ひとりの。別々の夜。 09


 ソキがいま着ているのは、朝食後に着替えた室内着である。一枚であれば透けるほど薄い、淡い碧の布を三重に重ねて作られたワンピース。袖と裾は長く、どちらにも白い極細の糸で編まれた花のレースが縫い付けられている。

 腰元から上に向かって編みあげられる紐は、ロゼアの手によって綺麗なちょうちょ結びにされていた。ソキ一人ではちゃんと着ることのできない、手間暇のかかる服である。

 ふわふわで滑らかな布を手で一撫でして、ソキは目をぱちぱちさせながらロゼアを見上げた。なにも言わずに微笑むロゼアに向かって、もう一度くてん、と首を傾げてみせる。

「ロゼアちゃ……ふきゃぁんやんやん、くすぐっちゃやぁあんっ」

「んー……ソキは新しいの好きだろ? お返事しような。好き? 新しいの嬉しい?」

「好きですすきですうぅきゃぁあんっ、きゃあぁああんっ、ロゼアちゃんがソキをこしょってするううぅうう」

 耳の後ろや脇の下を指先でかしかし引っかかれて、ソキはきゃあきゃあ声をあげて身をよじる。くすぐられている間に、好きならいいだろ、と問いかけられて、ソキは懸命に頷いた。

 ん、と満足げに笑ったロゼアがぱっとばかりに手を離し、ぜい、ぜい、と息を整えるソキの背を、ぽんぽんと宥めて撫でて行く。

「好きならいいだろ。気にすることないよ、ソキ」

「は、はぅー……はうぅ……。分かったです……。ロゼアちゃんがソキをこしょってしたです。はうぅ……。うー、ロゼアちゃんがソキにいじわるさんをしたですので、ソキもロゼアちゃんにいじわるをするです! ソキ、ロゼアちゃんをこしょってする!」

「うん?」

 きゃあきゃあ笑ってくたっとした体をロゼアに預けたまま、ソキはうぅんと腕を伸ばしてロゼアの顔に触った。耳元に手を伸ばし、指先でやわりやわりとくすぐってみる。く、と喉を震わせて、ロゼアは肩をすくめて淡く笑った。

「くすぐったいよ、ソキ。くすぐったいってば、ソキ。ソキ?」

「ふにゃうにゃう。ソキはロゼアちゃんにこしょってされたですからー、ロゼアちゃんのいうことが聞こえないことにす、る、で、すー! えいえい」

「あ、こら。……こーら、ソーキ」

 ぎゅむり、と頭ごと肩に押さえ付けるように抱きしめ直されて、ソキはぷきゃんっ、と声をあげてくすぐりを中止した。

 ちたぱたたたっ、と腕を動かして動けないですうううと抗議しながら、ソキは動けないですのでロゼアちゃんにぎゅってしちゃうですっ、と抱きつきなおす。

 くすくす笑ったロゼアはそのままの体勢で後ろ向きに寝台に倒れ、ソキの体を上半身に乗っけるようにした。整えた髪を、指先がそっと撫でていく。ロゼアの呼吸に合わせて穏やかに上下する胸にぺとっと頬をつけて、ソキはゆったりと瞼を閉じた。

 ずっと一緒にくっついているから、どこもかしこもロゼアと同じ体温を灯している。ひとつになったみたいだった。幸せで息を吐きながら、ソキはすりすり頬を擦り付けた。

「ねえねえ、ロゼアちゃん。ソキ重たくないです? ソキねえ、じつは体重が増えたです」

「ん? 身長も伸びただろ?」

「そうなんですううう! ソキ、ひゃくよんじゅせんち! に! なったです!」

 ぱっと顔をあげて満面の笑みになるソキの頬を、ロゼアの手が撫でて行く。うんまだもうすこし四捨五入しないといけないけどな、と苦笑されるのは聞かなかったことにして、ソキは機嫌良くロゼアの胸に伏せなおした。

 とくとく、心音がするのにうっとりと目を細める。

「ソキ、ロゼアちゃんがだぁいすきです……」

「うん。俺も好きだよ」

 ほんのちょっとだけ。俺も、とかじゃなくて。ソキが好き、って言ったら、おかえしのようにそう言ってくれるんじゃなくて。

 なにも言わなくても、しなくても、ソキがそうしたくなって言いたくなってたまらなくなってそれを零してしまうように。

 そういう好きが欲しくて。そういう好きが聞きたい、と思ったのだけれど。ソキはふわふわと息を吐き出して、しょんぼりしかける気持ちを宥めてしまった。

「さて、と」

 名残惜しそうな呟きで、ロゼアがころんと寝返りをした。一緒にころんと転がって、ソキとロゼアの位置が逆になる。寝台に横になったソキを撫でながら、ロゼアは起き上がってしまう。

