言葉を鎖す、夜の別称 15

「え?」

 なにが、と首を傾げる同僚たちに、チェチェリアは書類を机に打ちつけ、整えながら眉を寄せる。

「その、ありがとう、リトリアちゃん本当にありがとう、が……」

 言われている途中で、じわじわ思い出して来たのだろう。ひとりが頭を抱えて声もなくうずくまり、ひとりが胸に手を押し当ててカタカタと震えだし、ひとりは遠く彼方を眺める眼差しでぎこちなく首を振った。

 先に卒業していたが故にそれを知らぬ、幸福な数人だけが、きょとんとした顔でチェチェリアを見つめ返している。窓の外から、明るく、はしゃいだリトリアの声が響いて来た。

 室内の、一部惨状から意識を反らしたがるような顔つきで、チェチェリアはそっと呟き落とす。

「何度、ストルと、ツフィアを、マジ切れさせたことか……。二回? ……ああ、四回はあったか」

「だから、変身魔法少女だけはやめておけ、と言ったのに……! あれだろっ? 一回目にスタンがやらかして、二回目にルルクがやらかしたあれだろっ……? え、三回目と四回目って、な、に……」

「スタンもルルクもあれでしょ? あまりにアレすぎて、ツフィア怖い、は覚えてるんだけどストルに関してはなにもかも記憶ふっとばしてなんか逆らっちゃいけないというか怒らせるといけない怖いというか死ぬ、みたいなアレだけが残ったアレでしょっ? 三回目と四回目なにっ!」

 若い子の話についていけない、というか変身魔法少女ってなに、という学園の諸先輩方の視線を慎ましく無視して、チェチェリアは窓辺に歩み寄った。中庭に視線を落とす。王と少女はまだ手に手を取り合って、笑いあいながら、飽きもせず踊っていた。

 時折、顔を寄せ合い、内緒話のように囁き合ってはくすくすと肩を震わせている。ひたすらに仲睦まじい様子に目を細めながら、チェチェリアはなんだったかな、と記憶を探る。

「……三回目が確か、新入生歓迎パーティーで、フィオーレがリトリアと踊っていて……抱きあげてくるくるして頬に口付けたあたりで、ストルからなにか物理的に切れたような音がしたことまでは私も覚えているんだが」

「あ、私、フィオーレが『あっやべおとうさんがマジおこぶっふうっ』って笑いに吹きだしたトコまでは覚えてる」

「俺、そのフィオーレに、お前なんなの火に油注いで爆発させんのが趣味なの今日こそお前は恐らく死ぬ、と思ったトコまでなら覚えてる」

 確か、リトリアが十一になった辺りのパーティであった筈である。それを目撃していた筈の者たちは無言で視線を見交わし、言葉を交わさぬまま、しっかりと頷いた。よし、考えて思い出すのを止めよう怖いから。

 はぁ、と誰かが深く溜息をついた。笑い声が暢気に、空気を震わせている。調弦が終わったのだろう。楽団の音楽が一瞬途切れ、流麗な音楽が奏でられ始める。チェチェリアの視線の先、楽音の王はリトリアにそっと手を差し出してなにかを囁き、告げ。

 リトリアはどこか泣き笑うような表情で言葉に頷き、主君の手の中へ、己のそれを滑り込ませた。囁かれた言葉は、どこへも届かず。ただ、うつくしい音楽の中に消えて行った。




 部屋の前に置かれていたのは、大きな白い箱だった。ソキでは両手に抱えることも難しい程の白い箱は、赤いリボンで飾られている。それが、ひとつ、ふたつ、みっつ。

 よっつも扉の前に置かれていたので、ソキはハリアスと手を繋いだまま、ちょこりと首を傾げて目を瞬かせた。

「贈り物です……?」

 それは、ソキにしてみれば馴染みのある光景であった。部屋から離れていた隙に贈り物が扉の前に積まれている。それだけの話だ。けれども、それは『花嫁』として屋敷にあった時のことで、学園の寮で巡り合うのはこれが初めてのことである。

 それともソキの兄が、またいらぬ気を回して服やら靴やらを送ってきたのだろうか。二日後には、新入生歓迎パーティーがある。それをもし兄が知ったのだとすれば、いかにもやりそうなことだった。

