終わってしまった時間の言葉。未来へ続く別離の物語。

ささめき、よすがら、そして未来と引き換えに

ささめき、よすがら、そして未来と引き換えに 01

 産声をあげたばかりのそれが私の中をぐちゃぐちゃに掻きまわし飛び退って行く。

 ばきりばきりと壊れる音は、私が世界から切り離される為のもの。

 最後のひとつが音を立てたと同時に意識が絶える。


 誰にも助けを求められないのに伸ばした指の先に、ひとり。

 名を呼びかけようとしたのか開いた唇が、言葉を知らず閉ざされる様を、見た。




 強い風に煽られ、花びらを散らす紫の花を幻視する。藤の花だ。声もなく音もなく、張り詰めた糸が切られたやわらかさで、そして唐突な動きで場に倒れこんだ幼子を見つめながら、ストルはただ茫然とそう思った。

 花だ。くたりと床に投げ出された腕は白く、細く、意識を失ったまま取り戻す気配もない。暴風に折られた枝のようだ。はー、とストルの横で長い息が吐き出される。疲労と安堵に満ちた吐息。

 視線を向ければ疲れたと言いたげに首をひねるフィオーレが、目をしぱしぱと瞬きさせている所だった。赤と桃の二色が不思議に混ざり合い、ゆらゆらと揺れる髪色に、くすんだ灰と緑の灯る瞳。

 この青年の方がよほど花を思わせる外見であるのに、ストルはそれを一瞬だけ、忘れていた。

「……どうしようかな」

 おびただしい魔力の名残で空気の肌触りをざらりとさせておきながら、昏睡もせずただ幾分、疲れたというだけの声色でフィオーレがあくびをする。

「とりあえず保健室かな。運んだげないと……ストル、あの子のこと抱っこしてくれる?」

「……かまわないが」

「が? うん? ……なに?」

 ふぁ、と浮かんだあくびをかみ殺し、普段より気の短い様子でフィオーレが言葉を促してくる。

 集まった者たちを、未だ茫然とする魔術師の卵、あるいは王宮魔術師たちをしっしとばかり指先の動きで散らしながら動き回る、その足取りはしっかりしていた。

「なぜ、自分で抱き上げようとしない」

「よく考えてものを言おうね、ストルちゃんはさぁ」

 まあ別にぃ、俺がそうしてあげることはぁ、まったく問題のないことなんですけどぉ、と不機嫌に語尾をゆらゆら上げながら、フィオーレは床にたたき落とされた紙束、砕かれた道具、壊れた椅子の残骸などをひょいひょい拾い上げ、あるいは足で部屋の隅に追いやりながストルに視線を向けてくる。

「魔力の暴走に至近距離で対応しちゃったのは俺なの。それで、つきっきりでなんとか魔力が、この部屋の外に漏れていかないように力ずくで抑え込んでたのも俺なの。そこんとこお分かり?」

「お前の魔力量が、いっそえげつないことが改めて分かった」

「褒めてくれてありがとう」

 暴走の源となる魔術師の意識を刈り取るのならばともかく、その魔力がとにかく枯渇するまで持久戦を挑むという芸当は、やろうと思ってできることではない。

 本当なら二人がかり、三人がかりでも負荷が大きく立ち上がれないくらいには消耗するようなことなのに、フィオーレは寝不足なのに全力ですごく走り回って疲れた、くらいの様子しか見せていなかった。

 魔術師の魔力量は、水の入った器の大きさとしてよく語られる。けれども、魔術師の中のほんの一握り。彗星のように現れる砂金のような存在、魔法使いと呼ばれる桁外れのそれらは、己の魔力を水の入った器で語らない。

 フィオーレは入学当初、己のそれを問われてこう言ったのだという。

 水源。滾々と水の湧き出す湖のほとり。枯れることはなく、絶えることもない。

「ともかく、そういうことだから。俺が直接触るのはいけないと思う」

「……フィオーレの魔力が、暴走の呼び水になった訳ではないだろうに」

「直接原因が俺かも知れないだろ?」

 にっこり笑うフィオーレは、つべこべ言わずはやく抱きあげてあげろよ、と言わんばかりに倒れ伏す幼子を見つめ、ストルに対して首を傾げた。

 で、やってくれるの、くれないの、はやく決めて駄目だったら他の気にしなさそうなひと呼んで来なきゃいけないんだからさぁ、とたしたし靴音を鳴らされ促されて、ストルは溜息をつきながら前へ歩み出た。

