今はまだ、同じ速度で 30


 その背をゆったりと追うように湯からあがったひとりが、開け放たれたままの扉を閉じ、息を吐く。

「城の者たちにも仕事をさせろ、と仰る王のお気持ちが分からないでもないのだけれど……」

「シーラ。そんなことはあとになさい。ソキさまを洗った石鹸と、香油を確認して。城のものだから、そうおかしなものは使われてはいないと思うけれど……薬湯はなにかしら、カミツレとローズマリー、セージ、レモン、トウキ、シャクヤク……花は、これ、薔薇と……百合? 花舞からの輸入かしら……」

 女たちの中でも年長の一人がぴしゃりとたしなめつつ、薬湯を両手にすくい、ソキの体質に合わないものがなかったかをいま一度確かめる。

 湯も、石鹸も、香油も、事前に世話役が確認した上で入浴を託したのだが、これを使う、という書面上での許可だった。実物を目にした訳ではない。

 慌ただしく動く四人の少女らに確認をまかせ、メグミカはゆるくソキを抱き寄せ、その裸身が冷えてしまわないように湯を肩にかけてやった。

「ソキさま、ソキさま……もう、大丈夫ですよ。もう大丈夫。よく、メグミカたちを呼んでくださいました」

「めぐちゃん……めぐちゃん、ありがとうですよ。シーラ、ウェスカも、アザも、ユーラも……」

 ぜったい、ソキの声が聞こえる所にいてくれるって、分かってたですよ、と。安心しきった様子でメグミカに身をまかせ、瞼を持ち上げながらソキは囁いた。目をうるませて、メグミカがはい、と頷く。

 少女たちも胸元に手を押し当て、息の詰まった様子で、それぞれしっかりと頷いた。ひとりひとりに視線を向け、うれしそうに目を細めてうふふ、と笑い、ソキはんーっと湯の中で伸びをした。

 薬湯はどこかとろりとした肌触りで気持ち良く、あたたかくて、香りもいい。髪を撫でてくるメグミカの手に甘えながら、ソキはそれでもすこしだけ、落ち込んだ息を吐きだした。

「ソキ、もしかして体調よくないです……? やぁん、そんなつもりじゃなかったですよぉ……」

 魅了し、惑わし、誘惑する。『花嫁』の肌は男女を問わずとしてそうできるように整えられるが、それでも、無差別に触れた者、全てを虜にする訳ではない。

 ぞくぞくとした征服欲と独占欲を呼び起こさせながらも、溺れさせるか否かは、ある程度まで『花嫁』本人が決められることだった。ソキは特に、その加減を念入りに教え込まれている。

 普段ならば裸身に触れさせた程度で、肌に溺れさせてしまうことはなかった。寮の風呂でソキの世話をあれこれと焼いてくれる先輩たちが、うらやましいとはしゃいでも、その肌に情欲を覚えないのはその為である。

 やぁんめぐみかちゃんちがうですソキうっかりしてたとかでもないですぅ、としょんぼりするソキの背に触れ、撫で、メグミカは分かっておりますよ、と微笑んだ。

「さあ、あとはメグミカとウェスカにお任せくださいね」

 メグミカの手がやさしく、ソキの首筋に触れる。頬を撫で、濡れ髪を指先で梳き、微笑みながら額が重ねられた。体調を確かめてふふ、と笑い、メグミカは嬉しそうに一度、きゅ、とソキを抱きしめてくれた。

「ソキさま、大丈夫。元気でらっしゃいますよ。でも、もし、気持ちが悪くなったりしたら、すぐこのメグミカに教えてくださいね。午後からはロゼアも戻ります。……どうにか陛下のアレなんとかならないかしら」

「メグミカちゃん。だいじょうぶですよー。ソキ、ちゃんと、陛下の御用を済ませてくるです」

 でも、ソキが着る服はメグミカちゃんたちが選んでくださいですよ。あのひとたちのはやです。アザとユーラが着せてね。

 じゃないとやですよ、と頬をぷぅっと膨らませてねだるソキに、少女たちはうっとりと、喜びに溢れた微笑みを浮かべ、もちろんです、と頷いてくれた。




 事の顛末を聞いた王は、悪かったな怖かっただろうと心から謝罪し案じてくれたが、ソキはそれに胸を張って自慢げに言い放った。

「メグミカちゃんたち、すぐ来てくれたですよ!」

「ああ。警備と、侍女からも聞いた」

「えへん。さすがはメグミカちゃんです。シーラもねぇ、ウェスカも、アザもー、ユーラもすごぉいんですよぉ! みんなねぇ、やさしくってぇ、ふわふわでぇ、つおくってぇ、かわいくってぇ、すごぉいんですぅー!」

