そして焔と踊れ 10

  揺れ動くのは体重だけで、身長は一ミリたりとも変化がない。

 二年間。十三から、十五になる少女であるのに。なにも変わっていない。フィオーレ、と名を呼び説明を求めるレグルスに、白魔法使いは痛みを堪える顔つきで、淡々と言葉を告げた。

「俺が二年前からの記録を引っ張ってきたのは、ここからが一番分かりやすかったからだけど……その前も合わせて見ると、明らかな異常だって誰でもわかると思うよ。二年前まではちゃんと、身長も伸びてたし、体重も増えてた。成長期の女の子らしくね。……身体的な成長が完全に止まったのは、今から約二年前……ストルと、ツフィアが、卒業していなくなって、すこしした、四月くらいから」

「リトリアちゃんが、ストルさんとツフィアに嫌われちゃったの、なんて……信じられないことを言いだした頃よ」

 掠れた声で囁かれた言葉にレグルスが振り返ると、ソファの上でレディが目を開いた所だった。眠れないまま、荒れる意識を宥めていたのだろう。つくりたての金貨めいた艶やかな瞳に、ざらざらとした感情が浮かび上がっている。

「たぶん、きっかけはそれで、時期はそこから。……そうでしょう? フィオーレ」

「間違いないと思うよ。やってるリトリアは無意識かも知れないけど……無意識、かつ、意識的に、リトリアは自分の成長を完全に停止させてる。それに加えて、誰もそれを不審に思わないように、不思議がらないように……意識操作、認識阻害、かな。それを、たぶん、ずっとやってる。体調の悪化が早い筈だよ。そんな状態で、しかも精神不安定で、耐えられる訳なんてないだろ……!」

「私たちがいま、それをおかしい、と気がつけたのは、それだけリトリアちゃんの体調が悪い証拠。元々、魔力総量のすくない、とされている予知魔ですもの。無意識発動にまで手が回らなくなって……いわば、鎖が緩んでいるのね。だから正常に、認識できる。問題はこの認識がいつまで保てるか、だけど……おかしいと思った記憶を含め。そのあたり専門家としてはどうなのフィオーレ?」

 意識操作と認識阻害、記憶消去ならあなたおてのものでしょうと嘲笑うように告げたレディに、フィオーレは苛立った舌打ちを響かせた。

「さあ、どうだろうな。俺はここまで体調悪くなったことなんてないし。誰かさんと違って」

「なにそれどういう意味なの燃やすわよ」

「……落ち着いてくれないか、魔法使い」

 ややうんざりしたように天井を仰ぎ見たレグルスを間に挟み、フィオーレとレディはうふふあははと笑いあっている。礼装を着なければいけない用事は、よほど二人の機嫌を損ねるものであったらしい。

 おまえ、いつかぜったい、こがす。やってみろよ、できるもんならな。微笑みの間に意志を投げつけ叩きつけ合った二人は、やがて唐突に脱力した。立ち向かわなければいけない現実というものの存在を思い出してしまったらしい。

 あああああ、と呻きながら前髪を乱すフィオーレの右手の小指には、見慣れぬ指輪が輝いていた。くたりとソファに顔を伏せるレディの耳にも、レグルスの知らない耳飾りが揺れている。

 ふたつとも、なにか魔力を帯びているようだった。魔術具かなにかなのだろう。

「というか、リトリアちゃんはなんで戻って来ないの? 食堂にココア飲みに行っただけって言わなかった?」

 終わらせちゃわないと何時まで経ってもこの礼装脱げないじゃないと溜息をつくレディに、フィオーレは全く同意見だとばかり頷き、レグルスが眉を寄せる。確かに、行って帰ってくるにしては時間が経ちすぎていた。

 もちろん、学園にはリトリアがひとみしりせず話せる相手もいるだろうが、彼らには授業というものがある。それをサボらせてまで引き留めるような性格ではないので、戻って来ないのにはなんらかの理由がある筈だった。

