ささめき、よすがら、そして未来と引き換えに 17

 学園を卒業した魔術師が一般人に害を成すということは、本来ありえず、なによりあってはいけないことだった。それを成さない為に、魔術師たちは未熟なうちに『中間区』に閉じ込められ、ごく慎重に整えられ磨きあげられていくのだ。

 己を召抱える王たちへの絶対的な忠誠と、魔力を持たぬ者たちへの献身にも似た敬愛。王宮魔術師とは誰もがその国の王の僕であり、施政者が愛する国に住まう者へ恵みを与える者たちだ。そうであるべきだ。その筈であったのだ。

 事件を聞いた王宮魔術師の誰もが、反射的な吐き気すら伴いながら、まず一度はこう叫んだのだと言う。ありえない、と。

 それはシークという人物が、そのような事件を成しとげえないという否定では、なく。彼らに施された教育、培われた思想、そしてなにより己の国民を思う王への敬愛が、どうしても一度は事件そのものの発生を魔術師たちに拒絶させたのだ。

 私たちは絶対にそんなことができない。できる筈もない。私の忠誠を捧げた、俺の献身を捧げた、たった一人の王。我が陛下。あなたさまが愛し守り抱く民に、わたしたちは絶対にそんなことができない。できる筈がない。

 たとえそれが狂気の末のご命令であったとしても。あなたの愛を傷つけ惑わし害すことなど、わたしたちにはできる筈がない。信じてと懇願するような、泣き叫ぶような、否定であったのだという。

 事件の仔細がじわじわと伝わっていくにつれ、特に混乱したのは砂漠を母国として持つ王宮魔術師だった。シークが惑わしたのは『花嫁』であるという。『砂漠の花嫁』。

 不毛の土地にその身をもって祝福を、恵みを、幸いをもたらす、うつくしくあいらしく脆い子ら。そのひとりが。王宮魔術師に。言葉魔術師に。囚われ、惑わされ、壊され、害された。

 『砂漠の花嫁』とは、砂漠を母国に持つ者たちにとって聖域に等しい。こころの、一番やわらかで、きれいで、透き通る。一番うつくしい思い出が眠るのと同じ場所に、彼らはその存在を捧げ置く。

 己が膝をおり頭を下げる王とはまた別に。砂漠の者たちは『花嫁』に、あるいは『花婿』に感謝と共に心を捧げ、祝福を織り祈るのだ。

 それはきよらかな湧水に捧ぐ感謝の気持ちに似ている。恵みの雨に、雲間から射す金色のひかりに。風にそよぐ花に向ける憧憬、冷え切った指先をあたためていく火の熱。くらやみに柔らかく灯る灯篭。きらきらと瞬く星明り。

 うつくしいもの。あこがれ。世界を愛おしく思う。願いにも似た感情を、砂漠出身者は『花嫁』に対して想うのだ。だからこそ彼らは二重の意味で否定した。わたしたちにそんなこと、ぜったいに、できるはずがない。

 学園を卒業した王宮魔術師が。私たちの、ただひたすらきよらかでうつくしく無垢で柔らかな、想い。そのもののような、存在に。そんなことができるはずがないのだと。彼らは泣き叫び、否定した。

 けれども覆せぬ事実として、シークは『砂漠の花嫁』を連れ去ったのだ。

 事件が解決するまで、かかった時間は七日間。それと同じだけの時間が経過しても、王宮魔術師たちの動揺は収まらず、それは当たり前のように学園にも伝染した。学園にまで届く情報は、そう多いものではない。

 それでも砂漠の国の王宮魔術師が、言葉魔術師が。シークが、『砂漠の花嫁』を惑わしたのだという事実はどうしても響き。そして、ひとつの出来事が、その響きを研ぎ不穏なものに仕立てあげていた。

 シークが一番最後に接触し、言葉を交わしたのは学園の魔術師。予知魔術師。リトリアである。リトリアは事件が発生し、シークが容疑者であると断じられてすぐ、砂漠の王宮に呼び出されていた。

 シークの居場所を知らないか、最後に交わした言葉は。どんなことでもいい。手掛かりになりそうなことを知らないかと。向けられる言葉に、リトリアはただ首を横に振ることしかできなかった。

 リトリアはそのまま、七日間、砂漠の王宮に留め置かれた。学園に帰ることは許されず。学園の、誰と連絡を取ることも許されず。一日目、二日目はひたすら懇願めいた言葉に分からないと告げ、三日目からは部屋から出ることを許されなくなった。

 呼び出され、繰り返し繰り返し、リトリアは問い正された。最後の会話は。なにを話したのか。なにか予兆めいた言葉を告げられなかったのか。

 シークの目的は。居場所を知りはしないのか。リトリアはただ、それに、分からないと告げた。分からない。

 シークさんがなにを考えていたのか、どうしてそんなことをしたのか、どこにいるのか、いまなにをしているのか。どうして、それを、わたしがしっていると、おもうのか。

 わからない。なにも、なにもわからないの。しらないの。だからおねがい。ねえおねがい。おねがいおねがい、かえして。わたしをかえして。すとるさんと、つふぃあのところに。おねがいだからわたしをかえして。

 だめだというなら、せめて。ここにいるっておしえて。リトリアは真夜中に起こされ、人目を避けて砂漠の王宮まで連れてこられた。寮長はリトリアがどこにいるのかを知っているが、それを告げてはならぬと厳命されているのだという。

