ささめき、よすがら、そして未来と引き換えに 28
くらやみにとじこめられたので。花は、枯れてしまう、と思ったのだけれど。紡いだ糸が竪琴のように音楽を奏で、それを奪われた花の慰めに。旋律はやがて水辺で舞う風を引き寄せ、乾いた喉をほんのすこしうるおした。
いままた、奪われてしまった花は、くらやみのなかで泣き声を聞く。どこかで、この鎖されたくらやみのどこかで、うばわれた花が泣いている。
『……サア、キミも歌ってごらんヨ。ボクのかわいい、お人形サン……?』
声がする。花をくらやみに導いた声が。花をくらやみから導いて行こうとする声が。囁いている。花に。
『みぃんな、ダメだって言うネ。ヒドイねぇ……みぃんな、キミから奪っていこうとするヨ』
うばわれた花に。
『……キミの、大事な、ダイジナ』
花に。
『ロゼアくんを』
花嫁に。
くらやみにとじこめられたので。ソキは枯れてしまうんだ、と思った。幸せになる為に育てられたのに。幸せに咲く為に磨き上げられたのに。その献身に、その想いに、なにひとつ応えることができないまま、しあわせな腕の中から引き離されて。
つめたくて、こわくて、さびしくて、くらい、その場所で。ロゼアにもう二度と会えないまま、胸に秘めた思いの一欠片すら、残すこともできないままに。その時、ソキは、枯れてしまうんだ、と思った。
だって体中が痛くて、息さえうまく出来なかったのだ。それがはじまったのは星祭りの日、街に出た輿持ちの男たちと共に、このくらやみに導かれてしまった時からだった。ソキの髪に結ばれた、赤いリボンが解けてしまったからだった。
赤いリボン。ロゼアが贈ってくれた。
ソキの髪からするりとほどけてしまった、風に飛ばされて消えてしまいそうになったそれを、ロゼアが追いかけて手を伸ばしてくれたのが最後の光景。ロゼアが振り返るより、戻ってくるよりはやく輿が揺れた。
みつけた、と笑い声がして意識が途絶える。それが最後。ひかりのなかにいた、ロゼアとソキが共にいた、最後の光景、最後の記憶。次にソキが目を覚ましたのは、もうくらやみの中だった。
寝台にぽんと放られたような姿で目を覚ましたソキに、男が手を伸ばしてなにかを告げた。なにかを。雑音のように上滑りしていった言葉たち。
くらやみが怖くて、知らないおとこが怖くて、そこで言われる言葉など、なにひとつソキは聞きたくなかったし、分かりたくもなかった。理解を拒否した。だからそれは雑音だった。ひどく耳障りな、こわいこわい、いやな音でしかなかったのだ。
ロゼアちゃん、と呼んでソキは泣いた。ここはどこ。くらいの、そき、こわい。このひとはだれ。しらないひと、そき、きらい。ロゼアちゃん。どこへいったの。ロゼアちゃん。
ソキ、ここにいるですよ。ソキはここですよ。ねえねえ、ロゼアちゃん。ロゼアちゃんロゼアちゃんろぜあちゃんやだやだこわいのこわいこわいこわい、たすけて。たすけてたすけてロゼアちゃん。
ひたすら、くらやみに手を伸ばして。ひかりを。その存在を。求めたソキに、男はまたなにかを言った。雑音、だとしか思えなかったので。ソキはなにを言われたのかすら分からなかったのだけれど。
胸に、手が伸ばされて。信じられないくらいの痛みと共に。それ、が抜き取られたのは、その時だった。それは一瞬、うつくしく輝く、花のように光咲いた。
月の光にくちづけられて咲く、麗しい花のように。ほっそりとした線を描くように光をこぼし、それは花咲くように男のてのなかへ奪われた。雑音。男が指先を折り曲げて、それを強く握り締める。
ぱき、と音がした。ぱきん、と心臓の近くから。ソキの体の内側から。ひび割れる音がした。痛みに。どうしようもない痛みに泣き叫ぶソキに、男がまたなにかを告げる。笑うように。哀れむように。嘲笑うように。
響く、響く。雑音。ロゼアちゃん、とソキは泣いた。いたいです、いたいです。ロゼアちゃん。こわいです、こわい。こわい。いたい。ぐ、と指に力が込められて。雑音。ぱきん、とまたひび割れる音がする。
ぱきん、ぱきん、ぱきん。ぱき、ぱきっ。
ばきんっ、と最後の一欠片まで、砕かれて。体中、指先まで、足先まで冷えて、痛くて、動かせなくて。引きつった喉はうまく息を吸い込んでくれない。ソキはそこで一度、途絶えた。
ふ、と世界のなにもかもが遠くなって。冷えて凍って消えてしまった。そう思ったのに。ソキ、と叫ぶ声が乾いた喉に、弱く咳き込むだけの力を与えて響く。ソキ、ソキ、と叫ぶ声に、震えるまぶたを、ようやっと持ちあげる。
そんな風に取りみだす声を。どんな風に、必死にソキを求めてくれる、ロゼアの声を。うまれて、はじめて、聞いたので。ロゼアちゃん、と呼んだ声が届いたのだろうか。
