ささめき、よすがら、そして未来と引き換えに 23


「ね、どこか分かりやすい場所で待ってるから、終わったら帰る前に声をかけて?」

 じつはラティとチェチェリアと待ちあわせをしていて、もしかしたらパルウェも来るって。だからいっしょにお茶でもしましょう、と微笑む、その集いになんで最初から声をかけられていたのかと落ち込みかけ、エノーラは思わず、あ、と呟いた。

 そういえばラティからなにか手紙が来ていたような気がしたのだが。うっかり実験中に火で燃やしてしまい、声にならない叫びをあげて罪悪感にばたばた暴れたのは、つい昨日のことだった。

 あれもしかしてそのお誘いの手紙だったりしたのだろうか。エノーラのうっかりを、レディはすっかり見抜いているのだろう。くすくす笑いながら、慰めるように肩に手が置かれた。

「ラティはそんなことくらいじゃ怒らないわよ。エノーラも、時々うっかり放火魔になるのは、皆知っていることなのだし」

「ちょっと、放火魔とか言わないでちょうだい……!」

「うん、うん。……ふふ、じゃあ、待ってるから。待ってるからね、エノーラ」

 浮足立って楽しみにしている、にしては切実な響きで囁き落として。レディはまたあとで、と言ってエノーラが来た道を歩き去っていく。ええ、と振り返らず、言葉にはせず、エノーラは振り返ることなく頷いた。

 大丈夫よ、分かっている。情に負けて連れ出したりなんか、しないわよ。大丈夫。そんなことは。しない。ぐ、と手を握り締めて息を吐き、エノーラは歩みを再開した。廊下の突き当たりはすぐそこにある。

 その先の一室に。そこから出ることを許されず、リトリアが今日も、歌っている筈だった。食事と、睡眠。その他の生理現象。それをしているほんのわずかな時をのぞいて、リトリアは『棺』に封じられて以来、ずっと歌をうたい続けている。

 童謡であったり、流行歌であったり、恋歌であった。実に様々な歌を、リトリアはずっと、ずっと歌っている。

 リトリアの歌は祝福を帯びる。魔力を灯らせなくともそれは心地よく響いて行く。なぜリトリアがそうして歌っているのか、誰も知らない。五王に問われても、リトリアは微笑むばかりで答えなかったからだ。ただ、ずっと歌っている。

 扉の前まで来ると聞こえてくる旋律に、エノーラは深く息を吐いた。それは耳に心地よく、聞いていて悪くない気分にはなるものなのだけれど。あいたい、と泣くことをやめて。あわせて、と願い続けることをやめて。

 そこへ、どんな想いをこめているのか。その感情が、なんなのか。エノーラにも分からない。歌声が響いている。ずっとずっと、途切れることはなく。『棺』で少女は歌っている。それを、きっと。あのふたりは、知らない。




 その部屋を訪れるたび、エノーラはいつもなにもない、と思う。寝台と、書きもの机と椅子と、本棚と。生活に必要なものだけ、ほんの最低限だけが置かれた部屋だと、そう思う。

 広々としたつくりの、天井も高くつくられた部屋であるから奇妙な閉鎖感こそないものの、窓はなく、空気はかけられた魔術によってのみ緩やかに循環する、風の訪れのない部屋。

 純粋な白ではなく、目に優しい穏やかな風合いに染め抜かれた空間に、リトリアがいた。書きもの机の前に置かれた椅子に座り、目を閉じて歌をうたっている。

 エノーラの訪れに気がついていないようにも、分かっていて目を開こうとしていないようにも、見えた。とうめいに空気を震わせる歌声が、一曲を終えてしまうまで、リトリアは目を開かない。

 やがて、ふつり、と旋律が途切れる。夢からさめるように。リトリアはふるりと睫毛を震わせて、その瞼を押し上げた。ぱちぱち、眩しげに瞬きがされる。

 レディがいた間は歌っていなかっただろうから、目を閉じていたのはそう長い間でもないのだろうが、そうするのが随分と久しぶりのことなのだと、苦心するような仕草だった。

 リトリアは瞬きとは裏腹な、身軽く椅子から立ち上がると、嬉しそうに笑ってエノーラに駆け寄ってくる。

「エノーラ! こんにちは……! 元気にしていた? 変わりはない?」

 腕にじゃれるくように抱きついてくるリトリアを受け止め、エノーラはぽんぽん、と背を落ち着かせるように撫でてやった。この部屋に閉じ込められてから、リトリアはこうして触れてくることが多くなった。

