の線がゆがんで、ロゼアにくっついてしまうくらい。強く、深く、抱きしめられる。

「……ソキのにおいだ」

「ソキ、いいにおい? する……?」

「うん。お花のにおいがするよ。いい匂いがする」

 俺のお花さん。耳元に囁き落とされるその言葉だけで、腕の力とは関係がなく、息が詰まった。『花嫁』と、いつからか呼ばなくなったロゼアの囁くそれは、その言葉の代わりのようで。

 それでいてひどく甘く、柔らかな傷のように、ソキの心を痛くさせる。嬉しくて胸が痛むことを、ロゼアが教えてくれた。ソキはロゼアの首筋に額を擦りつけ、ろぜあちゃんのにおいがするぅ、と呟き落とす。

「アスルからも、ロゼアちゃんのいいにおいがしたです……。ロゼアちゃん、アスルをぎゅぅしたです? なら、ソキのこともたくさんぎゅぅしないとだめです。ロゼアちゃんのぎゅぅはソキのだもん」

「ぎゅう、してるだろ」

「ふゃんうゃん。昨日みたいなぎゅぅがいいです。ロゼアちゃん、ソキをぎゅぅーって、して?」

 ソキはとっても嬉しくてきもちいでした。だからあのぎゅぅがいいです。ねえねえ、してして。ぎゅーってして。ねえねえ、ねえねえロゼアちゃん、ねえねえ、と体を擦りつけながら訴える。ロゼアは微笑んで、また後でな、と言った。

「また、あとで……? あとでに、なったら、ぎゅー? です?」

「うん。さ、もう寝ような、ソキ」

 ぽん、ぽん、と背を叩くロゼアのてのひらが、ソキを眠りに促している。やわい体の線を歪めるくらいの、強い力はそのままに。体のどこにも力を入れないでロゼアに預けたまま、ソキはふあふあとあくびをした。

 ろぜあちゃんもねむるの、と問えば、うん、と言葉がすぐ近くで響いて行く。そっと肌に触れて染み込むように。ソキは幸せにふにゃりとした笑みを浮かべて、おやすみなさい、と言った。

 離しちゃだめです、となんとか言った言葉にも。うん、と確かに返されたので。ソキは安心して、眠りにころりと落っこちた。

 ぷぅ、ぷぅ。うにゃ。ん、くう。くぴ。ぴすぅー、と息をするたび、ソキはちいさな声をもらして眠っている。その頬を指先で撫でながら、ロゼアはしばらくその様を見つめていた。

 瞬きすら惜しいと告げるように、ゆっくりとそれを繰り返しながら。やがて、朝も近くじわりと空気が光を滲ませた頃、ロゼアも目を閉じて。その腕の中にソキを抱き、深い眠りを受け入れた。




 朝日は透き通る蜂蜜の色をしている。ソキはぽーっとしながら窓から降る光の帯を見つめ、ロゼアの胸に頬をぺとんとくっつけなおした。いつもよりずっと部屋が明るいのは、ナリアンとメーシャが泊まりに来ていた名残だろう。

 ソキにはすこし眩しいくらいのきらめきは、春のひんやりとした空気を遠ざけていた。冬はいつの間にか終わっていた。じきに春も深くなっていくだろう。壁にかけられている数字だけの簡素なカレンダーに、ぼやけた視線を向けて考える。

 もうすこしすれば、案内妖精が迎えに来てくれた日に差し掛かる。ロゼアと離されていたのは、もう一年も前のことで。昨日までのことだった。

「でも、ソキはもう決めたです……。これからは、ずーっと、ずぅっと、ロゼアちゃんと一緒です」

 それで、ソキは『花嫁』ではなく、ロゼアをしあわせにする女の子を目指すのだ。強いぎゅぅもしてもらえたことであるし、それはなんだか、頑張ればできることのような気がした。

 ふにゃぁんふにゃんきゃぁんやん、と照れてもじもじした後、ソキはあれっと瞬きをした。すー、と静かな、穏やかな寝息がすぐ傍から響いている。顔をあげれば、ロゼアはまだ夢の中。閉ざされた瞼が持ちあがる気配はなかった。

「ろぜあちゃん? ……おねぼうさんです。きゃぁん……!」

 声をこっそり潜めて、ソキはじーっとロゼアのことを見つめた。よほど深い眠りの中であるらしい。ソキがきらきらした目でいくら見つめても、気配に敏いロゼアが瞼を震わせることはなかった。

 えへへ、ともぞもぞ身を起こし、ソキはきょろりと室内を見回した。整理整頓された室内に、特に見覚えのないものはなく。そして、当たり前のことながら誰の姿も見つけることはできなかった。

 きょろ、きょろ、あっちを確認して、こっちを確認して。ソキはこくん、と力強く頷いた。

「ロゼアちゃんは、おねむです……。ということは、ということはぁ……!」

 きゃぁあん、とひそめたはしゃぎ声で頬に両手を押しあて、もじもじもじもじ身をよじった。

「ちゅうの、ちゅうのちゃんすということですうううぅ……!」

 きゃぁあんやぁあんやんやんはうーはうーっ、とひとしきり興奮した声でおおはしゃぎしたのち、ソキは真っ赤に染まった頬からそーっと手を外し、きゅっと拳に握り締めた。

「ソキ、ロゼアちゃんにちゅうしちゃうです。きゃぁん。……ろぜあちゃ、ねてるぅ? まだ起きちゃだめですよ。いいですかぁ? まだー、おきたらー、だめ、てソキは言ってるですよー……? ……ロゼアちゃん、よくおやすみです? きゃぁんやぁああんっ、このすきにぃ、こっそり! ちゅう! し・ちゃ・う・で・すー!」

 頬にもちゅってしたいですけどでもでもやっぱり唇ですきゃぁあんやぁああんはうぅううっ、とひとしきり悶えたのち、ソキは手でちまちまと寝乱れた髪を整え、よし、と大きく頷いた。

「準備でぇーきたぁー! ですー! ……んしょ。んー……」

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