ささめき、よすがら、そして未来と引き換えに 36

 砂漠の王宮。市街を見渡せる高台の回廊を、魔術師と兵士たちが慌ただしく行きかっている。誰もが慌てた顔つきで、悲鳴や怒鳴り声に近い指示、混乱、噂話にすら近い不確定な情報が飛び回る中を、ひとりの男がゆったりとした足取りで歩いていた。

 身長の高い、痩身の男だ。砂漠の男たちに多い煮詰めた飴色の肌ではなく、すこしばかり病的な白い肌をしているが、室内に籠り切りとはすこし違う雰囲気をしている。

 魔術師のローブが、市街から駆け抜けてきた風にはためいて揺れる。ふあぁ、とだいぶ眠たそうなあくびと共に揺れる短い髪は、どこかさっぱりとしたあかがね色をしていた。

 先日、カニ煮るとこういう色になるよな、とからかってきた同僚は、しばらく悪夢に苦しむに違いない。男の瞳は澄んだ忘れな草の花を宿していて、立ち止まり、雲ひとつない青空を見上げていた。

 砂漠の国は今日も良い天気だった。日差しがすこしばかり強すぎることの他は、男はとてもこの国を気に入っていた。

 男の髪色を、煮たカニだの赤い胡椒だの日陰で熟れた色濃い林檎だの、なにかにつけて執拗に、なにかに例えようとする親友の白魔法使いと、その発言を聞いた主君たる王が、ほぅ、と深く頷いて納得しつつ、興味を向けてくる眼差しさえ無視していれば。

 なぜ仕える主人たる王に、なんだそれおいしそう、みたいな目で頭をみられなければいけないのか。

 おかげでここ数日、同僚の王宮魔術師たちから向けられる視線は、心の底から同情的かつ、なにかいじめられたら言えよと言わんばかりのものだったが、ちっとも嬉しくならないのはどうしてなのだろうか。

 さらにその翌日から、王宮警護の兵士たちから、男に向けられる愛称といえば『カニ』である。すでにいじめられている気がしてならないのは気のせいなのだろうか。

 緊張感漂う廊下で遠い目をして空を仰ぐ男に、兵士たちがばたばたと走り去りがてら、徹夜してたんなら一回寝てから指示受けろよカニいいいいっ、と叫んで行った。すこぶる余計なお世話であるカニとかいうな。

 へぶううぅっ、と笑いに吹き出して廊下の端でうずくまっている、諸悪の根源である白魔法使いは、男に白い目で見られるや否やすっくと立ち上がり、あっはははは緊急事態だやべええええっ、と言いながら何処へと姿を消してしまった。

 この国には緊張感というものが足りない。はあああぁ、と深々と息を吐き、男がとりあえず、と白魔法使いのいなくなった方向へ足を進めようとした時だった。

 ぱたぱたぱたっ、とどこか可愛らしい足音と共に、進行方向とは逆側の廊下の端から、きゃああぁと叫び声が響いてくる。

「ま、まってまってっ! やっ、まってまって!」

「……分かったから落ち着いておいでヨ? さもないとキミ、絶対に」

「きゃああぁあっ」

 転ぶヨ、という忠告と、少女が男の背中にぶつかるようにして転び、抱きついてくるのはほぼ同時のことだった。げほっ、と思わず咳き込む男に、少女は恥ずかしげに顔を赤くして、やああぁああごめんなさいっ、と涙目だ。

「い、痛くない? いたくないですか? ち、ちがうのわたし立ち止まろうとおもったの……!」

「毎日のコトだからネ……慣れたヨ……。それで? 今日はどうしたんダイ?」

 ぽんぽんぽん、と落ち着かせるように、服に覆われた腕のあたりを慎重に手で叩き。男は身をよじって、背に顔をぺたりとくっつけてぐずぐず涙ぐむ少女の名を呼んだ。

「リトリアちゃん? それで? 猫がまた捨てられてイタ? 小鳥が巣から落ちちゃったノ? それとも朝食のデザートがおいしくなかったのカナ? 蕾ダッタ花が枯れちゃっタかい?」

「そうじゃないです……。ちがうの、私、聞きたいことがあって……」

「ウン?」

 探していたの、と告げるリトリアを背からはがそうとせず、シークは首を傾げて問いかけてやった。

 同僚の一人でもあるこの年若い砂漠の王宮魔術師である少女は、なにかと問題を起こす第一人者で、だいたいシークに助けを求めに来るのが日課なのだが、今日はすこしばかり違うらしい。

 どうしたの、と問うてやれば、藤花色の瞳がそろそろと、シークをみあげて瞬きをする。

「……どうしてロゼアくんを見逃したの?」

 なんの話カナ、と誤魔化してしまうには、リトリアの瞳は確信を持ちすぎていた。声もひそりとして響かず、今も慌ただしく兵士や王宮魔術師たちが走りぬけていく廊下であっても、誰の意識にすら触れなかっただろう。

 その名は今、この砂漠の王宮で響かせるには危なすぎるものなのに。誘拐、『砂漠の花嫁』が、『学園』在籍の魔術師のたまご、傍付き、情報がない。どこへ。ざわざわざわ、揺れる空気を感じているだろうに、言葉を聞いているだろうに。

 それを素知らぬふりで。きょとんとしてシークを見上げるばかりのリトリアに、男はおいで、と少女を手招き、歩き出した。リトリアはおそらく、シーク以外に会話が零れないように予知魔術を展開しているだろうが。