何度も何度も呼んで、いままた、咳と共に掠れた声は。震えて伸ばした指先は、求めている、と伝わってくれたのだろうか。
くらやみのなかに、ロゼアが立っていた。ソキに手を伸ばして、駆け寄って来てくれる。ぐったりとしたソキを抱き上げて、強く抱きしめる腕が震えていた。ソキ、ソキ。
冷えた体に熱を与えるような、ぬくもりの中で、ソキは男がよろけながら階段を上っていくのを見た。足元には点々と血が。男は哄笑していた。狂ったように。手遅れダヨ。はじめてハッキリと声が響いた。
キミのお姫サマはもう手遅れダヨ。男は階段をのぼっていく。重たい足取りで。点々と血を床にまで滴らせながら。ロゼアは男を振り返らなかった。寝台に乗りあげてソキを抱きしめ、ただただ、繰り返し名を呼んで来る。
ソキ、ソキ、ソキ。泣くような声で。何度も何度も、呼んで、きつくつよく抱きしめてくる。その腕の中は血のにおいがした。
ロゼアちゃん。弱々しく息をしながらソキは囁く。おけが、してるですか。どこかいたいですか。ロゼアちゃんがいたいの、ソキ、やです。してないよ、とロゼアは言った。
してない。俺はしてないよ。どこも痛くない。ソキ、ソキ。ソキ。泣いていないのが不思議なくらい、かすれた声で。普段ならぜったいにしないような、強い力で。熱が体中を包み込む。
どこもかしこも冷えてしまったソキを、暖めるように。うとうとと眠たくなりながら、ソキはロゼアに両腕を伸ばして抱きついた。血のにおいがした。けふ、と咳き込む喉からは血のにおいがした。
ソキ、と呼んでロゼアが泣いている。今まで一度も、そんなことはなかったのに。痛いくらい強く抱きしめてくれることも、身動きが出来ないくらい抱き寄せてくれることも、そんな風に感情を乱してしまうことも、それをソキに見せることも。
ロゼアは、傍付きは、花嫁に、ソキに、そうしなかったのに。
傍付きは冷静で、落ち着いていて、穏やかだ。感情を揺らせば己の花嫁がそれに引きずられるからである。強い感情はことごとく研磨される。まぁるくなって、消えはしないけれど、表には中々出てこない。
特に花嫁の前では。けふ、けふ、と血のにおいのする咳を、息を繰り返しながら、ソキはしあわせに目をうるませた。ならば、こんなに強く抱いてくれるのは傍付きの習いではなくて。
花嫁に対する傍付きの触れかたではないから。ロゼアが、ソキに、そうしてくれているのだと分かって。はぁ、とソキはしあわせに満ちた息を吐き出した。もう、離れたくない。もう、ロゼアと、離されたくなかった。
花嫁として施された教育が、捧げられた献身を裏切るのかと、罪悪感を胸一杯に広げたけれど。血のにおいが。眩暈をするほどに広がる死の香りが、ソキからその罪悪を遠ざけた。
あいしているの。冷えた水を温める火のような熱に触れながら、包まれながら、ソキはロゼアの耳元で囁いた。
ごめんなさい、ロゼアちゃん。ロゼアちゃんはずっと、ソキを嫁がせる為に、ここではないどこかへ送り出す為に、そこで幸せになってっていっしょけんめ、してくれたですのに。ソキはね、ずっとね、ロゼアちゃんがね。すき。
すきだったの。いちばんに好きなの。あいしてるの。ずっと、ずぅっと、ロゼアちゃんのものになりたかったの。ろぜあちゃん。そきは、ずっとずっと。あなたを。あなただけを。あいしてる。
ソキは、ロゼアちゃんの花嫁さんに、なりたかったです。だれかのじゃなくて。ロゼアちゃんの、が、よかった、です。
おれもだよ、とロゼアが笑ってくれたような気がした。泣いていたのかも知れない。おれもだよ、ソキ。あいしてるよ。ソキを、ソキだけを、愛してる。離したくなんてなかった。離したくなんて。
ロゼアの腕がソキの体を寝台に横たえる。熱を宿すようにてのひらが頬を撫でる。視線を重ねて、額が触れ合った。くちびるに熱が宿る。一度目は夢のように。二度、三度と繰り返されて。冷えた体を温めるように、てのひらが触れて行く。
つながって、ひとつになって、ロゼアが囁く。これでソキはおれのもの。それでおれは、ソキのものだよ。だいじょうぶ。ずっとずっと、一緒にいような。ずっと、傍に。離れないよ。離さないよ。
だから。だから、ソキ。ソキ、ソキ。かわいいかわいい、おれのソキ。だから、おれと。一緒に、生きよう。
ひとつのものみたいに。ひとつの命みたいに。離されないで、離れないで。ずっとずっと一緒に。一緒に生きよう。
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