 ふれあいを拒絶していた『学園』での日々が嘘のように。嬉しげにはしゃぐリトリアに笑い返してやりながら、エノーラはいえ、と内心を否定した。確かに積極的に触れてくることが多くなっただけで、やはりリトリアはその肌に熱を触れさせないでいる。

 抱きつくのも、撫でられるのもごく慎重に、直の触れあいを避けているままだ。それでもすり寄ってくるのは、さびしくて苦しくて、つらくて仕方がないからだろう。

 ストルとツフィアはリトリアに、触れ合うよろこびと安堵を教えた。そして永遠に引き離された。その空白を誰かで埋める気など、リトリアには無いに違いないのだけれど。抱きしめて、とその瞳が訴えている。

 お願い、お傍にいさせて。離さないで、離れないで、傍にいていなくならないでお願いお願い。お願い。ストルさん。ツフィア、と。花色の瞳が、その混乱と恐怖を拭い去れないのを自覚しないまま、ぐしゃぐしゃに歪んで、エノーラにずっと訴えている。

 エノーラは震えそうになる指先を一度強く握り、開き、息を吸い込んでから、もう一度リトリアの背を撫で下ろしてやった。

「エノーラ、エノーラ……ね、ね。おはなし、して?」

 それでも一度も、リトリアは呼びかける名前を間違えることなく。あまくねだってエノーラに囁き、首を傾げながら椅子に座り直すのが常だった。

「ストルさんのおはなし、して? ストルさん、元気……? 怪我をしていない? お仕事はどんな風にしているの? かわりは、ない? ……また、閉じ込められちゃったり……監視、とか、されたり……嫌なことは、ない? ストルさんは、どうしているの……?」

 繰り返されてきた問いだった。リトリアは必ず、ストルのことを聞きたがる。エノーラは椅子を引き寄せてそこに腰かけながら、息を吸い込んで、言葉をえらんだ。

「……ストルに、特に変わりはないと思うわ」

「ほんと?」

「ええ。風邪をひいたとも、怪我をしたとも聞いていないし……ようやく、楽音にも馴染んで来たと誰かに聞いたけれど。最近は大人しくもしているみたいで、監視もとかれたし……このまま、なにも問題を起さなければ、定期的な呼び出しと聴取くらいで、監視が戻されることもないと思うわ」

 楽音の王宮魔術師として『学園』から外に出されたストルのことに、エノーラは特に詳しいというわけではない。同僚でないにしては、よく知っている、程度にしか情報が伝わって来ないからだ。

 ストルは殆ど内定していた星降の国の王宮魔術師の立場から、どういった都合あってのことか、楽音のそれに変更させられた。

 占星術師としての能力をひときわ開花させやすい彼の国に、いさせるわけにはいかなかったのかとも思うが、エノーラには分からないことだった。ストルの近況は秘されている。

 楽音の者にしつこく問い合わせなければ、とりあえず生きている、くらいしか手ごたえを得られないくらいには。

 監視がとかれたというのも、楽音の王宮魔術師経由の情報ではない。白雪の女王がそっと耳打ちしてくれたからこそ得られた吉報だった。風邪はひいてない、怪我をしていない。

 大人しくしている、健康かどうかという意味合いであれば、元気にはしている。そんな他愛のない情報を得ることすら、大変な苦労が必要だった。楽音の陛下の厳命が下され、ストルの近況はその国の外に持ち出せない。

 それを許されていないのだ。咎められない、子供だましのような情報であっても、楽音の王宮魔術師たちがそれをエノーラに教えてくれたのは、錬金術師の口からそれがリトリアに伝わると知っていたからだ。

 リトリアが求めているからこそ、エノーラが問うのを理解しているからだ。

 リトリアの居場所を知り、面会できる魔術師はこの世に三人。魔法使いであるレディとフィオーレ。そして魔力を封じ、その定期的な管理が必要であるが故にそれを許されたエノーラ。たった三人だけだった。

「ストルさんは……」

 ほんの些細な言葉を。それでも宝物のように慈しみ、安堵して微笑んで。リトリアは、歌うように囁いた。

「ストルさんは、大丈夫。問題、なんて、起さないもの……」

「……そうかしら」

 リトリアがある日突然寮から姿を消し、拘束されたという話を掴んだ瞬間、砂漠の王宮に乗りこんで奪還する為の手段を、ためらわず実行しようとしたような男が。このままずっと大人しくしてくれるとは、エノーラには思えなかった。どうしても、どうしても、思えなかったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る