そして焔と踊れ 12(終わり)
触れたいと。告げるその仕草を。信じたくて。リトリアは震える声で、ストルを呼んだ。泣きそうな響きで。たった一言。告げる。
「好き……」
ストルさんが。好き。囁くくちびるに、ストルはそっと口付けて笑う。
「ああ、そうだ。リトリア、もっと、ちゃんと、何度でも……俺のほしい言葉を紡いでくれ」
すき、と告げるくちびるに口付けながら。ストルは淡く息を繰り返すリトリアのあごを指先で上向かせた。は、と開くくちびるに、舌先を触れさせようとした、その瞬間だった。
廊下の彼方から聞こえてきた足音と共に、うわああああああっ、と裏返った二つの声が、二人の姿を見つけ出す。
「ストルちょっ、まっ……! うわあああああ! ちょ、まっ、ばっ! ストルそれはいけないと俺思うなああああああっ!」
「うわぁストルとリトリアちゃんだー。うふふ、やだもうストルったらー、ストルったらー……ストルったら……そうだ、星降に、帰ろう」
「終わったら帰ろうな! 終わったらっ……!」
やだもう帰る帰るそして私全ての記憶を失って寝る、と嫌がるレディを引っ張りながら全力疾走してきたフィオーレは、ふたりの目の前に火の魔法使いをぺいっとばかりに投げやると、こら、とストルに対して怒った。
「ストルちゃん! ちょっとそれはいけないと思うな! 廊下だし!」
「ちっ……ああ、そうだな。誰も来ない部屋の中ですべきだった。次回からそうする」
「ひいいいぃいいこれだから砂漠系男子は……!」
ああうんそれなら、と真顔で頷きかけるフィオーレの頭を全力で殴り倒し、なんで納得しかけてるのよこの馬鹿ああああっ、とレディが絶叫する。
その勢いで、レディは真っ赤な顔で動けなくなっていたリトリアを、ストルの腕のなかからひったくるようにして保護した。
あああもうリトリアちゃんは私が守ってあげなくっちゃストルからの監禁の危険とかそういうことからもっ、と決意するレディは、ふと鼻先を掠めた香りに目を瞬かせた。それは春のひかりに目覚めたばかりの、咲き初めの花の香りだった。
瑞々しいそれを数種類摘みあげて、腕に抱いているかのような錯覚さえある。幾度か瞬きをして、レディはリトリアを一人で立ちなおさせながら、不思議そうに首を傾げて問いかける。
「……リトリアちゃん、お花の匂いするね? シャンプーとかリンス……?」
あと私今ストルと目を合わせたら物理的に死ぬ気しかしてないからちょっとこっち見ないでくれる、と本気で嫌な顔をしながらも不思議そうに呟いたレディの声に、リトリアが顔を真っ赤にして首を振り、フィオーレは額に手を押し当てた。
なんだというんだ、と訝しむストルに、フィオーレもほんのりと頬を赤く染め、聞かないでやって、と呻くように囁く。
「今のリトリアには、どのみち、説明できないことだから……」
「……お前のせいで、な」
「はいはいすみません。そのことについては反省はしてるって何回も言っただろ?」
ただし、後悔はしてない、が後につく反省はしている、であるのだが。なぁにそれ、と眉を寄せるレディに、溜息をついて立ち上がりながらストルが簡単に説明していく。
リトリアの、学園に来るまでの記憶がないことはある程度有名な話だから知っていると思うが。
「魔力暴走が原因とされているが、厳密にいうと……暴走させたのがフィオーレだ。記憶が消えるように、暴走の方向を操作したのも」
「あ、分かった、分かった。とりあえず私は? フィオーレを? 焼き殺せば?」
「レディ目が本気ちょっと待って落ち着いて! 俺にもね! ちょっとね! 事情というものがあってねっ!」
うるさいわよとりあえず死になさいよと告げるレディの腕を、慌てふためいた仕草でリトリアがひっぱる。いいの、大丈夫なの、と声をかけられて、レディは訝しげにリトリアを見下ろした。
「いいの……? あ、そっかそっか。そうだよね。丸焼きより火あぶりだよね? いっけない」
