言葉を鎖す、夜の別称 21
新入生が入学式で世界からの祝福を授かる教会は、通常の授業で使用されることはない。どの属性、どの適性を持つ魔術師の、実技授業に使われることもない。
特に制限もなく解放され、立ち入りが自由とされている場所だから時折足を運び、時間を過ごす者もあるそうだが、ソキは入学式以来、そこへ立ち入ることがなかった。避けていた訳ではない。
単純にその時間と暇がなかっただけなのだが、それでも、そうしていたとしても、あまりの雰囲気の違いに足を止めたことだろう。生徒用に開放された入口のひとつから身廊を通り、中心へと足を進めて行くにつれ、光が空気の中に溢れて行く。
精緻な作りの飾り灯篭に揺れる火のみならず、夜のしっとりとした静寂の空気にひかりが滲み、溶けだしていた。眩暈を起こすようなひかりの欠片たち。色はひとつとして同じではなく、窓辺に置かれ砕かれた宝石のように乱反射を繰り返す。
目が痛い訳ではない。息が苦しくなるでもない。ただ、ちかちかと瞬いていくばかりの光に、ソキはぎゅぅと瞼に力を込めて立ち止まった。
身廊や、その上部に設けられた側廊にて歓談していた在校生や王宮魔術師たちの視線が、ふとソキに送られ、花嫁姿のうつくしさに息を飲んで行く。
どうしたのかしら。さわりと空気を揺らす女子生徒の声がして、誰かがソキへ声をかけようと歩み寄って来そうなのを、来るな触るなアタシが許可してるのは見ることだけだと理解しろとばかり睨みつけて、妖精はソキの手を強く握り、うつむく眼差しを下から覗き込んだ。
「ソキ、どうしたの? ……気持ち悪い? 疲れた? 挨拶まで頑張りなさい。そうしたら休ませてあげられるから。……言えるでしょう、ソキ。ちゃんと、アタシに教えて。どうしたの?」
大丈夫、だいじょうぶよ。今はまた、アタシがアンタの傍にいて守ってあげられるのだから。アンタは安心して弱音でもなんでも吐くといい。立ち止まってもしゃがみこんでもいい。アタシはもうそれを怒らない。
知ってるから。分かってるから。アンタは何度でも立ち上がって、歩き出して、前を向くことができる。時間はかかるけど、絶対にそれを諦めない。時間が、ただそれだけが必要なのだとしたら、アタシはちゃんとアンタにそれを渡してあげる。
だから、と問いかけのあとは言葉を重ねることなく待ってくれる妖精に、ソキは弱く視線を持ち上げ、そっと息を吐きだした。
「リボンちゃん……」
「ええ。アタシはここにいるわ、ソキ。……なに?」
「いろが……ひかり、じゃない、いろが。たくさん……ちかちかする、です。まぶしくないけど、くらくら、する」
目が疲れちゃうです、とどことなく拗ねた響きで吐き出された声に頷きながら、妖精は一度、教会の出入り口付近を振り返ってみた。未だ、その付近で案内妖精との再会を喜んでいるであろう新入生の男どもは、幸いなことに、姿を見せていない。
よし、と心から満足げに頷き、妖精はソキにそっと両腕を伸ばし、やわやわとした仕草で背を撫でてやった。
「大丈夫よ、ソキ。それは、魔力だから。今宵ここへ集まった『学園』の生徒たちと、王宮魔術師の、淡くたちのぼり消えゆく魔力の、ただの名残。完全制御してるのも中にはいるけど、祝いの場ですもの。どうしてもふわんふわん漏れるというか、嬉しくて、その感情に乗って揺らめいて、消えて行くだけの害のない魔力よ。……他人の魔力をちゃんと視認したことないんでしょう、アンタ。びっくりしちゃったのね。怖いものじゃないわ」
というかアンタ実技授業でなにやってんの担当教員の怠慢じゃないの呪うわよ、と低く毒づく妖精に、ソキはそろそろと視線を持ち上げ、まどろむ夢から目覚めたように、ゆったりと瞬きを繰り返した。
胸の奥まで吸い込んだ息を、くちびるから吐き出して行く。
「ソキ、まだ、あんまり実技授業してないですよ……。魔力? これ、魔力です?」
「そうよ……ああ、仕方ないか。アンタどんくさいものね……体力とか」
ぷぷぷー、と頬をふくらませて怒るソキをはいはいと手慣れた風に宥めながら、妖精はヴェールの上から少女の目元にそっと指先を伸ばして来た。