 きゃあぁっ、とこころゆくまで嬉しそうにはしゃいで告げるソキの褒め言葉は、なにひとつとして具体例がない為にものすごくよく分からない。

 半眼で、へぇそうなのかよかったな、と告げてくれる王に、ソキはそうなんですよそうなんですよぉ、と自慢げにふんぞりかえった。

「ロゼアちゃんもねえ、ロゼアちゃんもー。すごいんですよー! かっこよくってー、すてきでー、もちろんやさしいですしぃ、つおいですしぃ、すごぉいんですよー!」

「へー、そうなのかよかったなー。足元見て歩けよー……?」

 その場にロゼアいなかったよな、と砂漠の王は言わなかった。たぶん今のソキには聞こえないだろう、と判断した為である。

 ちらりと背後を振り返ると、ソキはいまにも転んでしまいそうな危なっかしい足取りで、ふらふらてちてち、ぜいぜい、息を切らしながら歩いていた。砂漠の王が知る限り、帰省してこの方、ソキはあまり出歩いていないらしい。

 生活そのものが砂漠の城と『お屋敷』の往復で終わっているし、短い距離を繋ぐ馬車を降り、ロゼアの腕に抱きあげられて居室へ戻る姿を何度か遠目にみていた。

 一回だけ、世話役の女性と手を繋いで部屋の前を歩いていた、という報告を受けたが、それだけで城の中を散歩した様子は見られなかった。

 ある程度までは自由に歩いていい、と許可は出していたのだが。あまりにやることがないソキの為に、絵日記的な宿題を提出させているのを見る分にも、あまり歩いているような情報は得られなかった。

 てちてちついて歩くソキを導きながら、溜息をつきつつ、砂漠の王は溜息をついた。歩けなくなっている、というほどではないのだが。新入生歓迎パーティーで会った時の方がずっと、足元がしっかりとしていたのは気のせいではないだろう。

 もうすこし普段から歩けよ、な、と注意を促しながら、王はソキに手を差し伸べるでもなく、ゆったりとその先を見て歩いて行く。長い廊下を行くのは、王とソキふたりきりである。

 光溢れる渡り廊下を、王はソキを先導する形でゆっくりと歩いて行く。本当は橋を渡っていくのが近道とのことだったが、こちらの方が遠回りであっても人目につかないので廊下使うぞ、と王はソキに言っていた。

 その先になにがあるのか、ソキに教えることはなく。警備兵も魔術師も遠くに遠ざけ、ソキの世話役を部屋に戻して待機させ、ふたりで、城の中を歩いて行く。

 見せたいものがある、と言いだしたのは王そのひとであるのに、その歩みはどこか気乗りせず、横顔もやや強張っていた。ソキははしゃいでいた気持ちをだんだんと落ち着かせて、首を傾げながらてちてちと、王のあとをついて歩いた。

 やがて、ひかりふる美しい渡り廊下が終わりを迎えた。そこにあるのは、大きな門。両側に立つ兵たちが、王の姿に恭しく頭を下げた。彼らに、無造作に、ひらけ、と命じ、王は振り返ってソキに手を差し出す。

 自由なその手を捕まえるように。捕らえ、逃がさず、歩ませるように。

「ソキ、来い。……お前に見せたいものは、この、中にある」

「……このなか?」

「そう」

 ぎぃ、と軋んだ音を立て、古めかしい扉が内側に開かれる。ぐ、とソキの指先を握って歩み出しながら、王は金の瞳をあでやかに細めて囁いた。その、砂漠に降る黄金のひかりを宿した瞳。

 民の献身と親愛、忠誠を誓わせる瞳で、まっすぐ、ソキのことを見つめながら。

「ハレムの中の……お前の部屋だ」

 告げて。手を引き、歩き出した。

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