ひとりの。別々の夜。 13
よち、よち、てち。よち、よち、よち、と歩いて、ソキは額をこしごしと手で拭い、自慢げに胸を張ってみせた。
「ね、ね? ソキ、歩くのが昨日より上手になったです!」
「え、ええぇ、えええええぇええええ……」
それに対して呻き声をあげたのは、砂漠の国の白魔法使い。日中は主にラティとの交代制で、砂漠の王の最傍に控える近従魔術師の一人である。常ならばその役は王宮魔術師のまとめ役、筆頭、と呼ばれる者が担うのだが。
その筆頭が一年に数日、帰ってくるか帰って来ないか分からない任務の最中であり、もしかして非実在なのではと囁かれる砂漠の王宮では、物理と魔術を極めた二人に託されることが多かった。
ソキも、長期休暇が終わって二週間に一度呼び出される砂漠の王との面談の場で、顔を合わせるのはその二人と、王たる男に限られていた。
白魔法使いは頭を抱え、よちよち、とまた歩き出して、今度はなにもない所でつんのめり、びたんっ、と思い切り転んだソキをしばらく眺めたあと、傍らの主君に灰色の視線を流してみた。
「上手になってるんだ……。ど……どうされますか陛下」
「ロゼアを呼び出して事情聴取」
「陛下はすぐにそうやってロゼアちゃんを呼び出すです! いけないと思うです!」
なんでですかっ、ソキは昨日よりこんなにこんなに上手に歩けてるです、ほらぁほらぁちゃぁんと見ていなくちゃだめなんですよおぉっ、と癇癪を起こす寸前の声で叫んだソキが、二人分の視線の先でもちゃもちゃと立ち上がる。
ん、しょ、と慎重に足が踏み出された。よち、よち、てちっ、ふららっ、やん、てち、てち、よち、と部屋の右から左へ歩いて行くのを眺め、砂漠の王はなまぬるい笑みで頷いてやった。
「長期休暇中の方がまだ歩けてたし、休暇明けの面談のがちゃんと歩いてたし、俺の目から見るとじりじり悪化してるんだけどな?」
「陛下はなにか思い違いをしているです。そうに決まっています。たいへんなことです!」
言うなり、またびたんっ、と転んだソキにフィオーレが駆け寄って行く。赤くなった額や鼻、顎、腕や足を癒して行くのを眠たげな眼差しで見守り、砂漠の王はふぁ、とあくびをした。
「俺は前回の面談でも、いいからソキを歩かせろ、ってロゼアに言ってあるんだよ。アイツ、王命無視してんじゃねぇだろうな……」
「……ぴゃ! ソキがだっこ、ってお願いしてもロゼアちゃんがあるこな? って時々いうのは陛下のせいでした……! 陛下が、陛下がソキからロゼアちゃんをとったぁ……陛下じゃだめです……。ソキが頑張っても陛下の方が偉いですからロゼアちゃんを取られちゃう……」
「いや、俺のハレムに男はいないから。そういう勘違いはやめような?」
俺がロゼアをすごい気に入ってるように思われるだろうが、と本気で嫌そうな砂漠の王に、ソキはちらりと拗ねた視線を向け、すんすんと鼻をすすってくちびるを尖らせる。
「ソキはちゃぁんと知ってるです。好きな人をいじめるすきすきも世の中にはあるです。陛下がそれだったら……!」
「だっ、だいじょうぶだよ、ソキ? 陛下は、俺の陛下は基本的に異性愛の人だから……!」
「お前とりあえず笑いの発作を引っ込めてから主君の擁護をしろ? な? その方が説得力あると思うだろ?」
ひいいいだめごめんなさい俺の腹筋が限界を超えてる、とふるふる体を震わせて、時々へぶっ、と耐えきれない笑いを零して。白魔法使いは青ざめるソキを、ぽん、と撫でて囁きかける。
「大丈夫。陛下いま、わりと一人に御執心だから」
「……ロゼアちゃんじゃない?」
「うん。大丈夫。ハレムにいる美人さんだよ。ソキも会ったことあるよ」
こそこそ耳元に囁かれる言葉に、ソキはきゃぁっと頬を染めて目を輝かせた。口元に指先をあて、そわそわと視線を彷徨わせながら記憶を辿り、こしょりとフィオーレに囁き返す。
「アイシェさん、です? アイシェさんはとっても美人で、きれいで、やさしいお姉さんでした……!」
