ひとりの。別々の夜。 12


 ねえロゼア、とソキが会話に興味を持たないように頬を撫でてきゃっきゃはしゃがせている友人に、ナリアンは仕方がないなぁと苦笑しながら語りかける。

『ロゼア。そんなに怖がらなくても、ソキちゃんはロゼアの所へ戻ってくるよ』

「……どこにも行けないで、行かないで、ロゼアの傍にいるより。どこにでも行けるけど、どこにだって行くけど、絶対にロゼアの傍にいるし、ロゼアの所へ戻る方が、俺は嬉しいし、安心できると思うな。……まあ、言葉だけだと不安だよね」

 だからさ、とメーシャはにっこり笑い、ナリアンの肩をぽんと叩いて気持ちを宥めながら、その想いを引き継いだ。

「夕食が終わったら、俺がロゼアにちょっとだけ魔法をかけてあげる」

「え。メーシャくん、あれ? あれやるの?」

「うん。あれやってみよう」

 あれかぁ、うまく行くといいよね、と分かち合っているナリアンとメーシャを、ロゼアは微妙に嫌そう、かつやや反省しているような眼差しで眺めやり。無言でソキを膝上に乗っけると、ぎゅぅ、と抱いて溜息をついた。




 もおおおおソキはどうしてこんなことしなきゃいけないですかあぁああもおおおお、あっ本棚の整理がやって言ってる訳じゃないんですよソキはちゃぁんとお手伝いだってできるですよソキねえ御本を並べるの得意なんです、んしょ、んしょ、と言いながらけんめいに談話室の壁際、雑多に積みあげられた本を持ち、決められた棚に戻すことを繰り返すソキをほのぼのと眺める視線があった。

 一応、ソキの保護監督役と命ぜられたルルクと、本棚の管理担当ハリアスである。

 ハリアスは時々、これはどの棚の本なのかわからなくなちゃたです、だからこれはここでいいです、えいえい、と適当に戻そうとするソキに声をかけては、それはそこ、そっちはここ、と指示を出して正しい収納を助ける役だった。

 普段ならばハリアスが作業をするので、集中して三十分もあれば終わる作業であるのだが。一回に二冊、多くて三冊しか腕に抱えこめないソキがちまちまとこなしているせいで、同じ時間を過ぎても半分も消化できた気配がしなかった。

 寮長の決定に異を唱える訳ではありませんが、とハリアスは気真面目な顔つきで息を吐き、頬に手をそえて溜息をつく。

「もうそろそろ、ソキちゃんは眠る時間ではなかったでしょうか……。どう思われますか? ルルク先輩」

「ちょっと待って私いまハリアスが、あの真面目ちゃん頑張りっこなハリアスが私に意見を求めてきた感動に震えるので忙しいから……! わー、わぁー……! えー、嬉しい。ハリアス、成長したね……! いいこ、いいこ。うわああああお姉さんちょう嬉しいな……!」

 ちょっと、と照れと怒りの混じった表情で眉を寄せるハリアスに、ルルクは両腕を伸ばしてぎゅっと抱きしめた。ちょっとっ、とさらに声が上がるのを完璧に無視して、ルルクは満面の笑みで後輩の顔を覗き込む。

「よかったー……! ハリアス、最近はずーっと緊張してたのも和らいでたし、余暇も勉強だけじゃなくて色々でかけるようになってたじゃない? あの女たらし……じゃない間違えた。えっと、メーシャくんもいい感じに良いこともするな、とは思ってたんだけど。わー、ハリアス、えらいえらい! そうだよ。自分だけで抱え込まないで、頑張らないで、もっと私たちを頼っていいんだよ。わー、嬉しいからもっとぎゅってしちゃおう。ねー! みんなー! ちょっと聞いてー! ハリアスがねー!」

「や、やめてください先輩……! それに、メーシャは別に……!」

「うん、うん。そうだよね! たらしこんだのはハリアスだけだもんね!」

 師弟で顔が良いからと思ってまったく、と低く呪うような声で呻いたルルクに、ハリアスは逆に心配そうに、なにか嫌なことでもあったんですか、と問いかけた。

 ルルクは震えながら、私の夢と浪漫があの男に何回も邪魔されたような記憶がないけどそんな気がするのよあの男と意見があったのはミニスカートと絶対領域の素晴らしさについてだけなんだからっ、と拳を握る。

 ハリアスが心から、尋ねるのではなかった、という微笑みで沈黙するのに、本を棚に戻し終えたソキはくるんと振り返る。

「んもおおおお! ソキはいっしょけんめ御本を戻してるですのにいいい!」

「あ、ごめん。ソキちゃん、がんばれー。反省札がある間は奉仕活動がんばれー」

「はうううう……。ううぅ、ソキは悪くないです。悪いのはぜんぶりょうちょです……」

 すん、すん、すん、と鼻をすすってくちびるを尖らせ、ソキはしろうさぎさんリュックに付けられた反省札を引っ張った。

 しかしやっぱり取れないので、ソキはふぎゃあぁあああんっ、と不機嫌極まりない猫のような声でじたばたと暴れたのち、よち、よち、と本が積みあげられた一角へ戻っていく。

 時々立ち止まって目をこすっているので、ハリアスの言う通りにそろそろ眠る時間なのだろう。ううん、と考え込んで、ルルクは談話室を振り返った。夕食を済ませ、あとは眠りにつくばかりの時間帯のことである。

