ささめき、よすがら、そして未来と引き換えに 02

 普段より幾分、星が騒がしい夜のことだった。その感覚を訴えたとて、同じ魔術師にさえそう通じるものではない。占星術師の中でも、特に過敏な者や、『耳が良い』とされる者など、ほんの一握りが感覚的にそれを知る。

 空気を震わせざわめく、その音ではない。声を張り上げ響かせる、その騒がしさではない。魔力そのもの、己の内側にあるそれが、ざわりと音を立てて星の声に同調する。

 ざわり、ざわり。ざわり、風に揺れる木の梢のように。揺れて、揺れて、不安定なまま満ちていく、不愉快な、それでいて胸一杯に空気を吸い込みたくなるような。言葉に出来ない響きを、魔術師の卵はただ、騒がしい、としか受け止められない。

 騒がしいとか煩いとか全然羨ましくないし夜に力いっぱい眠れるからちっとも妬ましくないしでも皆とりあえず柱の角とかっ、机の角とかにっ、めいっぱい足の小指をぶつけるようなことが一日四回くらいあればいいと言うというか積極的にぶつかっていくべきだと思うのよね私は今日も眠れるんだから眠れちゃうんだからふはははは羨ましがればいいわあああぁあそして全員睡眠不足になぁれっ、と涙声で叫んで寮の部屋へ走り去って行ったラティのことを思い出し、ストルはげっそりと息を吐きだした。

 明日には機嫌がよくなっていればいいのだが。去り際の捨て台詞はいっそ呪いめいていて、言葉にその魔力を乗せるだけの資質がラティにないと分かっていても、なんとなく心配になってくる。

 夜の森の散策を続けながら騒がしい星を仰ぎ見て、ストルは一応、念の為、呪いに効くとされている花を摘んで行こうと決めた。月の光で花開く白くちいさな花は、摘み取った者にささやかな祝福を与えるのだという。

 魔術師たちに伝わる御伽話。それが本当なのか分からないが、ラティの言葉であるならそうするのが相応しいと、ストルには思えた。ラティとて、本気で呪いたくて言っているのではないだろう。

 万一言葉がその性質を帯びて響いていたのだとすれば、白い花の守りがやわらかい解呪で防いだことは、きっとあの少女の慰めになる。

 花は、妖精たちの住む小高い丘と、学園のある森の境界付近に咲いていた。夜風が白い花びらをくるくると巻きあげ、満天の星空へ向かって投げ放っている。その、白い花が雨のように降り注ぐ先に。リトリアがぼんやりと座り込んでいた。

 ストルが存在に気がついたことに、リトリアも気がついたのだろう。振り返った幼子は一時だけストルを見つめ、やがてふいと逸らされた視線は星空へ戻ってしまう。声をかけることもできず、ストルはただその姿を見守った。

 どうしてこんな場所に、こんな時間に、ひとりきりで、どうして。言葉は、ぐるぐると渦を巻き、星のざわめきと共に降り積もって行く。ざわり、ざわり、声なき訴えに魔力が揺らされるのを感じながら、ストルはふと、その答えを拾い上げた。

 それは風に巻き上げられた白い花びらが地に落ちるのに似て、まるで気まぐれに理由などなく。天啓のように、ストルの手の中まで落ちてきた答えだった。ざくり、踏み出した足が土を踏む音が響く。

 かすかに肩を震わせたリトリアが、ふたたび振り向くのと、同時に。ストルは幼子の傍らに片膝をつき、その目を覗き込んでいた。

「聞こえるのか」

 花色の目だ、と思った。

「星の声が。……君は、聞こえるのか」

 まばたきを繰り返した瞳に、ゆっくりと涙がたまって行く。雫が頬を伝うまで見つめ、ストルは持っていたハンカチでリトリアの目元を拭ってやった。怯え、竦んだように体をちいさくして唇を閉ざすリトリアは、ストルの問いに答えない。

 それでも、不意に大きくざわめいた声に、反射的に耳を塞いだ幼子の仕草が、ストルと同じものを受け止めたのだと物語る。ストルですら一瞬の眩暈を感じたその声は、リトリアが『聞く』には大きすぎるものだったのだろう。