 心の底からげっそりしていやぁな顔つきになったソキに微笑み、傍らにハリアスがしゃがみこむ。ソキちゃん、と呼びかける声は淡雪の色をした花に似て、そっとソキの心を落ち着かせた。

「なんだと思ったのかは分かりませんが……大丈夫です。嫌なものではありませんよ」

「……でも」

「あれは、新入生に必ず贈られるお祝いです」

 だから、大丈夫。訳知り顔で囁くハリアスはそれ以上の説明をくれなかったが、ソキはこくん、と頷き、久しぶりに戻る己の居室へとまた一歩足を進めた。普段、ソキが生活の拠点にしているのはロゼアの部屋である。

 今日も本当ならばロゼアの部屋で一日を過ごすつもりであったのだが、それを止めたのがハリアスだった。

 朝食を終え、パーティー二日前ということで全ての授業が休校になったが故に、まったりと四人でお茶を楽しんでいたソキの元に、ハリアスはやや慌てた様子で駆け寄ってきた。聞けば、ソキがロゼアの部屋に戻る前に捕まえる必要があったとのことである。

 パーティーの前々日となる本日から、新入生らは原則的に、互いの交流を禁じられるのだという。基本的にはそんな時間の暇がないことが一番の理由であるのだが、様々な規約がそうであるように、それを破ることは魔術師には許されないのだと。

 当然、ソキは抵抗した。ロゼアちゃんと一緒にいるですよ、ロゼアちゃんのとこで寝るですよ、と必死にお願いしたのだが、ハリアスがそれを聞きいれてくれることはなく。

 代わりに、今日は女の子たちで集まって眠りましょうね、と微笑まれたので、ソキはちょっとどきどきしながら別行動を受け入れたのだった。お泊りである。そう考えれば別に悪いことでもないのだった。

 ロゼアちゃんソキは頑張ってくるですよ、と告げるソキに、食事くらいは一緒にしても大丈夫だった筈ですからと言い残し、ハリアスは少女の手を引いて寮の部屋へ戻ってきた。そして、箱に遭遇したのである。

 ソキは眉を寄せながら箱へ近づき、ぺたぺたと手で触れてから、あれとばかりに目を瞬かせた。

 積み重ねられた箱の、上からふたつめ。ちょうどソキの目の高さに結ばれたリボンの下に、一枚のカードが挟み込まれている。真白い紙の縁には、きれいな花模様が虹色の箔で押されていた。

 それにそっと指先を伸ばし、つまみあげて、薄青色のインクを注視する。読みやすい、整った文字で、言葉が綴られていた。一言ではなく、二行に渡って。

『誰に所有されることなく』

『あなたは、あなたでありなさい』

 ほとんど無意識に、ソキは箱の赤いリボンに手をかけて、蓋を廊下へ落としていた。中身を覗き込み、おおきく、息を吸う。

「……わぁ」

 傍らのハリアスが、感動的な息を吐きだし、目を瞬かせた。寮の通りすがる少女らや、それより年上の女たち。ハリアスだけでは手が足りぬだろうと集まってきた少女たちの誰もが、目を見開き、うっとりと息を吐きだす。

「きれい……」

「素敵なドレス……。花嫁衣装みたい」

 みたい、ではなく。花嫁衣装、そのものだった。ソキはそれを知っていた。震える手を胸元に押し当てる。大きく、息を吸い込んだ。けれど、言葉にならない。胸にあふれる言葉は、たくさんあるのに。声がでなかった。頬を、涙が伝って行く。

「ソキちゃん……!」

 気が付いたハリアスが、はっとした表情でソキのことを振り返る。大丈夫ですと伝える言葉は声にならず、ソキは目を閉じて口に指先を押し当てた。

 水の中から掬いあげた真珠に木漏れ日が触れたような、やわらかな、やわらかな白い色がソキの目に焼き付いている。ひとめ見ただけで恐ろしいほど上質だと分かる布地で作られたそれは、ソキの『花嫁衣装』だった。

 間違えようもなく。『砂漠の花嫁』の婚礼衣装だった。国を離れ、なにひとつ、己のものを残すことを許されず。その身ひとつで嫁いで行く『花嫁』に、屋敷の者が、傍付きが最後の最後に贈る、仕事と忠誠と献身のかたち。

 『花嫁』がもっともうつくしくあるように。その瞬間の為だけに、つくられる、たったひとつの。

 手元に残すことを許される、想いの結晶。

「……っ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る