ささめき、よすがら、そして未来と引き換えに 15


 随分と人が少なくなってしまったような気がするのは、リトリアと仲の良かった者たちが近年、相次いで卒業してしまったせいだった。

 パルウェだけは学園の事務方として就職した為に時折顔を見ることができるが、それでも生徒であった時のように談話室に顔を出したり、部屋に遊びに来てくれることはない。また、なにかと忙しいのだろう。

 廊下で顔を合わせても二言三言を交わすだけですぐに別れ、ストルと仲良くねぇ、と笑って手を振ってくれることが多かった。仲の良かったチェチェリアも、よく構ってくれたエノーラやラティも、すでに卒業してしまっている。

 王宮魔術師は誰もが多忙だ。ぽつぽつと交わされる手紙だけが、今もリトリアと、年上の女性たちをか細く繋いでくれる糸だった。

 なにかとリトリアを気にかけてくれたフィオーレも、卒業してしまってそう簡単には会えなくなった。ただ、なにかと手紙をくれるのでさびしい想いをしたことはないのだが。

 リトリアはチェチェリア、エノーラ、ラティにあてた手紙にしっかりと封をしたあと、それをフィオーレへ向けて書いた封筒の上にぽんと置き、さらに便箋を引き出してペンにインクをつけた。

 パルウェさんへ、と書きだす文字は未だたどたどしく、おせじにも綺麗とは言い難いが、読みにくくはない程度に整えられている。ゆっくり、一文字づつ、苦心して、丁寧に手紙を書き、リトリアはふうと息を吐き出した。

 中々会うことはできなくても。傍にいても、ゆっくりお話することが難しくても。

 今でもちゃんと大好きだと、告げて。病気をしていないか、怪我をしていないか心配して。忙しいことを案じて。

 楽しいことがありますように、笑っていてね、と祈りを。

 苦しいことがあったら一緒に考えさせて、素敵なことがあったらおしえてね、と囁くその手紙に、言葉に。忙しさに押しつぶされるように日々を送る王宮魔術師たちから、あるいはこの学園に散らばった者たちから、手紙が帰ってくる頻度はすくなくとも。

 リトリアの元に、必ずそれは戻ってくるのだ。二通に一通の返事であったり、あるいは五通に一通だったり。数ヶ月後であったり、半年後であったりするけれど。それは枕元に灯るささやかな火の熱にすら似て。

 魔術師たちをか細く繋ぎ、暖め、脚に力を込めてまっすぐに立ち上がらせている。

 パルウェにあてたものを書き終え、もう何通かを苦労して書き終え、リトリアはぐーっと腕を伸ばして椅子の上で脱力した。

「おつかれさま」

 くすくすくす、と笑いながら顔を覗き込むように囁いてくれたのは、顔見知りの一人だった。

 あまり言葉を交わすことは多くないのだが、誰とも分け隔てなく優しいその人柄がリトリアの警戒心もといてくれたので、わりと緊張せず話せる相手のひとりである。

 ユーニャさん、と呼ぶリトリアに、青年はゆるりと目を細めて微笑み、少女の前に暖かな茶を給仕してくれた。

「毎月のことだけど、頑張ってるね。また数が増えた?」

「はい。あんまり会えないから……パルウェさんとか、学園にいるひとにも、おてがみ、書くことにしたの」

「そう。みんな喜ぶと思うよ」

 年末年始が楽しみだね、とまだ半年以上先のことを気も早く笑いながら告げるユーニャに、リトリアはけれどもくすくすと笑い、幸せそうに頷いた。学園では授業が休みとなるその時期、王宮魔術師にも休みが与えられる。

 十日間から二週間の休みをどう使うかは個人の自由であるのだが、授業がなくとも寮へ留まり続けるリトリアに会いに、王宮魔術師たちが次々と姿を見せてくれるのがその時期なのである。

 チェチェリアも、ラティも、エノーラも、フィオーレも、誰も彼もが、皆。手紙と、ちょっとしたおみやげと、満面の笑みで、リトリア、と呼びながら談話室にかけ込んで来てくれるのだ。

 ただいま、元気にしていた、と。まるで家族のように。まるで、家に帰ってきたかのように。リトリアを抱きしめて、手紙をありがとう、と言ってくれる。そのことが、ほんとうに、しあわせだと思う。

 未だ先のことにうっとりと思いをはせながら、リトリアはでも、と期待に口元を緩ませる。

「来月のパーティでも、ちょっと会えたりするんじゃないかしら、って……思うんです」

「そうだね。毎年、護衛以外の王宮魔術師も、新入生の顔を見に来たりするし……うん、フィオーレは来るかもね。リトリアちゃんのダンスのお相手しに。リトリアちゃん、今年はまだパートナー、決めてないんだろ?」

「はい……」

 一月半後に控えた新入生の歓迎パーティーの準備で、学園はにわかに慌ただしい。新入生に対する告知は一月前に行われるが、それにまつわる準備はすでに進められている為だった。

