ささめき、よすがら、そして未来と引き換えに 29

 いっしょですよ、とどこかで泣く声がする。くらやみの向こう。守られた花が泣いている。いっしょだって、いったです。ずっとずっと、いっしょだって。いっしょだって、いったのに。

 ロゼアちゃんが連れて行かれちゃう。ロゼアちゃんが。ソキの。傍にいるっていってくれたですのに。おそば、ずっと、いっしょって、ロゼアちゃんが。いった。いったのに。

『卒業が決まったカラ、モウ駄目、ってみぃんな言ってるネ……?』

 ああぁああん、と幼い声で。花が泣いている。

『ひどいネェ……ロゼアくんがいなければ、キミは生きて行くコトさえできないノニ』

 流れ込む魔力が、花をうるおす水のように。触れる手の熱が、花に口付ける光のように。ソキをずっと生かしてくれていたのに。ソキはロゼアとひとつになって。そうしてようやく生きて行けたのに。

 ロゼアは希少な太陽属性の黒魔術師だった。入学前から半ば自覚的に魔力を扱い、ソキを生かし続けたが故に、その安定はどの魔術師より強固で、そして強力だった。傍付きとして整えられた従順さは、扱いやすいもののように印象をふりまいた。

 ひどく優秀な魔術師として整えられたロゼアを、どの国も欲しがり、そして王たちは口を揃えてこう言った。ソキのことは『学園』に置いて行きなさい。世話をする白魔術師を手配するし、時々は様子を見に行くことも許しましょう。

 けれども連れて行くことは、その希望は、叶えられない。ソキのことはおいて行きなさい。ここから先はひとりで行くのだと。

 ロゼアがそれをソキに告げるよりはやく。ソキはそれを知っていた。夢の中で、くらやみの中で、誰かの声が囁き告げた。奪われてしまうよ。キミの大事なダイジなロゼアくんを、みんなみぃんな奪っていこうとしてイルヨ。

 カナシイね、イヤだよね。

『……ロゼアくんと、ずっと一緒にいたい?』

 いっしょですよ、と泣いている。だってずっと、ずぅっと一緒っていったです。ずっとずっといっしょに。

『そう。……なら』

 花が。

『ボクのいう通りに、してごらん……?』

 ソキが、泣いている。




 ソキ、ソキ、と呼ぶ声に、ソキはのたのたとまぶたを持ち上げた。ロゼアちゃん、と呼びながら首筋に腕を回し、肩にすりすりと頬を擦りつける。耳元でほっ、とロゼアが息を吐き出したのが分かった。

 ぼんやりと視線を巡らせた先、部屋の扉が閉じている。寮の、ロゼアに割り当てられた部屋の中。その扉の先へソキが行ったのは、ほんの一度か、二度くらいのことだった。

 ロゼアの腕に抱きあげられて連れて行ってもらったので、ソキはそこへ足をつけたことがない。この部屋が世界のすべてで、扉の外へは行ったことがないのだ。『学園』に連れてこられてからずっと。

 ロゼアの部屋と、その腕の中が、ソキの世界のすべてだった。外にはたくさんの魔術師、そのたまごがいる。

 こわいこわいです、こわいのやです、と泣くソキの為を、ロゼアはずっとこの部屋で守ってくれていた。怖くないよ、俺がいるよ。俺がいれば大丈夫だろ、と囁いて。だから、俺の傍にいような、ソキ。

 どこにもいかないで、この部屋に。歩くのも遊ぶのも、この部屋の中だけにしような。俺だけいればいいだろ、ソキ。俺のかわいい、かわいいソキ。ソキは俺のもので、俺はソキのものだよ。ずっと一緒。

 告げられるたびに、それをソキはしあわせだと思った。部屋から出られないことも、ロゼアとしか会えないことも、話せないことも、苦だとは全然思わなかった。

 体調が悪くて動けない日が殆どだったし、たまに会いに来てくれるナリアンや、メーシャという名前の青年たちにも、慣れなかったから、おはなしをするのは恥ずかしかった。

 歩く必要なんてなかった。行きたい所へはどこへでも、ロゼアが連れて行ってくれる。

 それなのに。

「ろぜあちゃん……」

「うん?」

 ぎゅっと力を入れてソキを抱き寄せ、膝の上に乗せて、ロゼアは満たされた風に笑っている。その目の端がいくらか赤く腫れぼったいことに、ソキはちゃんと気がついていた。手を伸ばして、指先で触れる。

