ささめき、よすがら、そして未来と引き換えに 37


『ぷぷ。ソキ、もういーっぱぁい! まったぁ、ですぅ! ……やぁんや、やぁんやぁんー! ロゼアちゃんまだぁ? ねえねえロゼアちゃんは? ロゼアちゃんまだですぅっ……? ソキ、いいこにしてたですよぉー……』

 けれども、待てど暮らせど、『扉』の動く気配はなく。やがて『花嫁』はその瞳にいっぱいの涙を満たし、ほたほたと零してしまいながらぐずりだす。

『ろぜあちゃ、も、かえってこなぁ、でぅ……? そきじゃな、て、ろぜあちゃ、だれか、すきなこが、できちゃ……ふえ、ええぇええ……!』

『大丈夫ですソキさま! ロゼアに限ってそんなことはありませんというか! ロゼアにそんなことはできません! 無理です! 無理難題も良いところですからあああああ……!』

 やんやんじゃあなんでロゼアちゃんかえってきてくれないですかぁっ、と絨毯の上に布が幾重にも重ねられた場所に座りこみながら、ソキは泣きじゃくってごめんなさい、と言った。

『そきが、そきがこないだ、りょこさき、で、わがままいったの、いいこにしてなかった、の、ロゼアちゃんおこってるですぅ……! やあぁああきっとそうですううぅ! やあぁんやぁあんだってあしぺたぺたさわったり、おなかとかおむねとかさわぅのやぁんだったんです……ロゼアちゃんがいいです。ソキさわってもらうならロゼアちゃんがいいですううやあぁああ……! ええぇん……そきがわがままなの、きっとロゼアちゃん、うんざりしちゃったです。だからおこってかえってきてくれな、です……!』

『大丈夫ですロゼアにまで伝わっておりませんというか! なんですかそれメグミカがぶち殺して参りますのでソキさまもうすこしくわしく……!』

『メグミカ落ち着いて! 漏れてる! 本音漏れてるううううう! ……でもその候補は消そうこの世から絶対に』

 もしかしないでも『お屋敷』の世話役の女の子たち、ちょう怖い、という視線を王宮魔術師が交わし合い、深々と頷きあう。

 ソキは世話役たちの話など完全に聞き流した態度で、ロゼアちゃんソキのこときらいになっちゃったらどうしようソキロゼアちゃんのことすきすきなんですううぅ、とぐずぐずと泣いている。

 大体いつもそのあたりで、ロゼアが慌てた態度で『扉』を開け、帰ってくるのだった。なによりも先にソキの名を呼び、なにをするよりはやく跪いてその体を抱き上げる。

 ひしっとくっついて泣く背を撫でて宥め、頬をこすりつけてただいまと告げながら、ロゼアはようやっと安心したように息を吐くのだ。

 ソキが『扉』が開いて、ロゼアが帰って来てくれるのを待っていたように。『扉』の先、そこに己の『花嫁』がまだいてくれるのかを、ずっと不安がっていたように。そうしていたのを、砂漠の王宮魔術師は誰もが知っていた。

 だからこそ。慌てる王宮の片隅で、シークは疲れたように、呆れたように腕を組んで息を吐く。

「……思うのだけどね、リトリアちゃん」

「なにを?」

「これは誘拐ではなく、駆け落ちと呼ぶのではないカナ?」

 ぎゃあああ陛下が胃痛で動かなくなっちゃってるんだけどぎゃああああああっ、と叫びが風に乗って二人の元まで届く。とある日のことである。




 繰り返す時は止められている。今度こそ、としあわせを祈りながら。




 困ったことに、リトリアの敬愛する砂漠の国王には不眠癖がある。病と思うにはいまのところ深刻さがなく、本人がものすごくあっさりしているので、それを知る者たちは誰ともなく不眠癖、と呼んでいる、そういうものだった。

 医師の治療も受けたのだが、睡眠薬以外の特別な治療は見つからず。どうにもこうにも心に原因があると、諸国の王たる幼馴染たちは口を揃えて遠い目をした。

 なにせ、延々眠れないとか寝てもすぐ起きちゃうとか眠りが浅いとか、もうそれはしょうがないとして。

 どこか、どこでもいいんだけど、深くゆっくり眠れそうな場所を探すしかないと思うんだよね、避暑地とかなんか作るのどうかな、と述べた白魔術師に、王曰く。

 安心して落ち着いて眠れる場所なんてこの世のどこにもあるわけないだろうが、探すとかそんな時間が無駄になりそうなことはしないし、許可できないからお前たちもするなよ、とのことである。

 あまりにあっさり言われたと聞いて、砂漠の王宮魔術師たちは全員で頭を抱えて陛下あああああああと叫んでうずくまって泣いたが、そこへ数年前、救世主が現れた。占星術師、ラティである。

 ラティは、魔術師たちがどうしてそうなったと天を仰いで叫んで祈りたくなるくらい魔力総量がすくない、すくないとするにもはばかられるくらいのものしかない魔術師であるが、彼女には不思議な特性があった。

 唯一、ラティが満足に使うことのできる魔術、望む夢を導き対象者を穏やかな眠りに導くそれを、どんな相手にも贈ることができるのである。相手の属性や適性、状態に関係なく。

