ささめき、よすがら、そして未来と引き換えに 25


 一度口ごもってから、それについてほぼ黙秘を貫いていた砂漠の王宮魔術師にしてメーシャの担当教員であるラティが、呻くように三人だけど、と言葉を引きついだ。

「もうひとりには……どうしても、担当教員を決められなかったのよ」

「へ? なにそれ」

「……その子は、砂漠の花嫁、だった。シークが誘拐して壊した、被害者の」

 強く。感情を抑え込む為に組み合わされて握られた手が、白く震えている。

「助けることは出来たの、生きてる、っていう意味でね。でも、その子は壊されてしまった……高い熱と、体調不良。寝ていても起きていてもずっと咳をするし、全身には痛みが走る。起きることはおろか、立ち上がることもできない。ずっと寝台に伏せてる。……その、体調不良の原因が、制御できない魔力の暴走。暴走、までは行かないかな。ずっと、ソキちゃんの体の中を、ゆっくりゆっくり巡ってるだけだもの。……魔術師として目覚めてしまうまでは、それでも、熱が引いて起き上がれる日もあったと聞くけど、案内妖精が迎えに行ってからは、もう……」

 身体が、魔術師、という己の存在そのものに耐えきれていないのだという。少女は学園の一室で眠り、本当に時々目を覚ますだけで、それだけで、ただか細い生を繋いでいるのだった。

 本人の意識があまりにハッキリしないので、適性検査も、属性すら判明していない。当然、担当教員をつけることも叶わない。迎えに行った案内妖精は、眉を寄せて吐き捨てたのだという。

 この子は長く生きられないわ。それでも魔術師として『学園』に連れて行かなければいけないの。ここでゆるやかに看取ってやることはできないのか、と問うた妖精に、それを否定したのはほかならぬ本人だった。

 それは、否定よりも強い感情だったのかも知れない。

 離さないで、と泣き叫んで、少女は己を抱き上げていた少年にすがりついたのだという。

 離さないで、離れないで。ロゼアちゃんが行くならソキもいく。どこへだって行く。いいこにしてるですから、おじゃましないですから、ソキをつれてって。お願いお願いロゼアちゃん。ソキを。一緒に。

 うん、と少年は頷き、少女を柔らかく抱きしめた。うん、一緒にいるよ。離さないし、離れない。ずっと、ずぅっと、一緒だよ。少女の名を、ソキ。シークの誘拐した『砂漠の花嫁』その当人。少年の名を、ロゼア。

 『砂漠の花嫁』の傍付きにして、誘拐事件に巻き込まれたもうひとり。チェチェリアの担当する、太陽属性の黒魔術師だった。

「とても素直な……魔術師としての成長も、安定も、ずば抜けてはやく、優秀な……座学も実技も、これ以上なく、優秀な……落ち着いた、穏やかな、少年……青年、で、あると、思う」

 ただ、と言葉に迷いながら、チェチェリアは言った。

「ソキが……今はまた落ち着いたが、ソキの体調が一度、悪くなったことがあった。昏睡して、衰弱、した、時に」

 一緒に死んでしまうかと思った、と恐れるような声で、チェチェリアは眉を寄せて囁いた。

「ずっと部屋から出てこなかった。鍵をかけて閉じこもって……どうにか合鍵であけた時、ロゼアはソキを膝の上に抱いて、撫でて、抱きしめていた。ウィッシュが……白雪のウィッシュだ。知ってるだろう? 彼の前歴は『砂漠の花婿』だ。どうもロゼアともソキとも顔見知りだったようで、緊急で呼び出されて一緒にいたんだが、その時に彼はふたりをみて……枯れかけてる、と言った」

「枯れかけてる?」

「『砂漠の花嫁』の……あるいは花婿の、死をさす言葉だそうだ。花は枯れる。そして彼はこう言った。本来、一度枯れかけてしまった花がよみがえることはないのだと。ソキは……『あの状態の花嫁から、傍付きを離すと、駄目だよ。すぐ枯れちゃう。離すっていうのはほんとに物理的にね。離れると駄目だから、しばらくロゼアをあのままにしておいてあげて』と」

 お願いだよ、チェチェリア。そっとしておいてあげて、と。うつくしい青年はチェチェリアの両手を握り、すがるように、懇願するように囁いた。じゃないとソキは枯れちゃう。扉も閉じておかないと。

 ひとの気配がソキに負担になるんだよ。だからロゼアは閉じてた。お屋敷だと、ほんとに枯れかけないと許されないことでも、しないともう耐えられないって判断したからだよ。おねがい、ソキを枯れさせないで。

 掠れた声の願いを聞き届け、扉が閉じられて、数日後。ロゼアはお騒がせして申し訳ございません、と部屋から出てきて、チェチェリアに頭を下げた。

 もう大丈夫なのか、とためらいがちに問うチェチェリアに、ロゼアは甘く微笑み眠らせてきましたから、と言って授業を受けて。終了と共に、その部屋へ駆け戻って行った。

 座学の合間に、実技授業の終わりに、ロゼアは今でもそうしているのだという。そういう風であるからロゼアの交友関係は狭く、親しいのも同じ新入生の二人くらいであるとも、チェチェリアは言った。

 その二人がどうにか、孤立してしまいそうなロゼアと周囲の橋渡し役として、また支えとして頑張ってくれている。ロゼアも排他的な性格ではないから、時間はかかるが、ほどなく周囲ともなじむだろう。

 問題はソキの方だ、と学園に関わる魔術師、四人が意見を一致させて息を吐く。そんな風だから、ソキは一度も部屋から出たことがない。暖められた空気がゆるゆると循環する部屋の中、ただ伏せて、眠っているだけだ。

