ささめき、よすがら、そして未来と引き換えに 32

 ふたりのやりとりを不思議そうな目で眺め、歌声を途切れさせたリトリアがえっと、と声をあげる。

「ローブを脱いで、ロゼアさんにかけてあげて……シークさんは、こっちに来ればいいと思うの。おとなり」

 ツフィアの腕の中から手を伸ばし、リトリアがぽんぽん、と地面を叩く仕草をみせる。ストルが座るのとは逆の側だ。

「……いいのカイ?」

「だめなの? ……ツフィア、シークさん、お隣、だめ?」

「……なにか問題でもあるの?」

 リトリアが呼んでいるのだから今すぐ来なさいと言わんばかり、ツフィアの目が細まってシークを眺めやる。シークは助けを求めるようにストルをみたが、男はこくり、と頷くばかりでなにも言ってはくれなかった。

 リトリアの望みは最大限叶えられるべきである、とその表情が告げていた。それを散々利用したので、ふたりの、リトリアに対するおかしいくらいの執着は知っていたのだが。

 天を仰ぎ溜息をついたのち、シークは苦心してローブを脱ぎ、それを眠るロゼアの体にかけてやった。ふにゃ、とねぼけた声をあげ、ソキがロゼアにすりすりすり、と頬を擦りつける。

 んん、と声をあげてロゼアがぎゅうとソキを抱きしめ、ふたりはまた深く眠ってしまった。そっと、シークはその場から離れる。草を踏む乾いた音。薄闇がひんやりとした空気を渡り、風が木々の間を駆け抜けていく。

 見上げる空は星明りがきらめき、逃亡者たる魔術師たちを見下ろしていた。

 火の明りが温かい。歩み、ゆったりと近くへ行くシークを見つめる視線に、拒絶などひとつもなかった。はっ、と笑いながら、どさりと音を立てて崩れるように腰をおろす。

 もしも、このやさしさを、この穏やかな時間を、もっとはやくに。いや。考えるまい、と目を伏せて笑い、シークは不安げに見つめてくるリトリアに、大丈夫ダヨ、と首をふってやった。

「それより、魔力を使いすぎないようにネ? ……キミには、これからが大変なんだから」

「シーク。リトリアになにをさせるつもりなの? あの子……たち、にも」

「言っただろう? 砕かれる前の世界に移動するのサ」

 かつて、この世界はもっと広かった。多くの国があり、数え切れないほどの神秘が息をしていた。魔術師たちに砕かれたが故に、五ヶ国だけが残された世界。

 魔術師は『中間区』までならば行き来ができるし、妖精たちは『向こう側の世界』に渡ることも可能なのだという。けれどもシークが告げたのは、そのどちらでもなく。『砕かれた外側の世界』だった。

 世界は消滅した訳ではない。ただ途切れてしまって、そこへ繋がる術がないだけなのだ。けれども、予知魔術師ななら。奇跡を起せる術者ならば。それがふたり揃っていたのなら、恐らく。きっと。

 そこへ行くことは可能なのだ、とシークは言う。行く、と呟き、いいや、とシークは言い変えた。

「戻る、カナ。ボクにしてみたらネ。……ボクはあの世界に戻りたいのサ。ここではなくネ」

「……シークさんのおうちが、あるの?」

「ソウダよ。……そう、ボクの家がある。ボクの故郷。生まれ育った場所。ボクの……せかい……」

 うつくしい場所であったという。うつくしい国であったという。神秘にあふれた世界であったという。そこはこの五ヶ国のどこでもなく、ひとと、魔術師と、幻獣の共存する世界。妖精たちは窓辺に飾られた花の上で寝ぼけまなこであくびをする。

 青空を、ひとと同じ姿をした、けれども腕である場所に鳥の羽根の生えた幻獣たちが飛び回り朝告げの歌を奏で。街角の井戸ではうまれたばかりの小さな竜が、気持ちよさそうに水浴びをする。

 魔術師はひとの中に存在する特別な者ではあったけれども、魔力は、魔術は世界に満ちていた。そこで、シークはうまれて育ったのだという。そしてある日突然、針の穴のように出現した歪みにとらわれて、こちらの世界に落ちてしまったのだと。

 この、五ヶ国だけが残った世界に。この欠片があることは知っていたヨ、とシークは笑う。

「歴史のいちばんはじめに習うコトさ。かつて、この世界はもっと広かった、って言うのはネ。大戦争も、その結末も、みぃんな同ジ……当たり前のことサ。同じ世界だったのだから。かつてはひとつの世界だったのだから、同じに決まってイルだろう……? ……それなのに、ボクがいたのはココじゃない。かつては同じ筈だったノニ、それを示す証拠も、なにもかも、あるノニ……欠片に飛ぶコトはできるのに、ボクの世界には戻れなかった。気が狂いそうだったヨ……いくらかおかしくなっているのはボクも否定しないケドネ」

 学園にある武器庫に通じる『扉』が繋ぐのは、砕け散ったかつての世界の欠片だ。そこはひどく、シークのいた世界に近かったのだという。それなのに、決して戻れはしなかったのだ。

 武器庫が繋ぐのは、魔術師たちを呼ぶそれがある空間にだけ。その部屋から、あるいはその建物の中から、決してでることはできなかった。窓の向こうに世界が広がっているのが見えるのに。

 そこへ、どうしても、戻れない。

「世界の欠片は流動的だ。一つの所に留まらず、常に移動しているものなんだよ。川の水に小石が転がされるようにネ。でも規則性がある。北極星を中心に星がくるくる巡るように。世界の位置も、待てばごく近くまで巡ってくる……」