 伝えることは叶わないだろう。

 ねむい目をこすりながら歩いた廊下はひどく静まり返っていて、夜遅くまで書きもの机に灯りをともしていたツフィアの部屋からは物音もせず、ストルは談話室から部屋へひきあげたあとで、リトリアはふたりの顔を見ることすら叶わなかった。

 四日目から、リトリアはただただ泣いて訴えた。かえして。おねがい、かえして。ストルさんとツフィアに会いたい。会いたいの。ねえ会いたいの。かえして、かえして、おねがいかえして。わたしを学園へ。

 わたしを。ふたりのところに。ストルさんとツフィアのところに。かえして。それは出来ない、と誰かがリトリアに囁き告げた。あの言葉魔術師が捕らえられるまで。この事件が終わってしまうまで。リトリアが。

 予知魔術師が。奇跡を願い起すことのできる術者である、君が。本当の、本当に、この事件に、彼のたくらみに、なにも関わらず。なにも知らず、なにもしていなかったのだと、証明できるまで。誰もが納得してしまうまで。どこへも行かすことはできない。

 鍵のかけられた部屋の中で、リトリアはお願い、と訴え続けた。

「おねがい……!」

 なにを、だれに、願っているのか。願っていたのかも、分からなくなるくらい。喉が枯れて声が掠れて咳き込んで血をはいて熱を出してしまうくらい、泣いて泣いて訴えて。それでも。部屋の扉は鍵をかけられたまま、ひらかれることがなく。七日間が過ぎ。けれども、そのまま。リトリアは、囚われ続けた。




 記憶は。ひどくあいまいで、とぎれとぎれで、繋がっていてもその繋がりが、よく分からないほどの断片で。リトリアは部屋を出ることを許されなかった時のことを、思い出すことができないでいる。どれくらいの時間が巡っていたのか。

 その間、なにをしていたのか。眠って、目覚めて、また眠りについた記憶はあれど、起きていた間なにをしていたのかは分からないままだった。なにもしていなかったのかも知れない。なにをすることも、許されていなかったのかも知れない。

 閉ざされたきりの部屋に、訪ねてくる者がいたような気もするが、それが寂しさがみせた夢でなかった確証を、リトリアは持てないでいる。それでも、それはおそらく、夢幻であったのだ。

 その日。かしりと音を立てて鍵がひらいた。その音を。リトリアはほんとうに、ひさしぶりに、聞いたと思った。

「……気分はどう?」

 やわらかな印象の苦笑を浮かべて。リトリアにそう問うたのは、砂漠の国の王宮魔術師だった。年の頃は三十の半ば。落ち着いた、穏やかな雰囲気の男である。砂漠の民特有の煮詰めた飴色の肌ではなく、よく日焼けした小麦色の肌をしていた。

 藍玉を砕いて染めたような髪と、眠りにつく砂漠の夜のような、落ち着いた黒色の瞳をしている。そのひとをリトリアは見たことがあるような気も、まったくの初対面であるような気も、した。

 名を問うことはためらわれた。元より、本当に初対面だとして、リトリアがそれを自ら問うことはひどく難しいのだが。

 部屋の、片隅に置かれた椅子に、ただ整えられ置き去りにされた人形のように座っていたリトリアを見つめ、男は戸口から踏み込まぬまま、もう一度、囁くようにそれを訪ねた。

「気分は、どう? ……俺の、言うことが、わかる?」

 こくん、と無言で頷きかけて。リトリアは慌てて息を吸い込んだ。随分と使っていなかったような気も、昨日も泣き叫んでは痛めてしまったような気もする喉が軋み、けふけふと咳き込んで行く。

 それをひどく痛ましそうに見つめて。男は、ただ、リトリアの返事を待った。部屋の入口と、そこから遠ざかるように奥に置かれた椅子の上。奇妙な空白と距離感で、ふたりの魔術師の視線が絡みあった。

「わかり、ます……」

 なんとか、落ち着いて、息を吸い込み。そこでリトリアは、男の名を思い出した。砂漠の国の王宮魔術師。王の側近と呼ばれる男。うつくしい宝石の名をもつ、水属性の黒魔術師。名を。

「ジェイドさん……」

 ふ、と微笑みを深めて。よくできましたと言わんばかり目を細め、男は一度、ゆっくりと頷いてくれた。

「すまなかったね。俺がもうすこしはやく戻って来られれば、ここまで長く、留め置くことはなかっただろう……リトリア」

 五ヶ国の王宮魔術師の中でも最も多忙、とされている男だった。砂漠の国内を巡回し、とある職務を遂行しているとのことだったが、詳細は伏せられて誰も知らないのだという。同僚である砂漠の王宮魔術師たちですら。

 なぜ一年に一度、数日も、ジェイドが城へ戻ることすら難しいのかを、知らない。リトリアは、ただその忙しさ故に、会えない相手だということだけを知っていた。だからこそ、なぜ、と思い、姿勢を正して返事をする。

 それほどまでに戻って来られない彼の魔術師が、なぜ、いまこの場にいて。王の傍ではなく、リトリアの所へ来ているのだろう。

「わたしに……どんな、ようじ、ですか……?」

「用事。うん……用事、というよりは、命令かな。君にどうしても……してもらわないといけないことがある」

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