 魔術師であろうと、一般人であろうと。世界から特殊な守りを受ける王族であろうと、とにかく構わずに、無差別に眠りを捧げることのできる稀有な術者。それがラティだった。

 ラティが卒業資格を手にしたと聞いた瞬間の砂漠の魔術師たちといえば、とにかく手段を選ばず、彼女の獲得にかかった程だ。本来、魔術師の配属先の決定権を持つのは、五ヶ国の王。

 彼らのみであって、そこに魔術師たちの意思意見など反映された試しはないのだが。

 お願いしますうちの陛下の安全安定安心の健やかな眠りの為にラティください、と五王を前に、砂漠の王宮魔術師たちが全員床に額をこすりつけて懇願したそのさまは、砂漠の王曰く記憶から失いたい黒歴史堂々第一位であり、他の四カ国の王曰く、未だに思い出すだけで腹筋に衝撃が走って笑わずにはいられないあの瞬間の砂漠の彼の顔と言ったらっ、と今でも語り草になっている。

 そんな状態であるので、砂漠の王の不調とあれば、白魔術師と一緒にラティが連行される、というのはごく自然なことだった。

 例えラティが、長期休暇の終わりにあわせて数日の休みを取得していて、魔術師のたまごとなった養い子と穏やかにのんびり過ごしている最中だったとしても。

 おかげで砂漠の王宮の一角は、自国出身の魔術師のたまごに嫁ぐ間際の『砂漠の花嫁』を誘拐された精神的な負荷から胃の痛みで動けなくなった王と、あまりの事態に笑いが止まらなくなって腹筋がつった白魔法使いと、せっかくメーシャと紅茶がおいしいお店を予約してたのにいいいいと嘆きながらも主君を眠りに叩き落とした占星術師のせいで、大変混沌とした騒ぎの真っ最中である。

 これからどうすればいいですか、と聞くべく王の元を訪れようとしていたリトリアは、半開きだった扉を音がしないようにそーっと、そおぉおっと閉めると、苦笑いで様子を伺っていたシークに、ふるふるふると首を横に振ってみせた。

 とりあえずの落ち着きを取り戻すにしても、もうしばらくかかりそうだった。

「ジェイドには連絡を?」

「した、とは聞いたけど……ジェイドさん、戻って来られるのかしら……?」

「我らガ筆頭はお忙しイカラねぇ……。あまり期待シナイでいる方がお互いの為カナ」

 砂漠の王宮魔術師筆頭の姿など、新年の祝いの日にすら見ていないありさまだ。話では年に一度は王宮に戻り、あれこれと王に報告をしているとのことだったが、リトリアもシークも、未だ遭遇したことがない。

 というか姿をみたことがないので、一部では非実在が囁かれる程だった。

 いやいるよ俺も五年くらい姿見てないけど、とあっさり告げたフィオーレの横で、砂漠の王が頭を抱えて先週会った普通に生きてるに決まってんだろこの馬鹿ども、と呻いていたのでまあ存在はしているのだろう。たぶん。

 手紙を出せば半年間隔で戻ってくるが、残念なことに筆跡を偽造しようとすれば、それを叶える魔術など、この世界にはいくらでも存在しているもので。ううん、と首をひねりながら、リトリアがそれにしても、と呟きかけた時のことだった。

 彼方から近づいてくる足音とささやき声に、リトリアの姿が硬直した。うわぁ、とシークが顔を歪め、リトリアが息を吹き返して彼方へ走り去ろうとするも、時すでに遅く。

 慌てて転びそうになるリトリアの腕を掴んで引き寄せ、背後へかくまってやったと同時。訝しげな声が、シークの名を呼んだ。

「砂漠の陛下にお会いしたいんだが……そんなところでなにを?」

「ストル。……うわぁ、ウワァ……ツフィアまで……どうしたんだイ? フタリ揃って」

「あなたね。人の顔を見るなりそれはないんじゃない? ……私たちの陛下、星降の王たる方が、お手伝いしてあげてきてよ、と仰るものだからその為の……偵察と調査と、そうね。出張かしら?」

 立っていたのは、星降の王宮魔術師の男女。占星術師ストルと、言葉魔術師ツフィアだった。二人は同年入学ではないものの、なにかと気が合い、『学園』を卒業した今も同じ国の王宮魔術師であることもあって、よく連れだって歩いている。

 ちなみにどちらも、付き合っているのか、恋中なのかと問われると苦虫を噛み潰したあげくに飲み込んでしまったような顔をして、産まれてきたことを後悔したくなかったらその質問は二度とするな一度だけならば許す絶対に違う、と言い放つまでが一連の流れだ。

 『学園』在籍時代はともかく、王宮魔術師として迎えられてなお二人が共にいることが多いのは、単に若手で最有能とされているので動かしやすく、組まされているというだけなのだが。

 ツフィアは閉ざされたきりの執務室の扉をいちべつするなり、おおまかな事情を察したようだった。

 すこし来るのが早かったようねと息を吐き、もの言いたげな視線をシークへと投げかける。

「ところで」

「……ナニカナ?」

「その、背に隠している子を前に出して挨拶させるとか、しようとは、思わないのかしら? ……最低限の礼儀は守らせなさい」

 あからさまに苛立った物言いと声に、シークの背後でびくっ、とリトリアが体を震わせたのが分かった。

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