ささめき、よすがら、そして未来と引き換えに 14


 季節は巡っていく。誕生日を思い出せないリトリアの為に、学園に入学した夏至の日を境に祝いが贈られるようになり、もう数年が経過していた。初夏の風が肌を撫でていく爽やかな日。

 なないろ小路から戻ってきたリトリアは真新しい衣服を身にまとい、幸福そうな微笑みで、ツフィアの前でくるりと回ってみせた。繊細なレースが飾りに付けられたスカートの裾が、膝のすこし上でわずかばかり危なっかしくふわりと広がる。

「ツフィア、どう? どう……?」

 フリルやレースがたっぷり付けられた、愛らしいワンピースである。ほの甘い白い生地でつくられたそれは手触りもよさそうだった。まるっこい革靴も新品だろう。とてもよく似合っている。文句なく可愛い。

 スカートがやや短いことと、膝を隠しながらもふとももがちらりと覗く長さの靴下だけ気になるが。上から下までをじっくりと長め、ツフィアはふっと口元に笑みを浮かべ、もじもじと指先を擦り合わせて待つリトリアの目を覗き込んでやった。

 藤色の瞳が不安げに、ふるふると震えるさまがいとけなく、あいらしい。

「リトリア」

 思わず。だから本当に思わず手を伸ばして、頬に触れて撫でたのは、常にあるツフィアの決意が揺らいだ結果ではないのだ。断じて。決して。

 嬉しげに目をとろりと和ませ、ひかり滲むようにくすぐったく笑うリトリアに、ツフィアは心からの感想として告げる。

「よく似合っているわ。可愛いわよ」

「きゃ……!」

 褒められたことがあまりに嬉しく、安心もしたのだろう。悲鳴染みた声をあげて頬を赤らめたリトリアは、そのままツフィアに両腕を伸ばし、腹に顔を埋める形でぎゅぅと甘えて抱きついてくる。

 先日十三になったというのに、リトリアの感情表現はどこか幼いままである。書きもの机に向かっていた椅子ごと振り返ってリトリアを出迎えていたから、少女は床に両膝をつく形になっていた。

 せっかく綺麗な服を着ているのにこの子は、と溜息をつき、ツフィアはぽんぽんとリトリアの頭を軽く撫で叩き、ほら立ちなさい、と言い聞かせた。

 ぎゅうぅ、と腕に力を込めて甘えたあと、リトリアは比較的素直にはぁいと返事をし、立ち上がって膝のあたりを軽く手で払う。

 動きに従ってふわふわのスカートが愛らしく揺れ、ツフィアは無言で眉を寄せた。やっぱりちょっと短いのではないだろうかこのスカート丈。

 すこし動くとずり落ちてしまうらしい靴下を引きあげているリトリアに、ツフィアはうっすらとした嫌な予感を感じて口を開いた。

 リトリアの好みであるならまあ、下着が見えないように注意して膝をちゃんと揃えて椅子に座りなさい、膝の上にちゃんと手を置いておくのよ、と言い聞かせるくらいで好きにさせてやってもかまわないのだが。

 かわいいし、似合っているし、かわいいし、かわいいし、かわいいので。けれども。

「ねえ、リトリア?」

 談話室では新入生の歓迎会とリトリアの誕生祝いを兼ねて、ちょっとしたパーティーが開かれているのだという。ついでに昼食会にもしてしまえとのことで、正午前から階下はひどく賑やかだった。

 午前中になないろ小路に出かけ、パーティーに顔を出しておなかが寂しいのを落ち着かせたあと、どうしてもツフィアに見てもらいたかったの、と四階までこっそり戻ってきたリトリアは、また談話室に戻るつもりであるらしい。

 ツフィアも一緒に行こう、と誘いたくてでももじもじとためらっているのを知りながら、それを促してやることはなく。ツフィアは、ぱっと明るく笑ってなぁに、と首を傾げるリトリアに、やわらかく微笑んで首を傾げてやった。

「その服は、あなたが選んで買ってもらった……訳がないわよね……」

 問いかけの途中で絶望的な可能性のなさに気がつき、ツフィアは額に手を押し当てた。そんな筈がない。ないというか絶対にない。リトリアはきょとんと目を瞬かせたあと、えっとえっと、と赤らんだ頬に両手を押し当て、もじもじしながら呟いた。

