ひとりの。別々の夜。 11


「……びゃああああっ! やんやんちっとも分かってないですうううう」

「ソキ、ソキ。そーき。そんなにぱたぱたしたら脚が見えちゃうだろ? いいの? ソキがいいなら、俺はいいよ。誰も来ないし」

 やぁあんやぁんっと脚をぱたぱたしてむずがって、ソキはスカートの裾をいっしょうけんめい元通りにした。室内着の柔らかな薄布は、幾重にも重なり、体の線に沿って流れている。

 その布の上から、ロゼアの手がソキのふとももに触れた。

 じわ、と布から体温が染み込んできて、ソキの肌に触れて行く。なぜかたまらなく恥ずかしくて。こそばゆくて。じわ、と涙ぐんでアスルに顔を擦りつけ、ソキはふるふると体を震わせた。

「くす、ぐったい、です……。ソキ、おあしがくすぐたいです……」

「ゆっくりするよ。くすぐらないようにする。……ソキ、ソキ。大丈夫だよ。怖くないよ」

「ロゼアちゃんはどうしてもソキのおあしの、おていれ、がしたいです……。しょうがないですので、ソキがまんするです……。ソキえらい? かわいい? ロゼアちゃんは、ソキをたくさん褒めないといけないです……」

 ぽん、ぽん、と背を撫でる時のように、ロゼアのてのひらが脚に触れている。視線はまだ涙ぐんでくちびるを尖らせるソキのことを、柔らかに見つめていた。えらいな、とソキがなにより好きな、ロゼアの優しい声が告げる。

「俺の言うことをちゃんと聞けて、ソキは本当に偉いな。かわいい。かわいい、かわいい……かわいいソキ。ソキ、そーき、ほら。くすぐったくないだろ? 大丈夫、大丈夫」

「んー。んー……やー、ぁー、うー……。うゆ……。ロゼアちゃん、もうおしまい? おわり?」

「まーだ。んー……ソキは全部かわいいけど、あしもかわいいよ。太股も、膝も、脛も、かかとも、足の甲も、ゆびも。爪もかわいい。全部かわいい。ちっちゃい足かわいい……。……ん、痛くはしてないな。よかった。ソキ? ……ソキ、ソキ。かわいい、かわいいソキ。かわいいから、あしは見せるのやめような。長いスカートちゃんとはいて、座ってる時は脚をぱたぱたしないでいような」

 短いスカートとかズボンなどもってのほかだソキの脚が見えるだろ、というような笑顔でロゼアが囁くのに、ソキはうーうー呻きながらこくりと頷いた。話の内容は殆ど聞いていない。

 ロゼアの手が、指が、ソキの脚をあんまり大事そうにそぅっとそぅっと触れて撫でているので、ぞわぞわするのをやりすごすのでせいいっぱいだからである。

 はう、はうぅ、と震えて息を吸い込みながら、ソキは足元に跪き、左足を両手で包みこんでなでこなでこしているロゼアに、幾分拗ねた気持ちで問いかけた。

「ろぜあちゃ……もうおわり? おしまいです……?」

「ん? これからマッサージだろ? まだしてないよ」

「うゆううぅううう……! ふにゃぁああんっ、やあぁあああんソキ気がついちゃったですけどおおお……まっさじ、は、ロゼアちゃんもしかしてソキのおあしにじかにさわるぅ……! これはたいへんなことです……! た、たいへんですたいへ、きゅ……きゅぅ……」

 にこにこ笑ったロゼアが、ソキを見つめながら足首周りの肌を指先でするりと撫でる。かかとを手で包まれたまま、指でゆっくりと肌をなぞられて、ソキはふるふるふるふる体を震わせた。

 アスルをぎゅむぎゅむ抱きつぶすソキに、ロゼアがやんわりとした声で問いかける。

「くすぐったくないだろ? ソキ。……怖くない、怖くない。な?」

「うやぁああああ、ソキ、ろぜあちゃに触ってほしくなっちゃうですううう……! ろぜあちゃ、ソキにさわる? さわる? ねえねえさわるうううっ?」

 さわってさわってねえねえさわってええええ、と脚をちたぱたさせてむずがるソキに、ロゼアはゆっくり深呼吸をして。ふ、と笑みを深め、体を伸びあがらせて額をこつんと重ね合わせた。

 すり、と擦り合わせてから、目を閉じてロゼアは囁く。ぎゅぅと目を閉じて、くちびるを震わせるソキの耳元で。あまく、あまく、優しい声で。

「さわってるだろ、ソキ。……さわるだろ?」

「やんやんロゼアちゃんはちっとも分かってないですううううう!」

 きっとソキのみりょくがたりないですそうなんですうううう、とばたばた暴れるソキに、ロゼアは両腕を伸ばして。ぎゅぅ、とソキのやわい体を抱きしめた。分かってるよ、とも。分からないよ、とも言わず。

 その言葉を、欲を。求めることを。許されず、全て、奪われ、立ち尽くすように。




 それでねでもねろぜあちゃはソキにぜぇんぜんさわってくれなかったですけどいっぱいなでなでしてぎゅってしてなでなでしてだっこしてぎゅぅをいいいっぱいしてくれたですからソキは満足だったですはうー、とほわんほわんした声でめいっぱい主張し終わる間に、食堂のそこかしこからむせて咳き込む音がたくさん響いてきたが、特に意に介すものではなかったので、『花嫁』の視線がそちらへ向けられることはなかった。

