言葉を鎖す、夜の別称 22

 教会の奥。円天井の広がる聖域。色硝子で描かれた空の下に、五ヶ国の王たちが佇んでいた。それぞれ背後に二名ずつ、王宮魔術師を控えさせている。

 王たちはやってきた新入生の姿を認めると、一様に笑みを浮かべてちいさく頷き、まなざしで妖精たちにあることを求めた。ソキの隣で静かに、妖精が息を吸い込む。緊張したような仕草。

 ソキがそれを問うよりはやく、妖精たちは己の導いてきた新入生を横一列に整列させ、そして。その時を知り、しんと静まり返る空気に、祈りの声を響かせた。

『白は清廉。砂は叡智。楽は芳醇。花は潤滑。そして星はあまねく道標。空白を漂う五の国に、幸いなる五の王に』

 四色の妖精の声は、ひとつに重なり切っていた。妖精たちはそれぞれ、ドレスの裾を指先でつまみ、あるいは胸元に手を押し当てて、一度、ゆっくりとした仕草で王に向かって一礼する。

『妖精の丘より遣わされ、世界の命を承りしわたくしたちが、祝福された四名の、新たなる朋をご覧に入れます』

 王たちが言葉を受け止め、首肯する。それを合図に、真っ先に歩み出たのはルノンだった。メーシャの案内妖精。一直線に並んだ場所から一歩歩み出て、ルノンは王たちにメーシャの出身地や属性、年齢をごく簡単な言葉で告げて行く。

 五ヶ国の王がやわらかな眼差しで見守る中、ぴんと背を伸ばしたメーシャが同じく一歩前に出て、誠実な仕草で礼をした。その時はじめて、ソキはメーシャの着ている正装に目を瞬かせる。

 ソキの隣で妖精が、視線を何処へ流しながらアンタほんとうにロゼアしか目に入っていなかったのねと呻くが、その通りだった。緊張し、高揚しているであろうメーシャの体を包むのは最上の仕立てを施された黒の正装だった。

 メーシャの白い肌、あるいは白銀の髪を引き立たせるような絶妙な色合いの黒は、天空に星がきらめく夜、大樹の根元に落ちるまどろみの影だった。

 やわらかく寄り添い、落ち着きを抱かせ、内包するきらめきをさらに輝かせる。火の明りを受けて艶めく布の光沢がうつくしく、メーシャの甘く優しい顔立ちをほんの僅か大人びて見せていた。

 挨拶をするメーシャを見た少女たちが、頬を染めてきゃぁと騒ぎ、はしゃぐ声がふんわりと空気を揺らす。メーシャのすらりとした体を包む衣服の線は群を抜いた美しさを成長していく青年に与え、落ち着いた雰囲気をふりまいていた。

 少女なら誰もが胸をときめかせずにはいられないような、落ち着いて見つめることができないような姿をじぃっと見つめ、ソキはほわほわと微笑んだ。

「わー、メーシャくん、すっごく綺麗です……!」

「……頬染めたりしていいのよ、ソキ。あの男呪うけど」

 小声でもしょもしょ囁き合いながら、ソキは不思議そうに妖精を見上げた。ちょこん、と首を傾げる。

「メーシャくんはすごいと思います。ソキ、ちょっぴり目が幸せです」

 美形というものに関して見飽きるくらい見ている『花嫁』の目においても、今宵のメーシャは感動的にきれいかつ格好いい。メーシャくんはすごいですねぇ、としみじみするソキに、妖精はほとほと呆れた眼差しで首を振った。

「アンタ本当に……ロゼアが好きなのね……」

「……あのねえリボンちゃんソキねえ、今日のロゼアちゃん格好良すぎてちゃんと見られないですどうしよう」

「見るな」

 極上の笑顔で妖精が告げる間に、メーシャの挨拶は終わり、シディに紹介を受けたロゼアが前へ歩み出る。ざわっ、とばかり教会の空気が震えた。

 そこで、そうでしょうそうでしょうロゼアちゃんはものすごく格好いいでしょうすっごいでしょうえへへんっ、とばかり自慢げにふんぞりかえりかけ、妖精に動かないでまっすぐ立っていなさいと叱責されたソキは、その時初めて、呻くように目元に手を押し当て円天井を仰いで遠い目をしている砂漠の王の姿を視界の端にとらえ、あれあれとばかり首を傾げた。

 ざわめく空気と共に、いくつもの視線がロゼアと、砂漠の王を行き来しているのを感じ取る。なんですか、と目を瞬かせ首を傾げて。そこではじめてソキは、笑いと共に告げられた白雪の女王の言葉を耳奥でよみがえらせた。