「というか、フィオーレ」

「うん?」

「お前、なにをしたんだ」

 自身が暴走の原因かも知れないと、軽口のような響きで告げるのなら、この青年には確かな心当たりというものがある筈だった。

 着ていた魔術師の卵の証、『学園』の生徒に共通して支給されるローブを脱ぎ、幼子に着せかけ、その布越しにようやっと抱きあげたストルに、うわぁ紳士と呆れの強い関心したまなざしを全力で投げつけながら、フィオーレはものを言わずに微笑した。

 ないしょ、ということだった。どうせろくでもないことに違いないので追及しないことにして、ストルは意識を失ったままの幼子を抱え、部屋を出かけて。

「フィオーレ」

「うん?」

「この子の名前は」

 名も知らぬ幼子、今日この夜に『学園』へ入学することとなった魔術師の卵の、そのあまりにちいさく、軽い体を腕に抱きながら問いかけた。フィオーレは目を伏せ、ささやくようにその名を告げる。

「……リトリア」

 紫の。風に揺れる藤の花のように響く、それが。

「予知魔術師だよ」

 運命なのだと、未だ知らず。そうか、と言って、ストルは身を翻した。




 旅の記憶は遠くにあり、入学許可証を受け取る以前のことを、リトリアは上手く思い出すことが出来ない。ただ、両親は幼子を喜んで手放し、二度と戻って来ないことを歓迎していた。その事実だけが心の中に残っている。

 リトリアを学園まで導いた案内妖精は、アンタの血縁にこんなことをするのはなんだけど呪うわというか気がついたら呪ってたわついウッカリ、と事後報告でそれを告げたが、幼子の心が大きく揺れ動くことはなかった。

 そうなの、と頷いて受け入れ、溜息をつかれたくらいだ。思い出せるのはいくつかの、切り取られた情景だけで、記憶とするにはどれもおぼろげだった。

 魔力の暴走で過度の負担がかかった結果、これまでの記憶というものが殆ど壊れてしまったらしいが、リトリアにはよく分からない。

 そうですか、と頷いたらものすごく心配された後に大丈夫だからなっと抱きしめられて、そちらの方が、動けなくなるくらい、声がでなくなるくらいに驚いた。

 かすれる霧の向こうにある記憶。思い出せる、ともつかずに思い浮かぶいくつかのことでは、不幸に育てられていたという気はしなかった。

 ただなんとなく遠巻きに育てられていて、手を繋いでもらうことや頭を撫でてもらうことはなく、両親というものから褒められた気がしないのが本当のところだった。

 入学許可証を受け取るほんの数日前に、七歳になったばかりの幼子を、手元から離すことを心から歓迎するくらいだ。

 顔も思い出せない、両親、という単語めいた認識しかできない存在にもしかして好かれていなかったというか嫌われていたかもしれないという可能性、事実は幼子の精神にそれなりの傷をつけたが、それだけで、それ以上のことにはならなかった。

 別に、それが、息をしていくのに、生きていくのに、必要でないとしたら、それ以上どうだというのか。

 告げられた言葉を思い出し、なんであのこあんなに達観してるの、と机に泣き伏して動かなくなったフィオーレをうっとおしげに眺め、ストルはともあれひとつ理由が分かったな、と息を吐いた。

 学園が新しい生徒を迎えて、数日になる。共に入学した者がそれなりに周囲に慣れ、溶け込みはじめているのとは裏腹に、リトリアはいつまで経っても毅然と孤立していた。

 初日に魔力暴走を引き起こした『予知魔術師』を、周りが一歩引いた目で見てしまっている、というのはあるだろう。怯えや、不安。困惑といった視線の先で、リトリアはひんやりと凍りついた無表情で佇み、そうされるのに慣れた態度で一日を過ごしていた。

 つまり、そういう環境で育てられた、ということなのだろう。手を差し伸べる者はおらず、視線と噂話だけが肌を撫でていく世界。寂しくはなかっただろうか。辛くはなかっただろうか。

 もしもそうなら思い出せないことは、幼子にもたらされた優しさなのかも知れなかった。

 ストルが幼子と言葉を交わすようになったのは、それから数日後のことだった。

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