「そう、そう。アイシェさま。今日もねー、陛下ったらハレムから朝帰りで寝不足なんだよ……!」
「きゃぁああん!」
頬に両手をあててやんやん身をよじり、ソキはきらきらした目で王を見る。砂漠の民の敬愛を一身に受ける男は、鳥の巣のようなクッションの溜まり場の中心で、頭を抱えて動かなくなっていた。
その近くまで、よち、よち、よち、と歩み寄り、ソキはクッションに両手の指をそえて、王の顔をきらきら覗き込んだ。
「陛下……! 好きな人が出来たです……! ソキは心からお喜び申し上げます……!」
「……待て。まあ、待て。俺がアイシェを好きかどうかについては諸説別れる所ではあるんだがおいフィオーレ笑うな吹き出すな……! ……その、だな、ソキ? 俺はなにも、あれが気に入りだと言ってはいないし、好きだとかそういうのも、だな」
「陛下いけないです。朝までお泊まりできもちいことしたのに、好きでお気に入りじゃないなんてだめです」
真面目な顔でめっ、と叱りつけたソキに砂漠の王が明後日の方向へ視線を流し、フィオーレが口元を手で押さえながらも笑いに吹き出してその場にうずくまった。
ひいいいいうけるマジうけるげふげふごほっ、ひいいいい、と奇声を発しながら笑い転げる白魔法使いに、お前あとで覚えとけよ本当、と苛々した微笑みを向けた後。砂漠の王はぎこちない動きで、ソキと目を合わせてくれた。
「お前……一応聞くけどな……。俺が朝までハレムでなにしたと思ってんだ……?」
「陛下はアイシェさんに触ってきもちいことしたんじゃないです? ……え? 朝まで一緒に眠っただけです……? そんなのかわいそうです……アイシェさんはきっと陛下にとっても触ってもらいたかったに違いないです……! 陛下はとってもひどいことをしたです……?」
「ろっ……ろぜあああああ……!」
時折、寮長などがするように。頭を抱えてロゼアの名を叫んで砂漠の王が呻くので。ソキはもー、とぷくぷく頬を膨らませ、ちょこん、と首を傾げてみせた。
「陛下はもしかしてソキがなぁんにも知らないと思ってるです? ソキはちゃんと、なにをされるのかぜぇんぶ知ってるですし、どうしてもらうのがきもちいのかとか、どうしてもらえばいいのかとか、ちゃぁんと教わったんですよ? ソキは一人前の『花嫁』です。……んと。だった、です」
「そうだった……コイツ性教育ちゃんとしてた……」
「それで、陛下? お泊まりしたのに、ぎゅってして寝るだけだったです? そんなのしょんぼりしちゃうです……」
他の者であるなら、お前王の私生活をあれこれ詮索するな放っておけ、と叱っておくことではあるのだが。砂漠の王はやや苦笑いをしながらもソキに手を伸ばし、綺麗に編み込まれた髪を乱さない程度、その頭を手で撫でてやった。
「した。から、落ち込むことないだろ……?」
「それならよかったです。……陛下? 陛下、ねえねえ。ソキはちょっとお願いがあります」
撫でる手にじゃれつくように触れ、きゅぅと握り締めながら。ソキはちょっぴり甘えた『花嫁』の顔で、この国の王たる男に囁きかける。
「ソキはアイシェさんにお会いしたいです。ソキをハレムに連れてって下さいです」
「……あぁ?」
「えっと、手土産は……ソキはいま、ナリアンくんにもらったおやつクッキーがあるですから……それでもいいかなぁ……。今日の髪はロゼアちゃんが編んでくれたですし、お服もちゃぁんと可愛い外出着、です! おていれもいっぱいしてもらったですから、きれいですし、いいにおいもするですし。陛下、クッキーのどくみは誰に頼めばいいです……?」
そういう問題じゃない上にしまったコイツ話通じねぇ、と天を仰ぐ王の傍らに、げふけほ咳き込みながらも復活した白魔法使いが歩み寄り、ううんと眉を寄せて悩むソキに尋ねかける。
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