 ソキは一心に、昨夜ぶりのナリアンを見つめておしゃべりするので忙しかったのである。ロゼアやっぱり性欲ないんじゃねーの、と呆れかえった寮長の呻きなどさらに聞こえなかったのである。

 一日、ニーアと戯れていたのだというナリアンからは、きよらかに甘い花の香りがした。ソキの妖精が与えた祝福の香とは、また違うものである。

 違うけど、でもナリアンくんにはぴったりです、と思いながら、ソキは頭を抱え込んで食堂の机に突っ伏し、ちっとも動かなくなったナリアンの服の裾を引っ張った。

「ねえ、ねえ? ナリアンくん。どうしたんです? 頭が痛いです? ソキ、保健室に行くのを応援する?」

『俺のかわいいかわいい妹がかわいいかわいい妹があああソキちゃんは穢れを知らない天使だから俺がいま聞いたのは全部ゆめぜんぶゆめ全部夢幻諸行無常! ……え? えー、あー、俺は大丈夫頭痛くなんてないよ。ソキちゃん、じつは保健室嫌いだよね』

 死んだ目をしぱしぱ瞬きさせながら体を起こしたナリアンに、ソキはそうなんですよ、となぜか胸を張った。

「ソキはおくすり飲むの嫌いですから、お医者様のお部屋とか、保健室とかやんやんなんですよ。保健室はお昼寝しに行くのは気持ちいいんですけど、ロゼアちゃんが保健室でお昼寝はめ、て言ったからソキはちゃあぁんとロゼアちゃんとソキのお部屋に戻ってお昼寝のできるいいこです。えへへん。時々談話室の隅っことかで寝ちゃうですけど、あれは、あれはぁ……んと……あんまり眠たいせいでソキのせいじゃないです」

『談話室でも、ロゼアが一緒なら大丈夫なんじゃなかったっけ?』

「ソキ、ロゼアちゃんのだっことぎゅぅで眠るのが一番いちばん! だぁいすきですうううきゃあぁああんやんやん!」

 ソキは今日めいっぱいロゼアちゃんのすきすきにしてもらったのでこれで今夜はロゼアちゃんはソキをかわいいかわいいしてだっこしてぎゅぅして眠ってくれるに違いないですうううう、と頬を両手で挟み、身をよじって照れながらはしゃぐソキに、ナリアンはほのぼのと笑みを深めてみせた。

『ソキちゃんは昨日はどうやって眠ったの?』

「昨日です? 昨日はー、ロゼアちゃんに、だっこしてぎゅってしておやすみ。してもらったです」

『……今日となにか違うの?』

 素朴な疑問に、ソキは目をぱちくりさせてくんにゃりと首を傾げてみせた。

「あれ? ……あれ、あれ? んと、んと、あれ……? あれ、あれ、もしかして、昨日もソキはロゼアちゃんのすきすきだったです……? でも、でも、昨日より今日の方がソキはロゼアちゃんのすきすきの筈です……! 昨日と同じじゃないです昨日よりもいっぱい、いっぱい、ソキはロゼアちゃんのすきすきです……! おんなじだったら、これは、これはたいへんなこと、です……!」

『え、えええぇえ……。ちが……違うよ、ソキちゃん? そうじゃないよ。ロゼアは、毎日、ソキちゃんが好きだっていうことだよ。昨日も、今日も。これからも。これまでも、ずーっと。ロゼアはソキちゃんが大好きなんだよ』

「……一昨日のソキは、ロゼアちゃんのかわいい。だったですけど。ロゼアちゃんのすきじゃなかったです。たいへんなことだったです……もし、もしかしたら、ロゼアちゃんのかわいい、でも、なかったのかも、しれない、です……。ソキはまちがえちゃったです……」

 しょんぼりしきって呟くソキに、ナリアンがそっと笑みを深める。言葉で否定することなくナリアンはソキに手を伸ばして髪を撫で、さらさらだね、と褒めてから、戻ってきたメーシャとロゼアにおかえり、と言った。

 ただいま、と返しながらソキの分の夕食を木盆の上に並べているロゼアに向かって、ナリアンはゆっくり、息を吸い込んで囁いた。

「ロゼア。夕食終わったら話がある。十分くらい」

「今日?」

『うん』

 嫌なら、とナリアンは目を細めて笑った。すこしばかり怒っているようだった。

『なにが嫌、って。ちゃんと言えばよかったんだよ。たとえば、俺は、ニーアがリボンさんにちやほやされてたとしても、ニーアよかったねリボンさんのこと好きだもんね、くらいにしか思わないけど。ロゼアがそうじゃないなら、それは、話してあげなきゃ。ソキちゃんには分からないよ』

「……ナリアン」

『じゃないと、ソキちゃんは、ロゼアが自分のことを好きな時と好きじゃない時がある、っていうよく分からない勘違いを……もう、しちゃってるみたいだから、なんとか訂正してあげないと。それをこれからずーっと怖がって、悲しくて、落ち込んで、どうしよう、って焦っちゃうよ。……まあ、エノーラさんは、うん。エノーラさんは。うん。あの。その。俺から見ても特殊事情に該当する先輩だったとは思うから、あれはあれでいいと俺も思うんだけどね……? でも、ソキちゃんがロゼアの為にめいっぱい可愛くしたかったっていう気持ちは、嫌だったんじゃないでしょう?』

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