 それにしても往来の激しい場所でする話ではなかった。

 強い日差しが濃い影と、まばゆいひかりを縞模様に落として行く廊下を、連れだって歩く。慌てもしないのんびりとした二人を、咎める視線は不思議なまでにひとつもない。

 まったく、と息を吐きながら、シークは広く作られたバルコニーのひとつに辿りつき、壁へ背を預けてしまう。視線の先には街が見えた。街と、そして、外壁の輪郭が花の形を成す、『お屋敷』が。

 そこも、今は大変な騒ぎであるだろう。なにせ嫁ぐ間際も間際、本当なら今日、何処へと向かう予定であった『砂漠の花嫁』が、魔術師のたまごに連れ去られ、行方不明になってしまったのだから。

 いや、とシークは苦く笑う。『お屋敷』は彼を、魔術師のたまごとは思わない筈だ。『元傍付き』か、あるいは今もそう呼ばれていたのかも知れない。

 彼は『傍付き』だった。魔術師として『学園』へ召喚を受けるその時まで。嫁ぎ先の決まった『花嫁』の、『傍付き』であった青年の名を、ロゼア。連れ去られた『花嫁』の名を、ソキという。

 魔術師のたまごによる、『砂漠の花嫁』誘拐事件。これがいま、砂漠の王宮をどよめかせ慌てさせている事件の、暫定的な呼び名である。

「シークさん?」

「ナンダい?」

 腕を組み、疲れた風に目を伏せるばかりで話しだしてくれない男に、焦れたのだろう。リトリアは両手をゆるく握り締めながら、僅かばかり不愉快げに眉を寄せ、ちょこん、とばかりに首を傾げて再度問う。

「ねえ、なんでロゼアくんを見逃したの? ……なんとなく、おかしいとは、思ったのでしょう?」

 学園は長期休暇の最中である。年末年始を挟む形で、前後一月。合計で二ヶ月の休みの、もう終わりが見える頃だった。昨夜のことだ。

 夜の遅く。学園と砂漠を繋ぐ『扉』の起動した、魔力のほんのわずかな気配に、シークは起きて部屋を抜けだした。『扉』はいつ何時でも動かされる。深夜であれ、早朝であれ。

 それを一々気にする者などいないのだが、やけに引っかかって向かった先に、佇んでいたのは魔術師のたまごだった。先日、帰省を終えて、学園へ戻った筈の青年。入学して二年が過ぎ、先の年明けで十八歳になったばかりの。

 ロゼアクン、とシークは呼びかけた。どうしたの、忘れ物でもしたのカイ、と笑って。ロゼアは振り返り、いいえ、と言ってあまくやわらかに微笑んだ。

「キミも、見ていたのなら声をかければ良かったノニ。どうしてそうしなかったんダい?」

「……ねむたかったの。夜だったんだもの」

 つん、とくちびるを尖らせて拗ねた様子で息をはくリトリアに、シークはソウ、と笑って肩をすくめた。ロゼアが『砂漠の花嫁』を、嫁ぎ先の決まった己の宝石を連れ去ったのは、その後のことであるという。

 迎えに来たよ、と微笑む青年の腕に、『花嫁』はどんなにか幸福に微笑んだだろう。二年前。『傍付き』が魔術師のたまごだと案内妖精が告げた際、『お屋敷』では、それはもうひどい騒ぎが起きたという。

 案内妖精が迎えに来たのは、ロゼアだけで。その年の新入生は、三人だったのだ。日曜日の休みごと、ほんの数時間であっても、ロゼアは許可をとって『お屋敷』に舞い戻り、己の『花嫁』をその腕に抱き上げた。

 会いたかったです、寂しかったです、ソキね、ちゃんと我慢してたです、だからだっこしてぎゅってしてねえねえロゼアちゃんっ、と泣いて求める『花嫁』に。俺もだよ、と囁いて。二年。ずっと、そうしてあった二人だった。

 十五の、『砂漠の花嫁』が嫁がねばならないぎりぎりまで、『お屋敷』に留まりたいと希望を出し続けたソキが。夏ごと、案内妖精の訪れを待っていたのを、砂漠の王宮魔術師であるなら誰もが知っていた。

 ロゼアが『学園』へ連れて行かれた日から、夏が終わり秋になり、世話役たちが懇願して窓を閉めてしまうまで。その年も、翌年も、その翌年も。

 ソキはほたほたと声もなく涙をこぼしながら、天にきらめく星を紗幕ごしに見上げ、妖精の訪れを待ち続けた。

『ねえねえ、リトリアちゃん。ねえねえ』

 ごくたまに。土曜日の夕方、授業が終わるくらいの時間帯に。出迎えを懇願したのだろう。砂漠の王宮の隅、『扉』の前で世話役たちと待ちながら、ソキは護衛を命じられたリトリアに、不思議とひとみしりすることなく問いかけてきた。

『ソキ、がんばればまじゅつしさんになれるですぅ? ねえね、ソキ、ロゼアちゃんとおんなじとこにぃ、いけるですー? がくえん。で。まじゅつしさんの、たまご、できるぅ? ソキ、ロゼアちゃんとおんなじがいいです!』

『……そうだネェ』

 ゆるく笑いながら囁いたのは、リトリアではなく。その傍らに立つ言葉魔術師だったけれど。男はなにもかもを分かっているような眼差しでソキを眺め、ごく穏やかに肩を震わせて笑いながら、幾度となくこう告げた。

『もうスコシ、待っていてゴランよ。ロゼアクンの『花嫁』チャン?』

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