 目をうるませてくちびるを尖らせ、ソキはロゼアの服をぎゅっと握りしめ、引っ張った。

「ロゼアちゃんどこへ行くの……? 今日はソキのお傍にいる、って言ってたです……だめです」

「うん? どこにも行かないよ、ソキ。もうちょっとお手入れしような」

「……だっこぉ」

 服を握った手をそのままに要求すれば、ロゼアはふっと笑みを深め、ソキの腰を引き寄せて膝上へ乗せてくれた。すん、すん、と鼻を鳴らして体をすり付け、ソキはすぐ寂しくなっちゃうです、としょんぼりした声で反省する。

「ロゼアちゃんは今日はずっと、ずぅーっとソキと一緒です。お約束したです。でも、ソキはロゼアちゃんがどこかにご用事を済ませに行っちゃうのかと思ったです……。ねえねえロゼアちゃん。なにかご用事に行く時は、ソキも一緒に連れて行って欲しいです。だっこです……あ、あっ、だっこ、だっこはお邪魔になっちゃうかもですから……ソキはおててを繋ぐのでもいいです。ソキはちゃんと歩けますです。ロゼアちゃんはいつもソキをおいてっちゃうです……ソキはさびしいです。ソキ、ちゃぁんと、聞こえないふりも、できますですし、聞いてないのは得意なんですよ?」

「今日は俺はどこへも行かないよ。……いつもっていうのは、なに? なんのこと? 授業とか?」

「朝の……朝の運動ですとか。授業ですとか。授業の打ち合わせですとか、会議、ですとか……」

 黒魔術師はその能力の性質上、殊更団体行動が多く組まれている。

 黒魔術師同士のみならず、白魔術師、占星術師と授業で行動を共にすることがあり、ナリアンやメーシャのみならず、様々な先輩と授業の打ち合わせやら、会議やら、反省やら改善やら指導やら、でよく談話室を連れ出されてしまうのだ。

 ソキはそれがじつはとっても不満だったのである。ううん、と微笑み、ロゼアはふくれたソキの頬を撫でる。

「ソキ。でもソキは、魔術の授業はお休みしてるだろ? 危ないよ。危ないのは、だめだろ」

「ソキはもうよくなったもん……。昨日のじゅぎょがお休みになったのはぁ、りょうちょのせいでぇ、ソキはいっこも悪くないんですよ? ソキは、もう、授業を、して、いい、ってことです。明日からは座学だって、一日、いっこ、は、やってみていい、て、言われたです。つまり、ソキはもう元気になったっていうことです」

「んー、んー……? ……じゃあ、座学が一日いくつ受けてもいいよ、って言われて。ウィッシュさまの実技授業もこなせるようになって。それで、ウィッシュさまがいいよ、って仰ったら、俺の打ち合わせとか会議に一緒に行こうな」

 そんなの駄目に決まってるけどなんでそんなこと聞くの、とおっとり首を傾げるウィッシュに全否定される未来を知らず、ソキはきゃきゃあはしゃいではぁーいっ、と返事をした。

 これでロゼアちゃんとソキは一緒にいられるですうぅふにゃあぁああんえへへロゼアちゃんろぜあちゃん、とすりすり懐くとあまやかに抱き寄せられ、頭に頬がくっつけられる。

 はー、と満ちた息が吐き出されたのち、そーき、と優しい笑い声が耳元で囁いた。

「俺の可愛いお花さん。脚と、足のおていれしてもいい?」

「きゃぁああんロゼアちゃんがソキをかわいい。ていったあぁああああきゃぁんにゃんやん! はーいはぁーい! ソキはロゼアちゃんにおていれしてもらうぅー! ……う? ……あれ? あ、あれ? ああぁれ……?」

「ん。ソキはいいこだな」

 あれ、たいへんです。ソキはききまちがえをしたです、とぷるぷる震えるソキを膝上から寝台へぽんと移動させて、ロゼアはにっこりと嬉しそうな笑みで頷いた。

「ソキは座ってるだけでいいからな。アスルをぎゅってしてもいいよ」

「……ロゼアちゃん? ソキ、ソキは、あし……あした! あした、の、おていれを、していい? って、お返事をしたです。明日、です! 足ないないです」

「だめ。足のおていれしような、ソキ。マッサージしてクリームぬって爪を短くするだけだよ。爪の色も塗ろうな」

 お返事しただろ。だからだめ、とにこにこ笑うロゼアに、ソキはたいへんなことになったです、とぷるぷるしながら、差し出されたアスルをぎゅぅっとした。じつはロゼアにはひみつにしていることなのだが。

 ソキは脚に触られたりするのが、ちょっぴりではなく、ものすごくとてもとてもとても、すっごく。にがてできらいで、くすぐったいのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る