まるで、直に肌に触れることを避けているような慎重な仕草に、ソキはきょとんとしながら妖精の指先を見つめる。赤く、妖精の目の色に塗られた艶やかな爪が魔力の名残、空気中に溶け込み寄り添いまたたく星のようなそれを払うように動き、ソキの瞼に指先が押し当てられた。
ふわ、と花の香りが立ち上る。春先の、きらめく陽光に一斉に蕾綻ばせる喜びに溢れた花園の、風が運んでくる甘くあわい香りだった。指先が離れて行くのにあわせてぱちぱちと瞬きしながら、ソキがちょっと不満げに首を傾げる。
アンタなんでそこでそんな顔になるのと言わんばかり目を細めた妖精に、ソキはつんとくちびるを尖らせて、拗ねた。
「リボンちゃん。ソキが寝てる時に会いにきたです。ソキねえちゃぁんと知ってるんですよ」
「アンタそれ自分で気が付いたんじゃなくてどうせ寮長かなんかに教えてもらったんでしょう。自分の手柄のように言うのはやめなさい。……だってアンタ寝てたもの。体調が悪くて寝てるのに起こされたかったの? 言っとくけど頼まれてもそんなことはしないわ」
「ソキねえ、リボンちゃんに会いたかったんですよ……。ふふ、いい匂いするです……」
病を癒す薬草園の清涼な香りではなく、それはもっとふわふわと甘い花のにおいだった。妖精からの祝福を心から喜ぶソキに、まあいいかと息を吐き出しながら、妖精は花嫁の手袋に包まれた手を取り繋ぎ直し、前へゆるく引っ張った。
「ほら、もう行くわよ。……すこしはマシになったでしょう?」
妖精の言葉通り、ソキの目に映るひかりは消えた訳ではないが、うすぼんやりとしたものに変化していた。何度まばたきしても、よく目を凝らしても、乱反射するきらめきが意識を揺らしてしまうことはない。
てて、てっ、とはしゃいだ足取りになるソキをゆっくり歩けと叱りつけながら、妖精は近づいてくる複数の足音に、一度だけ背後を振り返った。ようやく、ロゼアやメーシャ、ナリアン、そしてシディとルノン、ニーアが教会の奥へと進んでくる。
そのうち一人、ロゼアにだけ忌々しそうな睨みを向け、妖精はふいと前を向いてソキと共に歩き出した。リボンちゃん、と不思議そうに問われるのに、なんでもないわと妖精は告げた。
ただ、心から本当に気に食わなくて自制していないとうっかり本気で呪ったり呪ったり呪ったりしてしまいそうなだけで。あれは新入生、そして今夜の主役の一人だ耐えろ、と己に言い聞かせながら、妖精はソキの様子を伺った。
妖精の祝福を授けられた『花嫁』は、今はもう機嫌もいいのだろう。記憶にあるよりは慣れた、それでもふわふわした危なっかしい足取りで歩みながら、歌でも歌いそうな雰囲気で口元を淡く綻ばせている。
その姿は、ほんとうに綺麗だった。満足げにソキの全身を眺めやり、妖精は少女の名を、口付けるような甘やかさで呼ぶ。
「ソキ」
「なぁに? リボンちゃん」
「綺麗よ。可愛い。……アンタの屋敷の世話役どもを呼んで、この一月、頑張らせたかいがあったわ」
ソキさまの服に対して予算の上限があるとか意味が分からないので、とお前らがなに言ってんのか分からないという砂漠の王の視線を真正面から受け止めながら、屋敷の者たちは国王にそっと、ソキの兄から預かった花嫁費用を手渡したのだという。
ソキが本当に、『花嫁』として国を出る時の為に用意されていた衣装用の費用。
それを使って、王宮の衣装師や刺繍師、細工師などをばったばったと疲労その他で倒しながら作りあげたソキの衣装は、妖精が心から満足するものであり、屋敷の者たちが泣きながら頷き、よしロゼアが長期休暇で帰ってきたら当日の様子を事細かに聞き出そう、と決意させるものだった。
ソキはなんの感情にか頬をふわりと赤らめると、指先をあまく震わせ、はにかんで頷く。
「ありがとうございますです……リボンちゃんと、みんなが、用意してくれたですね」
「アンタの今日の正装を用意して、エスコート役を務めるのがアタシに与えられた正式な報酬で権利」
案内妖精は皆、その権利を得ているのだと告げ、妖精は満足そうに頷いた。
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