 ソキ、と困ったように笑うロゼアに、ソキはじわじわと涙を浮かべて問いかけた。

「ロゼアちゃんは、ソキをおいてくです……?」

「おいてかないよ。離さない。……離れないって、言っただろ」

「だって、ロゼアちゃん、だめって言われた……言われたです。ソキ、ちゃぁんとしってるぅ、ですぅ……!」

 くらやみのなかで。夢の中で。声はそれを教えてくれた。

「ろぜ、あ、ちゃ、ん、は……」

 涙が、あふれて。零れ落ちて行く。

「ソキの、だもん……! ソキの、ソキのロゼアちゃん、だもん。王様のじゃないですよ! ソキの! ソキのだもん! ロゼアちゃんはそきのっ! そきのだもんそきのだもんやああぁあああっ!」

「ソキ、ソキ……! うん、ソキのだ。俺はソキのだよ。ソキのだ……」

 泣いて。泣きじゃくって訴えるソキを強く抱きしめて、ロゼアは何度も繰り返して告げた。俺はソキのもので、ソキは俺のもの。だから俺はどこへも行かないし、ソキだけのものだし、ソキをどこへもやらないよ。

 ソキ、ソキ。大丈夫。だからそんなに泣かなくていい。

 叫んだらだめだ。いいこだから。ほら、俺がいるだろ。いまここに、ずっと、ソキの傍にいるだろ。泣かないでいいよ、叫ばないでいいよ。喉が痛くなる。咳が出て、また熱を出して動けなくなる。ソキ、ソキ。愛してる、ソキ。

 愛してるよ。離れたくない。離れたくないんだよ。でも皆。

『ソレを』

「だめって、言うんだ……」

 囁く声が二重に重なって聞こえたことも、その片方が夢の中で響いていたものであることも。もうソキは分からず、きらいきらい、と泣きじゃくった。その、泣き声の隙間に忍び込むように。

「みんなきらい! きらいきらいです! そき、みぃんな、きらいっ! ソキからロゼアちゃんをとりあげるひとはみんなきらい!」

 言葉が。

『さあ、ボクのお人形さんたち』

 告げた。

『時間ダヨ……?』

「……ソキ」

 泣いて、泣いて。もぞもぞとロゼアの膝上で暴れながら訴えるソキの頬を、あたたかなてのひらが包み込む。こつ、と額が重ねられた。ソキの瞳を覗き込み、赤褐色の瞳が笑う。沈み行く太陽のように、それは。

 光輝きながら、くらやみの衣に包まれていた。

「ソキ」

 ロゼアが笑う。

「じゃあ、一緒に行こうか。俺と……ふたりで、逃げようか」

「ロゼアちゃん……? ロゼアちゃん、ソキと一緒にいてくれるです? 誰のトコにもいかない? ずっと、ずぅっと、一緒……?」

「うん。一緒だ、ソキ」

 うれしくて。涙を滲ませながら、ソキはロゼアに抱きつきなおした。すりすり、体全体をすりつけて甘えれば、抱き寄せる腕に力がこもるのが分かる。ずっと不安だった。ずっと怖かった。

 ソキはほんとうに生きるのにせいいっぱいで、ひとりでなにもできないし、『学園』に連れてこられてからもなにひとつ学ぶことができなかったから。ソキにあるのはロゼアだけだった。

 ロゼアだけが、ソキのすべてで。ソキの、生きる、すべてだった。

「ロゼアちゃん、ロゼアちゃん……ソキ、おそとに行きたいです」

「そと?」

「おそとです! そこに行けばね、もう大丈夫って、ソキ、教えてもらったです……。そこではね、ソキね、ロゼアちゃんとずぅっと一緒にいていいんですよ。ソキのね、体の痛いのとかね、だるいのとかね、そこではもう大丈夫なんですよ。それでね、ソキね、ロゼアちゃんがね……ロゼアちゃんが、ずぅっと一緒で、ソキと一緒にそこまで、逃げてくれるって言ってくれたら、ソキね……お願いしようと思ってたです。ロゼアちゃんはソキのお願い、叶えてくれるですからね。ロゼアちゃんにね、お願い、ちゃんとしようと思ってたです」

 期待と希望に瞳を輝かせて、ソキはおそと、と繰り返した。おそとにいく。ソキ、ロゼアちゃんと、一緒に。この世界の外。分断され、砕かれた、この世界の外。

 そこでずっとずぅっといっしょにいるです、ときゃあきゃあはしゃいで笑うソキの頭に頬をくっつけ、ロゼアは目を伏せて幸福に笑った。うん、と頷く。うん、そうだな、一緒に行こう。夢みたいな場所。楽園みたいな場所。

 そこまでの行き方を。俺も――に、教えてもらっていたから、きっと辿りつけるよ。ふたりでなら、一緒なら。この世界のすべてから逃げて、ふたりで。ずっと、ずっと、どこまでも、一緒だ。

 生きている限り、このぬくもりの傍らに寄り添い、もう決して離れることはない。

 ひとつのもののように、ひとつの命だったように。最後まで。

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