 体中を強張らせる姿が痛々しく、ストルは思わず、その腕を伸ばしていた。

「大丈夫だ」

 背をそっと引き寄せ、撫でてやる。驚きにまあるく見開かれた瞳が、あどけなくストルを見つめていた。

「大丈夫だ。……悪いものでは、ないから。この声は」

 馴染みのないものなら、すこし怖いかも知れないが。大丈夫だ。だから、泣かなくても、いい。ぎこちなく、たどたどしく言葉を繋げていくストルに、リトリアはこくん、と頷いて。

「……あの」

 おずおずと手を持ち上げ、肩のあたりの服を弱く、指先で摘んだ。

「おな、まえ……一度、見たことがある、けど、でも」

 しらないの。あなたの名前は。あなたは誰。告げる、その指先が白く震えていた。あどけなく、弱く響く声が、ささやく。

「あのね……おしえて……?」

 うすいとうめいな貝殻のような爪が、求めて、求めて、どこかへ向けられていたのを、あの時に見た。視線だけが重なり、呼ぶ声は言葉を知らず、ただ断ち切られて倒れこむのをストルは見ていた。

 その一度きりを覚えていた幼子の手が、ストルを繋ぎとめて震えている。助けを求めて伸ばされた先の。あの指先。

「……ストルだ」

 ああ。

「俺は、ストル」

 花だ。

「ストル、だ。……リトリア」

 あどけなく、開いたばかりの無垢な花だ。名を告げられ、嬉しげに笑うリトリアに、ストルは息がつまるような感覚でそう思った。




 誰も彼もがストルの背をひょいと覗き込み、微笑ましいとばかり笑み崩れて立ち去って行く。訪問者が十人を超えた所から数えるのを止めていたストルは、読んでいた本にしおりを挟み、ぱたりと閉じて溜息をついた。

 どうしてこうなったのか、考えを巡らせるが、結論など最初から分かっている。その存在に対して、なにか害のない、かつ効果的に精神を削るような呪いを発動させるべきか否かを真剣に悩んでいる所で、フィオーレがひょい、と談話室の扉から顔を覗かせた。

 視線は彷徨わずにストルを見つけ出し、ぶふぁっ、と耐えきれない様子で笑い声が響く。反省もしていなければ落ち着いてもいない元凶に、ストルはやわり、笑みを深めてみせた。

 よし、呪おう。

「なにに魔力を使うのも自由だとは思うけど」

 本気で決意したストルとフィオーレの視線上に体をねじこませるようにして現れ、エノーラはひょい、と占星術師の背を覗き込んで笑った。

「この至近距離で魔力が動けば、さすがに起きると思うわ?」

 また工房に籠っていたのだろう。天才と呼ばれる錬金術師の少女からは薬草の香りと、どこか金属的な油の匂いがした。

 よく寝てるね、可愛い、と珍しくも女っぽさを感じさせる表情で笑い、エノーラは呪いを取りやめてやったストルの、横顔をじっと見つめた。もの言いたげな、面白がる瞳。眉を寄せながら、ストルは低く、響かない声で問うた。

「……なんだ」

「あなたがどんな顔をしているのか、見に来たのよ」

 なにか変わったことでもあったのかしらって、と告げる錬金術師の表情は少女めいた好奇心とするより道具を作る職人の探究心のそれに近く、ストルから怒る気持ちを奪い去って行く。

 特になにも変わらないだろう、と呟くストルに一応は頷いて同意してやりながらも、エノーラは屈みこんでいた背を正し、凝り固まった腕をぐぅっと伸ばしながら告げた。

「だって、ストルが噂の新入生ちゃんを懐かせた、ってフィオーレが言うんだもの。気になって気になって。あなた、わざわざ人に関わりに行くような性格でもないし、小さな子の面倒を好んでするようにも思えないし……だから、どうしてこうなったのか聞いていい?」

 一応、ソファに座るストルの背と、ソファの背もたれの間の空間に入りこんでくうくう寝息を立てているリトリアを、起こさないようにはしているのだろう。

 ストルと同じくひそりしか響かない声音で楽しげに問いかけてくるエノーラは、楽しくて仕方がない様子だった。

 第一発見者にして事態を言いふらしているに違いないフィオーレは、また談話室の入り口からどこかへ去ってしまっていて、この様子では今日中に学園の誰もが知るに違いなかった。

