ひとりの。別々の夜。 10

 脚と、足のおていれそのものは『お屋敷』にいた時から、もちろんやっていることである。ほぼ歩くことをしない『花嫁』であるから、念入りに行われるのが常のことだった。

 おていれは基本的に『花嫁』の肌に直接触れて行うから、その役を『傍付き』が担うことがほとんどである。同性の『傍付き』であれ、異性の『傍付き』であれ、それはまったく同じことだった。

 それは愛情をこめて触ってもらえる、と実感できる時間のひとつで。丁寧に、ゆっくり触れて行く手が、自分の体を好みに作り替え整えていく至福に酔える、大切な時間ではあるのだが。

 ある時を境に、ソキはこと脚のおていれについては、ロゼアではなくメグミカにそれをお願いしていた。

 ぎゃんぎゃん泣いて暴れてめうちゃんじゃないとやぁあああっ、と希望した結果、ソキがどうしてもそうしたいのならいいよ、とロゼアから役目が移動になった為である。

 もちろん、長期休暇の間のおていれも、メグミカの手によるものである。

 『学園』に来てから長期休暇になるまでの期間は、ソキの恒常魔術が効いていた為に簡単な触診くらいで済んでいたことと、ロゼアがまだ学生生活に慣れていなかった為にそうきちんとおていれの時間が取れていなかったこと、他いくつかの要因が重なり、ソキがほぼ唯一、これはロゼアちゃんはいや、と言いだす機会は巡って来なかったのだが。

 ううううぅ、とぷるぷる震えながら、ソキはアスルをぎゅっと抱きつぶし、寝台の上でもそもそと座りなおした。入学してからあしのおていれ、をロゼアがするといいだしたことはなかったのに。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 ちなみに。ソキはあんまりにも嫌がるので、ぱっとできる触診と簡単な手入れだけを、これまでもロゼアはしていたのである。朝や夜の、ソキがふにゃふにゃに寝ぼけている時に。

 その時の会話や行動を、起きたあとはだいたい覚えていないことを熟知しているロゼアが、都度約束を取りつけて。

 おていれしようなすこしだけだよソキはいいこではいってお返事できるよな、はぁい、うんいいこいいこ、という具合に言質を取りつけ、なんとかこなしていたのだが。

 とん、とん、とん、と寝台の傍に引き寄せた小卓の上に並べられた、あし専用のお手入れ用品を見る分に、ロゼアはそれはもう徹底的に正式な手順と時間をかけて行う気のようだった。

 なぜか、心持ちふわふわにこにこ上機嫌な笑みになっているロゼアを、ソキはうらめしげにじぃ、と見上げた。

「ロゼアちゃん……ソキ、ソキは、くすぐったくてぱたぱたしちゃうですから、きっとロゼアちゃんは大変です。辞めるのがいいと思うです。アスルもきっとそう思ってるです。ねー、アスルー」

「うん。ぱたぱたしても大丈夫だよ。あんまりくすぐったくないようにそっとするから」

「あ、あれ。あれ……! えっと、えっとぉ……じゃあ、ソキはね。おあしを見せるの恥ずかしいです。だめです」

 よいしょ、よいしょ、と寝台の上に座りなおし、スカートの裾をくいっと引っ張って脚をぜんぶ隠してしまうソキに、ロゼアは微笑んで手を伸ばした。いっとううつくしく柔らかなものを愛でる仕草で、指先が頬をすぅっと撫でて行く。

「俺しかいないよ。ソキ、最近また歩いてるんだから、あしのお手入れはちゃんとしないと駄目だろ?」

「でも、でも、でもぉ……! ソキ、まだ大丈夫だと思うです。あし、いたくないです……」

「うん。本当に痛くないか確認しような。爪も短くしような。手とおんなじに、色も塗ればかわいいよ」

 塗ってもどのみち、そこが人目に触れる機会など夜の湯を使う時の他にありはしないのだが。かわいい、の言葉にソキはちょっとためらった。くちびるを尖らせて、頬を撫で続けるロゼアの、手首辺りを指先でつっつく。

「ロゼアちゃん。あの……あの、あのね、ソキね。ソキね、おあしね……」

「うん」

 ソキは何度もくちびるを開き、息を吸い込み、意味ある言葉を乗せてそれを吐きだそうとした。指先が冷えて強張って行く。うん、と微笑んで言葉を待つロゼアに、ソキは目をうるませて瞬きをする。