 すごい似てる。砂漠の王が、笑いに吹き出しかける白魔法使いの後頭部をひっぱたき、ロゼアにきちんと向き直る。その、姿が。

「陛下、ロゼアちゃんにそっくりです……!」

「なんでアンタどこまでもロゼア基準なの? 逆でしょう逆」

「そき、ソキ知ってたですけど、陛下がすっごくロゼアちゃんに似てるの知ってたですけど……!」

 そもそも砂漠の王は、数年後のロゼアはこう成長しているだろうな、とソキに思わせて赤面させるような相手だ。

 顔の作り、体つき、些細な仕草、肌の色、雰囲気などにごく共通したものを感じさせるのだが、それ以上に、正装した二人の印象はごく、近かった。似ている。

 挨拶を終えたロゼアは引っ込んでいいのか迷う微妙そうな表情で、というかもう嫌そうな顔つきで出身国の王を眺めていた。

 そんなロゼアの姿をちらっと見つめ、きゃあと頬を染めてやぁんやぁんと首を振り、またちらちらっと眺めてはやぁんロゼアちゃん格好いい素敵、と顔を赤らめるソキに、妖精は心底呆れ切った眼差しを床上に伏せた。

「アンタなに……ロゼアにしか反応しないの……? そうなの……?」

「だ、だってだってリボンちゃん、ロゼアちゃん格好いい……。ソキ、どきどきしちゃうです……」

 よしロゼア呪おう、とばかり真顔で頷く妖精にうっかりして気が付かず、ソキは胸元に指先を押し当てて息を吸い込む。そして改めて、砂漠の王と、ようやく一歩下がって息を吐いているロゼアのことを見比べた。

 ふたりの一番大きな、分かりやすい違いはその髪と瞳の色彩だろう。ロゼアは赤褐色の髪と瞳の色をしているが、砂漠の王の髪は黒い。そしてその瞳は、なめらかな金の色をしていた。砂漠の曙光。暗闇を切り裂く鮮烈な輝き。

 その眼差しのもと、砂漠の民は集うのだ。王よ、あなたの御為ならば。あなたが治めるこの国の幸福、その為ならば。最後の最後、『花嫁』は、『花婿』はそうして心を決めて嫁いで行く。その決意をさせる、王の瞳。

 ソキは砂漠の王とロゼアをもう一度だけ見比べて、ほんとうによく似ているです、と思った。けれど別だ。砂漠の王はソキの胸をどきどきさせる。

 ロゼアちゃんがもうすこし歳を重ねたらきっと、こんな風に艶やかな、落ち着いた、穏やかな雰囲気を纏って微笑むのだろうと思わせる。そんな幸せで落ち着いたどきどきだ。けれど。

 ロゼアを見た時のようなくるしさと、切なさ。甘い幸福の痛みを呼び起こすことは、決してなかった。

「……さあ、ソキ。あれが終わったら、次はアンタよ」

 踊るような足取りで前に出たニーアの隣に並び、ナリアンが声なき意志を響かせていた。その後ろ姿を眺め、ソキはあれ、と瞬きをする。ニーアの紹介の通り、ナリアンの出身国は花舞である筈だ。

 それなのにナリアンが着ていた正装は、砂漠の国のそれだったからである。形こそロゼアのものによく似ているが、色合いは間逆の黒だった。なにもかも静まり返る砂漠の月夜、岩影が砂に触れたがるよう落とす影の、やさしい漆黒。

 青みを帯びた麗しい黒。一瞬だけ見えた胸元には月光のような銀の飾りがふんだんに縫い付けられ、ナリアンの瞳と同じ色をした紫の飾りも見つけられる。

 上着やズボン、腰布には同じく光を乱反射させる銀の飾りが縫い付けられ、軽やかに踊る花のような薄桃色の輝きがあった。

 ちいさな鉱石の飾り石がみっちり縫い付けられたそれは、軽やかな印象のロゼアのそれと違い、どこか重たげだったが、布をさばいて歩くナリアンの立ち姿に危なげな印象はない。

 まっすぐに立って一礼し、ニーアに視線を向け、微笑みかけていた。

 おとこのこだ。瞬間的にそう思いながら、ナリアンくんなんで砂漠の正装なんですか、と呟くソキに、アンタだからほんとうにほんとうにロゼア以外なんっにも見てなかったのねああもう、と胃が痛そうに呻いた後、妖精はやや死んだ目でよく知らないけど、と溜息をついた。

「親の出身国が砂漠らしいわ。あとで本人にでも聞いたら?」

「そうするです。ナリアンくん、すてき。格好いいですおとこのこです……!」

「なにその、お兄ちゃんすごぉいでしょう、みたいな感じ」

 仲いいの、と灰色の眼差しで問う妖精に、ソキは茶会部なんですよー、とほよんほよんした声で頷いた。

 コイツ相変わらず質問に対しての回答が正確じゃないな、と言わんばかりの顔つきでソキをしばし睨んだ後、妖精は何度目かの溜息をつくと、唐突に一歩、前へ出た。いつの間にかナリアンもニーアも、一歩下がって元の位置へ戻っている。

 はっと顔をあげるソキを振り返ることなく、妖精はすぅ、と息を吸い込んで。ごく自然な足取りで、もう一歩前へ踏み出した。二歩、三歩、四歩。五歩、歩いてから立ち止まり、妖精は恭しく王たちに一礼し。

「……ご挨拶申し上げます」

 凛と響く声で、そう告げた。

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