 まさかどこかで気分悪くなって動けなくなってたりしないわよね、とソファから立ち上がったレディに歩み寄り、フィオーレがぽん、と肩を叩く。

 なによ、とまだ不機嫌そうに眉を寄せるレディに、フィオーレはおれいやなよかんしちゃったんだけどきいて、と灰色の声で囁いた。

「……もしかしてストルにみつかっちゃったんじゃないかなって」

「かえっていい? わたしもう星降にかえっていい? それでもうなにも考えずに引きこもっていい? 五ヶ国の陛下方にはあとでごめんなさいってちゃんと言うから! 言うからああぁああっ!」

「俺だってそうしたいけど! よく考えてレディ! リィ……リトリアが! ストルが傍にいて万一なんていうか二人きりで! 学園にいた時みたいにおひざ抱っことかしてもらってたとして……!」

 それはかつて、学園の風物詩のようなものだった。リトリアの定位置はストルの傍、というか膝の上で腕の中、というのが在学のかぶるありとあらゆる魔術師に通じるくらいはそんな感じだった。

 甘やかさないでと言っているでしょう、とストルを怒るツフィアの姿も同じく。

 あれで本当にになんで嫌われちゃったとか言ってるのかほんと理解できない、いやストルとツフィアが卒業してからというものの一度も手紙やら祝いのカードやら服やら靴やら髪飾りやらを贈って来なくなってリトリアちゃんが出した手紙にいっさい返事をしなかったせいだと思うけどっ、と混乱しつつ、レディはこくりと頷き、もらっていたとして、とフィオーレの言葉の続きを促した。

 フィオーレは達観したまなざしと、抑揚の乏しい灰色の声で告げる。

「ストルが無事にリトリア帰してくれると思う? おれぜったいむりだとおもう」

「……いいことを教えてあげるわ、フィオーレ」

 うふふ、と笑いながらレディはソファから立ち上がった。お花畑に精神を逃亡させた笑みだった。

「ストルは、私と出身国が同じなの。砂漠の国出身。……全員がそうとは言わないけど、私たちって基本的に、独占欲超強いのよね」

「う……うん……? いま知りたくはなかったかな……?」

「教えてあげるわ、フィオーレ。砂漠の男はね……?」

 ふ、とレディがひどくひどく遠い目をした。

「好きな女の子を部屋に監禁するくらいなら普通にする。うん。ふつうにする。べつにおかしいことじゃない。ふつう。なんでふつうかわかるかっていうとわたしむかしやられたことがあるからだけど、それに対する詳しい状況説明やらなんやらは全力で拒否するわ」

「……レディ、誰にされたの?」

 一応、それだけは聞いておかなかければと思ったのだろう。責任感すら滲ませる声で問いかけたフィオーレに、レディはなまあたたかい笑みのまま、かつて学園に在籍していた、ひとりの魔術師の名を告げた。

 レディの『鞘』であった魔術師。かつてのストルの親友であり、そして。レディの夫たる男の名を。うん、とフィオーレはやさしく頷いた。

「さばくのふつう、こわい……あと俺はまだ! 小数点以下くらいで存在しているかも知れない! ストルの好きが妹的なアレとか娘的なアレとかそんなかんじの可能性を信じてるからっ!」

「じゃあなんで走ってるのよ待ちなさいよ私も行くっ! というか! あなたそれなりにストルと親しいのだから、いやストルはそんなことしないよ監禁とかまさかそんなあはは、とか否定してみせなさいよおおおおっ!」

 ばたばたばたばた、慌ただしい足音が廊下の彼方へと走り去っていく。あっという間にいなくなった魔法使いたちの背を眺め、レグルスは静かに、しっかりと、頷いた。嵐のようだった、というか。恐らくふたりは、冬の大嵐である。間違いない。

 溜息をついて、レグルスは保健室の扉をしめた。

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