 誰にも懐かず、懐こうとしなかった幼い少女、リトリアが、ストルに心を委ねている。

 その影に隠れるように。ひっそりと寝息を響かせている。

「……どうしてと言われてもな」

 ストルは己の背にちらりと視線を向けたのち、エノーラに向かって話しだす。

「談話室で本を読んでいたら、リトリアが来て」

「うん」

「朝だったので、おはよう、と声をかけたら、おはよう、と言ったので挨拶が出来るのは偉いな、と褒めて」

 エノーラは、この青年とそう長くはないが短くもない付き合いなので、ストルが礼儀正しくとも、さほど親しくない相手に自ら率先して挨拶をするような相手ではないことは知っている。

 まずなんで声をかけようと思ってそれを実行に移したのか、大事なのはそこからでしょうがあああぁあっ、と叫びだしたそうな顔つきで、エノーラはとにかく先を促した。

 それで、なんでソファとストルの間、狭い空間にリトリアがころりと寝ころび、丸くなってすうすう寝息を響かせているかに辿りつく為である。促され、ストルは記憶を探るように首を傾げた。

「リトリアも本を持っていたので、読むのかと思って。ここへおいで、と」

「……隣に呼んだの?」

「読書に、座る場所が必要だろう?」

 その時は陽あたりが読書には絶好だったんだと主張するストルに、エノーラはうんまあ私が聞きたいのはそこじゃないっていうかそれじゃないっていうか、どうしてそこでここへおいでとかそういう言葉がね、出てくるのかとかね、そういうことなんだけどね、と問いを投げつけてやりたい気持ちをぐっと我慢して、それで、と先を促した。

 それで、と幾分不思議そうに、ストルは言う。

「途中までは読んでいたみたいなんだが、眠たくなったんだろう。うとうとしだしたから、俺に寄りかかっていいからすこしお眠り、と言って」

「……う、うん。うん?」

 知っている単語なのに全く違う意味を乗せられている気がしてならない、つまるところなに言ってんのか理解できないから事細かに詳しく説明して欲しいんだけどあれちょっと待ってやっぱり説明してくれなくていい理解したくないから、という気持ちをぐるんぐるん持て余している面持ちで、エノーラがぎこちなく首を傾げる。

 それに、なんでそんな妙な顔つきをしているんだとばかり不思議がりながら、ストルは眠っているリトリアを振り返り、やんわりと目を細めて微笑した。

「気がついたら、間に入りこんでいた。眩しかったんだろう」

「そ、そうかな……? ちょっと、え、えぇ……ええー……?」

 よろりとストルから離れたエノーラは、頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。さもありなん、と談話室中から向けられる視線で同意を得ながら、エノーラはごく慎重に息を吸い込み、泣きそうな気持ちで問いかけた。

「あのね、ストルくん」

「どうした」

「ど、どどどうしたもこうしたも……!」

 あれ、ねえストルくんってこんな会話通じない相手だったっけそんなことないよね昨日までは別に普通だったと思うんだけどなんなの昨日の夜から今日の昼過ぎにまでの間になにがあったっていうのというかなにかあったとしか思えないから私はそれが聞きたいんであってっ、と涙ぐむ気持ちで己を叱咤し、エノーラはきっと睨みつけるように眼差し鋭く、顔をあげた。

「いつの間に! そんな! 仲良くなったの!」

「仲が、いい……か?」

 そういう風に見えるのか、と虚をついた表情で問い返してくるストルに、エノーラは会話を諦めたくなる気持ちで何度か頷いた。フィオーレが出て行ったきり、様子を見に来るくらいで戻って来ないのは、恐らくそういう理由だろう。

 やれやれと立ち上がり、そういう風に見えるけど、と言ったエノーラに、ストルはそうか、と頷いて。

「懐いてくれたのか……?」

 眠る、リトリアを見つめて。

「……可愛いな」

 あまく、ただ、言葉を零した。もぞりと身動きしたリトリアの、体をすっぽりと覆うローブはストルの着ていたものだろう。

 もぞもぞ動いてきゅぅと丸くなるのを穏やかに見つめ、ストルは安心して眠れているようでよかった、と胸を撫で下ろした。

 だから私が聞きたいのはそれじゃないっていうかそこじゃないっていうか、だからっ、だからああああぁっ、としゃがみこんだエノーラはふるふると身を震わせ、声に出さずに耐え切った。

 それでも、気配が煩かったのだろう。もぞもぞ、もぞもぞ身動きをしたリトリアは、ローブを耳のあたりまで引き上げて、すん、と拗ねたように鼻をすすり。

 ようやくまた、その寝息を穏やかに深くした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る