「……やっぱりロゼアちゃんには内緒です。ロゼアちゃんソキのこと嫌いになっちゃう」

「ならないよ。ならない。……おいで、ソキ」

 ひょい、と体が抱きあげられる。ぎゅ、とこころもち強く抱きしめられて、ソキはぴっとりロゼアに体をくっつけた。すん、すん、と鼻をすすって泣くのを我慢する。ロゼアは宥めるようにソキの背を撫でてくれていた。

 それにも、ソキはぞわりと体を震わせて、すん、と鼻をすすってしまう。触れられることが。どんなに気持ちいいのかソキは知っている。それを肌に刻み込む為に行われるのが閨教育だからだ。

 嫁いだ先で、なにをされるのか知っておくように。理解して行けるように。必要とあらば、それを自ら望むように。拒否する悲鳴ごと快楽に飲み込ませ、それを望むようになるまで、『花嫁』は『傍付き』の元にかえることを許されなかった。

 何度も何度もそれは繰り返された。

 ソキが。閨教育でなにをされていたのか、ロゼアは知らない。知らない筈だった。知っていて送り出したとはどうしても思えなかった。思いたくなかった。だからロゼアは知らない筈だ。

 背を撫でてくれる手は宥める為のもので。それだけで。決してこれからソキに触れてくれる、という訳では、ないのに。熱っぽい息を吐きだし、ソキはロゼアを見つめる。

「ロゼアちゃん……」

「うん?」

「ソキに、触るの……? ねえ、ねえ……さわる?」

 額に、頬に、首筋に押し当てられるてのひらに、体の奥まで甘くしびれる。くちびるをきゅぅっと噛んで、ソキはそれをやり過ごそうとした。覗き込むロゼアの瞳に、宿る熱はない。

 一瞬に冷えた刃のような意思は丁寧に隠され、ソキに分かるものではなかった。ロゼアの両手がソキの頬を包み込む。どこかぎこちなく。教えられた通りに、そうせざるを得ないような。

 そうしなければならない、と思い込んでいるような、頑なな、ぎこちない動きで。ロゼアはソキにそっと身を寄せ、額を重ねて肌をすり合わせた。

「触ってる、だろ」

「……そうなんですけどぉ」

「ソキ、ソキ。……ソキ。大丈夫だからな、ソキ」

 ぱちりと瞬きをして、ソキは首を傾げてみせた。なぁに、とふわふわ響く問いかけに、ロゼアはくすぐったそうに笑う。そのあまやかな『花嫁』のささやきが、肌に触れるほど、近くにあることを。

 心からの幸福として満たされているような、ほっとした笑みだった。ぎゅう、と。ソキが一瞬、びっくりして目を見開く程の、それでいて決して痛みを与えない力加減で抱き寄せ直して。

 ロゼアはぽんぽん、とソキの背をてのひらで撫でた。

「ゆっくり、そーっとするからな、ソキ」

「あれ。……あれ、あれ。ロゼアちゃんが諦めていなかったです……あれ、あれ……!」

「うん。はい、アスル」

 上機嫌なロゼアにアスルを差し出され、ソキはくちびるを尖らせながらぎゅむりと抱きつぶした。ふわふわした笑みでそっとソキを寝台に座り直させる、ロゼアの離れていく指先をじぃ、と見つめて。ソキはぷーぷぷぷ、と改めて頬をふくらませた。

「げせぬ、です……。ソキのゆうわくがロゼアちゃにはきかないです……これはゆゆしきじたいです……でも昔からろぜあちゃはゆーわくできなかったきがするですのでもしかしてもしかしてなんですけどそきのみりょくが、みりょくが、たりないのかもしれません……!」

「ん? ソキ、なあに?」

「たいへんです、ろぜあちゃん。ソキねえ、もしかしてもしかしてなんですけど、もしかして、なんですけどぉ……! 魅力が、足りない、のかも知れません……! たいへんなことです。ロゼアちゃんはもっと! もっとですよ? もっと、もっと、いっぱい、たくさん、ソキをロゼアちゃんのすきすきにして、ソキをロゼアちゃんのみりょくてき! にしないといけないです。いけないんですよ? ソキはしないと、だめ、っていってます。わかったぁ? 分かったら、ロゼアちゃんはソキにいっぱい手間暇をかけるです。でもあしはやんやんです。わかった?」

 アスルに頬をぺたっとくっつけながら首を傾げるソキに、ロゼアは満ちた笑みでゆっくりと頷いてくれた。

「わかったよ、ソキ。じゃあ、はい。あしのおていれしよな」

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