「ちがうのちがうの……! えっと、えっと……あ、あっ! レディさん、そういえば、どうしてフィーと一緒なんですか? ふたりとも正装だから、なにかお仕事だったとか……?」
「立ち向かわなければいけない現実が! 憎い! 現実なんて燃え尽きてしまえばいいのよ……!」
だんっ、と壁に両手を打ちつけて嘆くレディの会話や行動に落ち着きというものはないが、それはそれ、いつものことである。
ストルは同僚であるからこそ、フィオーレは魔法使い同士であるからこそ、そしてリトリアは在学がややかぶっていたからこそ、それを知っていたし、慣れてもいた。
よかったいつものレディさんですね、と胸を撫で下ろすリトリアに向き直り、火の魔法使いはふ、と達観した笑みを浮かべた。
「リトリアちゃん……」
「はい……?」
「……ごめんね。もう決まってしまったの。私にも、あなたにも、覆せることではなかったの……」
苦しげに告げ、レディの手がリトリアの耳に伸ばされる。リトリアが反射的に逃げようとするよりもはやく、ぱちん、とその耳元で音がした。右の耳にだけ、白蓮の飾りが揺れるイヤリングがつけられた。
レディの左耳には、まったく同じ白蓮のイヤリングが揺れている。なに、と目を瞬かせるリトリアの、左手に指先が触れた。視線を向けるとフィオーレはごめんなと囁き、リトリアの左手を捧げるようにしてもった。
小指に、銀の指輪が通される。それはイヤリングと同じく、花開く白蓮の意趣が刻まれ。フィオーレの右の小指に通された指輪と、まったく同じものだった。
たった今、この時より。魔法使いの声が唱和する。
『世界を託されし五ヶ国の王の命を受けしわたくしたちが、かりそめの、あなたの剣であなたの盾』
「……え?」
『予知魔術師、リトリア。藤花の姫君たるあなたに、わたくしたちの守護と、やさしい眠りを捧げます』
すとん、とリトリアの前に片膝をつき、フィオーレは少女の左手を握り締めた。
「守るよ。どんな痛みからも、どんな傷からも。守ってみせるよ。……俺は、お前に用意されたかりそめの盾。お前がもし、ふたたび、望む時が巡るまでの……俺が、予知魔術師リトリアの、守護役」
「……私があなたの殺害役よ、リトリアちゃん。私が、あなたに用意されたかりそめの剣」
レディの手が伸ばされ、リトリアの耳元に触れる。そこで可憐に揺れる白蓮の花を、指先で撫でながら。
「守ってみせる。あなたを。あなたがもし、私を頼ってくれたなら……どんなものからでも、守ってあげる。助けてあげる」
「レディさん……」
「……でも、もし。私の力及ばぬ時は」
この世界があなたを殺してしまえ、と叫んだ時は。レディは指先を震えさせもせず、白い花飾りを手の中に隠した。
「私の腕の中であなたは目を閉じる。痛みもなく、悲しみもなく……一瞬であなたは眠る。これは誓いよ、予知魔術師。火の魔法使いと呼ばれる私から、予知魔術師としてのリトリアちゃんへ、捧げる誓い。……その時が訪れないことを祈るけれど、もしも、私があなたを眠らせる時が来たとしても、一瞬。かならず、一瞬で、あなたは眠りに落ちる。安らかで、しあわせな夢をあなたにあげる」
す、と息を吸い込み、レディは告げた。
「『夜に眠る花のようにあなたは閉じる。暖炉の前でまどろんだ、幸福な記憶と共に。私は必ずそれを贈る。あなたはただ、私の腕で目を閉じればいい。眠るように瞼を閉じ――そして、焔と踊れ。火に触れる花のごとく、一瞬であなたが消えていくよう』」
どうか、抵抗は、しないで、と。囁き告げるレディが、リトリアにつけた耳飾りからぱっと手を離す。白い花飾りは火の魔力を宿し、ほのあまく、赤い光を帯びていた。
砂漠の国の白魔法使い、フィオーレ。
星降の国の火の魔法使い、レディ。
二人が楽音の予知魔術師リトリアの、守護役と殺害役として決められてしまったのは。リトリアがまだ、保健室で眠る頃のことだった。冬の日、暖炉の前でまどろむ幸福な夢に。
しあわせを抱いていた時の、ことだった。
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