「んとね。すとるさんがね」

「良いこだから今すぐ全部脱ぎなさいリトリア」

「えっ」

 先日。夏至の日。新入生に混じって、お誕生日おめでとう、の声を親しい上級生からかけられているリトリアを目を細めて眺めながら、あと二年か、とストルが呟いていたのをツフィアは知っているのである。

 あと二年がどうしたっていうのよ。あと二年したら成人だろう。そうね成人するわねだからそれがどうしたというの。成人までは待とうと思っているという話だがなにか問題でもあるのか。

 問題しかないに決まっているじゃないのというか二年と言ったわね二年はあなたなにもしないんでしょうねどうして視線を逸らしているのストル。いやちょっと。ちょっとってなに。

 ストルだからどうして視線を逸らしているのか私は聞いているのよ返事をなさい無視するのではなくっ、と言い争ったことを思い出し、ツフィアはえっえっと戸惑うリトリアの肩に手を乗せ、真剣な顔で言い聞かせた。

「いいから、今すぐ、その服を全部脱ぎなさい?」

 アタシ、男は狼なのよ気をつけなさい射程距離に入ったら一撃で確実にころしなさいってリトリアにちゃんと言ったんだけど、あの馬鹿困ったことにストルに対しての射程距離というものが存在していないのよね、とやや死んだ目で少女の案内妖精がいつぞやぐちっていたことを思い出し、ツフィアはずきずきと痛む頭にぐっと息をのみ込んだ。

 リトリアは、すでに半分泣いているような表情で、くすんと鼻をすすりあげている。

「どうして……? 似合うって言ってくれたのに……だめなの?」

「似合うわ。可愛いわ。かわいいわよ……!」

 でもストルが選んでそのスカート丈と靴下の長さの組み合わせであるというのなら、ツフィアは早急に手を打たなければならないのである。

 なにがあと二年だあの男。呪うぞとばかり舌打ちしたツフィアに、リトリアは嫌がるようにぎゅぅ、とスカートの裾を握り締めた。

「ストルさんも……かわいいって、言ってくれたのに……」

 だから問題なのだが。涙ぐんで落ち込むリトリアに溜息をつき、ツフィアは椅子から立ち上がると、その前にしゃがみこんで名前を呼んでやった。リトリア。

 やわらかく響くように心がけた言葉は、涙でいっぱいのリトリアの視線をツフィアへと向け、きゅぅと力のこめられたくちびるから、なぁに、と声を零れさせていく。

 ツフィアは微笑みながらリトリアに手を伸ばし、スカートを掴んでいた両手をそっと包みこんでやる。

「かわいいわ。本当よ」

「……うん」

「でも……すこし、スカートが短いのではないかしら。あなた、わりと走ったり、動き回ったり、するでしょう? だから、もうすこし、長めのにしましょうね。どうしてもこれがいいと言うのなら……タイツかしら……」

 これから冬になっていくのであれば問題ないのだが。この上から普段着ているローブをはおらせるにしても、ぱたぱたあっちへこっちへ走りまわるリトリアのそれは常にひらんひらんと動いているので、防御力としては心もとない。

 はぁい、と返事をしながらも、ストルさんからの誕生日ぷれぜんとだったのに、と落ち込むリトリアに、ツフィアは取り組んでいた課題を舌打ちと共に投げ捨てる決意をし、財布の中身を確認した。余裕はある。

 よし、と頷き、ツフィアはリトリアに囁きかけた。

「リトリア。その服を脱ぐと約束できたら、私と一緒に買い物に行きましょう」

「……おかいもの?」

「ええ。誕生日のお祝いに」

 私にも服を贈らせてちょうだい、と囁かれ、リトリアはきゃぁ、と歓声をあげる。ツフィアだいすきっ、と抱きついてくるリトリアを撫でながら、ツフィアは一度ぐっと堪えた後、どうしてもこぼれてしまったような囁きで、私もよ、と告げた。

 私も。あなたのことがとても大切なのよ、リトリア。囁きに、リトリアはうるんだ瞳で顔をぱっとあげ。しあわせそうに、うれしそうに、微笑んだ。今まさに咲き零れた。花のような、笑みだった。

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