 リトリアも当日の料理のメニューを考えたり決めたり、食材の手配をしたり準備をしたりとなにかと忙しいのだが、それはもう例年のことである。慣れたといえば慣れたことであり、心悩ますものではないのだった。

 ユーニャがくすくすと笑い、リトリアが眉を寄せてくちびるを尖らせた言葉のとおり、少女をすこしばかり困らせているのはダンスパートナーのことだった。

 新入生は自動的に案内妖精がエスコートを務めるので関係ないのだが、在校生はパーティーに参加するとなると、相手を自分で探してくる必要がある。

 ダンスをしなければエスコート役なくパートナーなくとも問題はないのだが、リトリアは踊りたいのである。やや引っ込み思案でひとみしりのけのあるリトリアが、ほぼ唯一積極的にしたい、と主張するものがこのパーティーでのダンスである。

 一昨年まではよかったのだ。リトリアが入学してからというものの、ずっとパートナーを務めてくれたフィオーレが在学していたし、去年はわざわざ休暇を取ってまで一日相手を勤めてくれた。

 今年も、休みは取れなかったものの、リトリアを踊らせに来てくれる、とは言っていたのだが。手紙で。

「決めては、いないんですけれど……」

 返事をしていない、というだけで。どうしよう、と恥ずかしげに頬を染めて困るリトリアの視線を追いかけ、ユーニャは笑みを深めてああ、と納得に頷いた。

 視線の先ではストルとツフィアが一つのテーブルを覗き込むようにして、延々となにかを言い争っている。かれこれ二時間程。

 リトリアが談話室に現れ、ふたりにかまってもらいたかったけど忙しそうだからおてがみ書くことにする、と一度部屋に戻って道具をとって来て書き始め、それが終わっても、まだ男と女は意見の合意をみせていないようだった。

 なにをそんなに考えているのかしら、と首を傾げるリトリアに、ユーニャは肩を震わせて、そのうち分かると思うよ、と言った。なにせ通りすがりに覗き込んだテーブルに置かれていたのは、少女向けのドレスのデザイン画であったので。

 あのうちのひとつが、今年のリトリアのドレスだ。もうすこししたらふたりにお茶を運んで行こう、と決意するリトリアに喜ぶと思うよと頷き、ユーニャは少女の顔を覗き込んで問う。

「それで。どっちに誘われたの?」

「……んと、ね」

 幸福そうに目をうるませ、赤らんだ頬に両手を押し当てながら。うっとりと響く声で、リトリアはユーニャに、こっそりと囁いた。

「ツフィアがエスコートしてくれて……ストルさんが、ダンス、踊ってくれないか、って」

「ふぅん? ……で、リトリアちゃんはなんて言ったの?」

「踊るのは……えっと、ストルさんだと、私、あの、どきどきしちゃって……うまく落ち着けないし、脚を踏んじゃうかもしれないから……」

 考えさせて下さい、と。お願いしたのだという。ああそれで数日前にストルがマジヘコみしてめずらしくツフィアに慰められていたんだ、としみじみと納得し、ユーニャはだってえぇ、と涙ぐむリトリアの頭を、ぽんぽんと撫でてやった。

 ストルが、じつは去年も誘うつもりでタイミングを逃して言えないまま、フィオーレと踊る姿を見ていたのをユーニャは知っていた。今年こそはと思っていたに違いない。というか遠回しに半分断られるとは思っていなかったに違いない。

 あのツフィアが慰めるくらいなのだ。ほぼ誰とも交流をせず、リトリアにだけはなにかと構う孤高の言葉魔術師。高嶺の花のような。あのツフィアが。

 ぷぷ、とストルのヘコみぐあいを思い出して笑いに肩を震わせ、ユーニャはこっそりと、でも一曲くらいはストルと踊ってあげてもいいんじゃないかな、と囁いた。

 嫌じゃないんでしょう、足を踏んだりしちゃうのが怖いだけなんだよね、と問うユーニャに、リトリアはこくりと頷いた。

「あのね、でも……でも、すごく緊張するんです。考えるだけで……どきどきしちゃうんです」

 はじめてなの、とリトリアは言った。ストルさんがダンスに誘ってくれるのも。もし、それをお受けしたとして。ストルさんと、踊るのも。

 どうしよう、と震える手を柔らかく握り、リトリアはけれどもそっと目を、幸福そうに細め、満ち足りた息を吐き出した。

「おんなのこ……だって……思ってくれてるの、かな。めんどうみる、ちいさいこ、じゃなくて」

「うん」

「一緒に……おどって、くれる、くらい。女の子に」

 嬉しいの。それがすごく嬉しい。しあわせなの。恋の至福にまどろみながら囁くリトリアに、ユーニャは優しく微笑みながら、うん、と静かに頷いてやった。きみは気が付いていないだろうけれど。

 ようやくすこし、表に出すくらいになっただけなのだけれど。ほんとうはもうずっと前から、きみはストルの、たったひとりの女の子なんだよ、と。笑みを深め。よかったね、と告げるユーニャに、リトリアはあどけなく、こくん、と頷いた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る