「だからね、白雪の国へいくのよ、ストルさん。ツフィア。私とね、ソキちゃんがね、その白雪の国のいちばん……いちばん、世界の接点が近くなる場所まで行って、穴をあけるの。……穴をあけるか、糸みたいにして繋げるかは、その時の感じで決めていいってシークさんは言ったけど。もう一回繋げるの。もう一回、すこしだけ、砕くの。そうすれば私たちは、むこうに、シークさんのうまれた世界に渡れるの……!」

「……『扉』が使えないというのは痛いわね」

 呟いたツフィアも、ストルも、リトリアも。シークもロゼアもソキも、反逆した魔術師として、王宮魔術師たちに追われる身だ。

 リトリアの祝福とストルの星見による先読み、言葉魔術師ふたりのまやかしと、追っ手を退けるロゼアの魔術師としての強靭さ、それを支えるソキの予知魔術師としてのちからが、彼らの道を先へと繋げている。

 花舞にある限り、リトリアの祝福を貫ける魔術師など存在はしない。楽音においてもそうだった。けれどもその先、砂漠と白雪の国において、リトリアの力がどこまで彼らを守りきれるのかは、誰にも分かることではなかった。




 どこまでも行こうね、とリトリアは笑った。ずっと一緒ですよ、とソキが囁く。己の愛おしさに。己の生きる理由すべてに。花を潤す水に、花を導く音楽に。花を生かすひかりに。花は告げた。

 どこまでもどこまでも、ずっと一緒に、行こうね。逃げようね。生きようね。

『――また』

 でも、誰かが。くらやみのなかで。

『また、だめだった……』

 花たちに、そう囁いたので。




 しあわせの終わりがすぐそこに来ていたことを、リトリアは知っていたのだけれど。




 国から国へ移動する術は、国境にある砦を超えるしか手段がない。それは『扉』を失った魔術師のみならず、この世界にある存在、すべてに等しくかせられた条件だった。この世界は砕かれたパズルピースに似ている。

 本当は形のあわないそれを、無理矢理繋ぎ合せる糸が国境であり、そこに作られた砦なのだった。人の目にも、魔力を認識する妖精や魔術師の瞳でさえ、大地はなめらかに続き木々が広がり花々が風に揺れているように見えるのに。

 単純に、国境線、とされる地図上の線を、国境以外の場所から踏み越えていくことがどうしてもできないのだ。それは武器庫から接続する世界の欠片の、向こう側へ決して辿りつけない感覚に似て。この世界では許されない理のひとつだった。

 だからリトリアは、覚悟をしていたのだ。楽音から砂漠へと続くこの国境の砦で、必ず、追っ手たる魔術師たちが待ち構えている筈だと。

 常であればまばらに行きかう筈の馬車はなく、国境へ吸い込まれるように引かれている一本の街道に人の姿はまったくない。街は真昼であるのに夜のように瞼をおろし、窓という窓には布が引かれている。

 もしかしたら人々は王の指示の元、近隣の都市に避難したのかも知れなかった。つまんない、ですぅ、とひとり拗ねた様子で頬をふくらませるソキを、ロゼアがくすくすと幸せそうに笑いながら宥めている。石畳に靴音だけが響いていた。

 静寂よりも音楽に近い響き。そっと旋律を口ずさんで祝福を編みあげながら、リトリアはとうとう、国境の砦を間近に見上げるその門の前で立ち止まった。つよい光に目を細めながら、城壁に現れた人影に息をすう。

 恐ろしい程の魔力が、逃亡者たちに向かって展開される。その人影は、逆光を背にリトリアをまっすぐに指差した。

「こんにちは、リトリアちゃん! 来てくれるのを待ってたわ!」

 それは本物の歓喜だった。ストルとツフィアがリトリアの腕を掴み、背に隠してしまうよりはやく、その喜びは笑い声と共に解き放たれる。

「心配しなくて大丈夫! 私がちゃんと、ちょっと口には出しにくいけどいろんな手段を駆使して、あなただけはどうにか助けてあげるから。その他には殺害の許可が出てるけど? まあ私には知ったことじゃないし、自業自得じゃない? ……チェチェリア先輩を裏切った罪、その身をもって購うがいいわ」

「……エノーラ!」

「と、いうわけで!」

 笑いながら。白雪の王宮魔術師、天才と冠された錬金術師。エノーラが、城壁に足をかけてまっすぐに立つ。

「あなたの私の正義の味方! エノーラちゃんです!」

「帰れ」

「裏切り者の突っ込みなんて私には届きません」

 ね、とちいさく首を傾げて、エノーラは笑った。

「ラティ?」

「そうね」

 声は。城壁の高くからではなく、リトリアのすぐ傍から聞こえた。ぞわりとした悪寒が背をはいずって悲鳴となる。それに僅かばかり眉を寄せて。ラティは血のついた短剣をソキから引き抜き、ロゼアに向かって微笑みかけた。

「ごきげんよう? 裏切り者の魔術師たち」

 ソキは。眠るように、ロゼアの腕の中で目を閉じていた。ソキ、と掠れた声で呼びかけるロゼアの声にも、笑うことなく。その胸に花のように、赤く血を咲かせて。とん、と靴音を響かせ、ラティが優雅に一礼する。

「そして、さようなら」

 しあわせの、終わりが。すぐそこに来ていたことを。リトリアは、知っていたのだけれど。


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