 周囲に興味のない一部の生徒は、新入生が三人だと思っている。ロリエスはそれでなんで学園が落ち着いてるって言えちゃったの、とうめくエノーラに、花舞の黒魔術師は微笑んで告げた。

「過度な問題が、起きていないからだよ」

 ソキのことにしても、ロゼアのことにしても、個人の事情で片付けられなくはない範囲である。私たちがいた時のような、あの懐かしくも厭わしい空気は、今の学園にはないのだと。囁き告げるロリエスに、パルウェたちも同意して。レディがそう、と呟いたのを最後に、新しい言葉は落とされず。

 そのまま、茶会は解散となった。




 暖められた空気が、微笑むように身じろぎをする。羽根で頬をくすぐられるようなあまい感覚に、ソキはぎこちなく瞼を押し上げた。のた、のた、まばたきをして、怖々と息を吸い込む。

 信じられないくらい調子が良いのか、喉も肺もどこも軋まず、痛まず、咳き込むことはなかった。けれども寝台に伏せた体を起こすことがどうしてもできない。ん、んぅ、とむずがって、なんとかころり、とねがえりをする。

 はぁ、と大きく息を吐き出すと、窓を開けて空気を入れ替えていたロゼアが、勢いよく振り返った。

「ソキ」

「ろぜあちゃん……」

「ソキ、ソキ。……顔色がいいな。調子がいい?」

 すぐに寝台に乗りあげてきたロゼアの両腕が、ソキに伸ばされてその体を抱き上げる。あたたかな手は頬に触れ、首筋に押し当てられ、耳を撫でてくすくすと笑いながら額が重ねられた。

 ロゼアがあんまり幸せそうなので、ソキもうれしくて、くちびるを緩める。

「ロゼアちゃん。ソキね、きょう、お体、いたく、ないんですよ。咳もね、でないです。えらい? えらい?」

「えらいよ。すごいな、ソキ。いいこだな」

「でしょおおぉ……!」

 震えるように。窓の外では葉が風にこすれる音がしていた。緑と、水と、土の匂いがする。森の中みたい、とソキは思った。この『学園』は森の中にひっそりと眠る古城のように、豊かな緑に囲まれているのだと聞く。

 うつくしい花が咲き乱れる園も、とうめいな水が満ちる泉も、その森の中にはあるのだと。朝早く出歩く者もいるのだろう。風に乗っていくつもの囁きが聞こえてきた。それは随分久しぶりに触れる、他者の気配だった。

 ざわざわとして不調を積み重ねていく、騒々しさとは違う。やさしいひとのざわめきと、生きている、気配。

「……ねえねえ、ロゼアちゃん」

「うん?」

 そっとソキの体を寝台に横たえながら、ロゼアもその隣に寝転がってくれた。朝食や、授業まではまだ時間があるので、ソキと一緒にいてくれるつもりなのだろう。朝食も可能な限り、ロゼアは部屋で食べてくれる。

 ソキでも口にできそうなものを選んで、一緒に、食べてくれるのだ。うふふ、と淡く笑いながら、ソキはロゼアの首筋に、頬をぴとっとくっつけながら聞いた。

「がくえん、ってどんなところですか? じゅぎょう、って、ロゼアちゃんが、ソキに教えてくれた、きょーいく、とは、ちがうです? じつぎって、んと……んと、閨教育、の、ああいうの、とは、ちがう……? どんなひとが、いるです? まじゅつしの、たまごさんって、いうのは……」

「ソキ」

「こわ……こわく、ないです? いたいこと、しない? ロゼアちゃん、ろぜあちゃんは、いたいこと、されない……?」

 涙ぐみ、震えながら問うソキを守るようにかたく胸に抱きよせ、ロゼアはされないよ、と囁き告げた。大丈夫。怖いことも、痛いこともないよ。皆、優しいよ。ひどいことは誰もしない。

 だから大丈夫だよ、ソキ。ソキ。震えて怯えるソキを宥めるように撫で、ロゼアは幾度も囁いた。誘拐された先でなにをされたか、ソキは多くを語らない。たくさんの言葉を発するだけの体力すら、保護された当時はなかったからだ。

 ロゼアもそれを知らない。けれども、ただ。瞼の裏にその光景が焼きついている。ようやっと辿りついたあの部屋で、くらやみのなかで、ソキは。魔力の水器を砕かれ、壊されきって、その激痛に、衝撃に、息だえる寸前だった。

 もうすこしキミがはやく辿りつけば、間に合ったのかもしれないネェ、と嘲笑うように。告げた男に、ロゼアは熱の刃を叩きつけた。それは暴走ではなく。目覚めたばかりの魔術師として、それでも制御しきった力の流れ。熱の刃だった。

 彼の男はそれでも、一命をとりとめ、幽閉されていると聞く。その男の名も、姿も、どうしてかロゼアは、うまく思い出せはしないのだけれど。塗りつぶされてしまったかのように。

 きちんと書きとめておいた言葉が、ぐしゃぐしゃに塗りつぶされてしまったかのように。思い出せないままで、いるのだけれど。ソキも、恐らくはそうなのだろう。

 魔術師に対しての強い恐怖だけを焼きつけられたまま、思い出したかのように怯え、ロゼアの身を案じるのだ。

 大丈夫だよ、と囁きながら、ロゼアはソキの髪をいとおしげになでた。

「……すこし眠ろうな、ソキ」

「うん……。うん、ロゼアちゃん。いる? ソキのおそばに、いるです?」

「いるよ」

 ずっといる、とロゼアは言った。ずっと、ずぅっと、ソキの傍にいるよ。離れないよ。ソキは心から幸せそうに微笑んで目を閉じ、ゆっくりと深く、息を吸い込んだ。夢をみることはなく。ただ、あたたかな眠りに、守られて沈んだ。

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