 室内はいつもの通りに穏やかだったが、それとは別に、好奇心と興味に満ちたわくわくするような気配が一角に満ちていた。

 その気配の中心。ルルクが一回くらい足をひっかけて顔から転ばせたい筆頭メーシャと、二番手のロゼアとナリアンが並んで立っている。

 メーシャはしきりにバインダーと談話室を見比べながら首を傾げ、しぶい顔をしているロゼアにナリアンがあれこれと話しかけているようだった。ソキが本棚整理を命じられてからだから、かれこれ三十分はああしている計算になる。

 なにをしているんだか、とルルクが呆れ顔で息を吐いた時だった。よし、とやや緊張した様子でバインダーから視線を持ち上げたメーシャが、にこっと綺麗な笑みでロゼアに囁きかけるのが見えた。

「もういいよ、ロゼア。はい、どうぞ」

「……なんで腕を掴んでるんだよ、メーシャ。ナリアンも」

『ごめんねロゼア……。でもロゼアが動くと感動が半減するんじゃないかなって』

 じゃあなんで視線を反らして笑ってるんだよ、とぶすくれたロゼアの呻きが微かに空気を揺らして届く。

 ルルクは首を傾げ、男子っていつまで経ってもこどもなんだから、と呟いた。はー、と諦めきったロゼアが息を吐く。

「ソキー」

「ふにゃぁ!」

 春色の。桜と桃と薄くれないの入り混じった、ふわんほわんの嬉しそうな声で、ソキがぴょこんっと背後を振りむく。

 そわそわそわそわ左右を見回し、本を棚に置いて、ソキがきらきらの目で離れた場所に立つロゼアを見つめた。

「呼んだです? いま、ソキのことを呼んだです……?」

「ソキー。ソキ、ソキ。こっちにおいで」

「きゃあぁあああん! ロゼアちゃんがソキのことを呼んでるううううきゃぁああん!」

 よちよちてちちっ、とソキはロゼアをまっすぐに見つめて歩き出した。ああぁああっ、と不安げな声をあげたナリアンが、ロゼアの腕をがっちり掴んだままで大きく息を吸い込む。

「風よ! ……あー、ああ。ええっと……! 『風よ。俺の言葉を聞きとどけ……、違う。っと……風よ。万物と共に世界を巡る者よ。俺の魔力を乗せ踊る者に、願いをもって囁きかける! 彼の者の歩みを助け、決して怪我などさせないでくださいお願いします……!』」

 おい途中から詠唱じゃなくて懇願になってるぞ、という寮長からの突っ込みを、ナリアンは視線すら向けずに無視した。きゃぁんきゃぁんやんやん、とはしゃいでけんめいに歩いているソキは、いまひとつ、そのやりとりにも気が付いていない。

 ん、と満足げに頷いたメーシャが、筆記具でバインダーに挟んだ紙になにかを書きつけていた。ソキはててち、てっち、てって、よち、よち、談話室を移動しながらロゼアに両腕を伸ばした。

「ろぜあちゃがソキを呼んだですううううきゃぁあんきゃぁん!」

「ソキ。ソキ……!」

「きゃあぁああああんロゼアちゃんろぜあちゃあぁあ! ろぜあちゃがソキを! そきを! 呼んでるうううきゃぁあんきゃぁん!」

 よちよちててて、とけんめいにロゼアに向かって歩いて行く。もうすこし。ソキ、とほっとした声で腕を広げてくれるロゼアに、ソキはきゃあぁああっと大はしゃぎしながらどんっとぶつかった。

 その勢いのまま、体をこすりつけてぎゅうううっと抱きつく。

「ロゼアちゃんロゼアちゃん! はうーはううぅふにゃああぁああきゃあああぁああああ!」

『……あ。ロゼアが感動して声出せなくなってる』

「ね、ロゼア。来てくれるのもいいものだよ?」

 ほ、と緊張を解いた笑顔でメーシャが問うのに、ロゼアはどこか幼い仕草でこく、と頷いて。腹に顔をこすりつけて甘えるソキを、ぎゅ、と抱き寄せて息を吐いた。『傍付き』は『花嫁』を呼ぶことがない。『花嫁』は歩かせてはいけないからだ。ほぅ、と満ちた息でロゼアは囁く。

「ソキ。……ソキ」

「きゅぅ……! はい、はい。なんですか? ロゼアちゃん」

 はうー、はうー、と頬をくしくし擦りつけながら上機嫌極まりない笑顔で首を傾げるソキに、ロゼアは言葉に迷った様子で何度か息を吸い込み。やがて、ひょい、と抱きあげ、その腕にソキを抱きなおした。

「なんでもないよ。呼んだだけ」

「呼んだだけ、です? ……ロゼアちゃんが、ソキに、呼んだだけ、を、したぁ……!」

「うん。……はー、ソキ。ソキ、ソキ。そきー」

 あ、珍しい。ロゼアが分かるくらいかわいい漏れしてる、と呟くナリアンに、メーシャは口元を手で押さえて肩を震わせて。

「ね? ロゼア、分かりやすくなっただろ?」

 さらさらと紙に文字を書き込み、ぱたん、とバインダーを二つに閉じた。

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