言葉を鎖す、夜の別称 16
ぼたぼた、涙が落ちて行く。震えながらしゃがみこんで、ソキは誰が止めるのも聞かないで、箱ごと花嫁衣装を抱きしめた。はく、と声を失った唇が誰かの名を呼ぶ。ロゼアのものではなかった。
何人も、何人も、ソキは少女らが知らぬ名を紡ぎ上げ。最後の最後に、ようやく、震えながら吐きだされた声で。
「……ロゼアちゃん……!」
悲鳴じみた、助けを求めるような、切実な苦しいまでの響きで。ロゼアを、呼んだ。
「ロゼアちゃん、ロゼアちゃんっ……ろぜあ、ちゃ……ふ、うっ……うえぇ……」
「ソキちゃん……」
「……っ、っ!」
それきり、あとはもう言葉にならない。ただ、ただ感情を揺らすソキに、ハリアスはずっと寄り添っていた。かける言葉を持たないことを苦しげに、その肩を抱き寄せて良いのか、判断がつけられないことこそを申し訳がるように。
目を伏せ、考えを巡らせながらも、それでも傍から離れず。ハリアスはずっと、ソキの傍にいてくれた。
「……もう大丈夫かな?」
十分以上が経過した所で、ソキの顔を覗き込みながら問いかけたのはルルクだった。廊下にしゃがみ込んで泣きじゃくるソキをどこかへ移動させることもできず、ただ落ち着くことを待つしかできないのが、申し訳なかったのだろう。
その手にほんのりと温かい香草茶を持ち、陶杯を差し出してくるルルクに、ソキはこくりと頷いた。息を吸い込みながら香草茶を受け取り、はぁ、と吐きだして目を瞬かせる。
「ごめんなさいです……ソキ、すごく、びっくりしてしまって」
「ううん。落ち着いたならいいわ。気にしないで? ……あなたもよ、ハリアス。気にすることじゃないわ?」
くすくすと笑いながら、ルルクはハリアスにも香草茶を差し出した。飲みなさい、と囁く先輩の言葉を拒否しきれない、という態度で頷き、ハリアスはあたたかな香草茶をひとくち、喉に通した。ふ、と肩の力が抜けて行く。
ひとくち、ふたくち飲んでもういいです、とルルクに陶杯を預けて立ち上がったソキは、改めて箱の中身を覗き込んだ。四つある箱の、一番大きなものに入れられているのが、ドレス。二つ目のものに、ヴェール。
三つ目に細々とした装飾品がいれられ、四つ目には靴が入っていた。どれひとつとして既製品はない。完全なるオーダーメイドのものだった。ルルクが、それらをじっくりと眺めたのち、頷いて息を吐く。
「高そう……というか、高い。間違いない」
賭けても良いけど間違いなく予算足りてない、と呻くルルクに、ソキはちょこりと首を傾げた。
「予算? です?」
「うん。砂漠の国の……ええと、まあそれは置いておくとして。ソキちゃんあのね?」
はい、とばかりソキは頷いた。その普段通りの仕草に心を和ませたように微笑し、ルルクは説明してあげるっ、ととびきり弾んだ声で、唇にひとさし指を押し当てた。ウインクがひとつ。
「これが、ソキちゃんに贈られるパーティーの正装よ」
「……これが?」
「そう、これが! ……ふふ、ね、ソキちゃん。着てみよう? それで、色々調整させてね。ソキちゃんに、もっとぴったり合うように」
その最終調整の為の二日間なのよ、と笑うルルクに、ソキは大きく息を吸い込んだ。一番小さな、靴の入った箱を手に取り、歩き出す。そして、部屋の扉を開けた。
よく磨き上げた真珠の、なめらかな目に優しい淡い純白。光の加減で虹色にすらゆらめく白の布地は、砂漠の国の、まさしく最高級のものだった。形としては奇抜さのない、胸から上、肩を出す形のスタンダードなドレスだ。
だからこそその作りの精巧さと、恐ろしいまでの上質さが際立っている。腰から足元にかけて広がるスカートは、ふわりとしたごく軽い布地で作られていた。
どう歩いても決して脚に絡みつかない、徹底的な設計のもとで縫いあげられたであろうそのスカートの裾には、胸元を覆う布地と共通の、白と金で編まれたレースの花模様が飾られている。
ほんの僅かな力がかかっただけでもふつりと切れてしまいそうな細い糸で編まれたレースが、裾と胸元におしみなく使われていた。
さらに、裾部分にはごくちいさくカットされたトルマリンが直に縫い付けられており、かすかな動きに麗しく、光を乱反射した。ほっそりとした腰をぐるりと巻く、スカートと同じ布地を使った飾りが、腰の後ろでふわりと結ばれ、足元まで垂れ下がる。
その布の先端にも、トルマリンが輝いていた。布をちょっと摘んで落とす、意味のない動きをする指先は白い手袋に覆われている。
手袋に覆われた指先が人目に触れることはないが、砂漠の国からの徹底的な指定で指先は磨きあげられ、透明な光沢を乗せられ爪化粧までされていた。
胸元から上を隠す布はなく、肩や首はなめらかな肌を露出させていた。首元と耳を飾る装飾具はなく、代わりのように透明な色で絵が書かれていた。それはごく近く、肌に口付ける程に顔を近づけて注視しなければ分からないものだろう。
両耳には花模様に似た祝福が描かれ、首にも植物の蔦と咲く花に紛れさせ、祈りの言葉が肌に直に描かれていた。一時間程前、わざわざ特殊な術式で保護された上で出向いた、砂漠の国の王宮絵師の手によるものである。
耳元と首のみならず、絵師の女性はソキの屋敷から言付かったと告げて、胸元にも絵を残して行った。それはドレスに隠され、殆ど見えない位置に描かれる。心臓の、ちょうど上あたり。
透明な色ではなく、赤褐色で描かれたのは大輪の花。血の色に咲くようにも見えるであろうその花の意味を、ソキは間違わず、知っていた。手袋に覆われたてのひらで、見えぬそれに、触れる。
心臓の上に抱くのは、傍付きのいろだ。見えない位置に隠す色。肌の一番近くに、触れさせる祈り。それを『花嫁』は生涯の秘密として抱えて嫁ぐ。ソキも、ロゼアにそれを告げる気はない。
ひと呼吸で気持ちを落ち着かせて、ソキは伏せていた視線をようやく持ち上げ、室内を見回した。けれどもその瞳が直に、視線を重ねることはない。露出した肌を覆いかくすよう、半透明のヴェールが下ろされていた。
髪は複雑な形に編まれ、左側に挿しこまれたティアラで留められている。アクアマリンとトルマリンがふんだんに使われたそのティアラに目を留め、世話役の少女が、ほぅ、と息を吐きだした。
「すごく……きれい……」
もう、それ以外の言葉が出ない様子だった。室内にいた少女らが、声もなく、拳を握って何度も何度も頷く。そのうちの一人、砂漠の出身だとソキに告げた年上の少女は、口に震える手を押し当て涙ぐんでいた。
声なく、言葉なく、少女の眼差しがソキへ告げる。『砂漠の花嫁』。ソキは、あわく、あわく、微笑んだ。喜びよりなにより、誇らしい気持ちでいっぱいになる。
きれいだと言われることも、涙ぐまれることでさえ、ただただ誇らしくて仕方がなかった。椅子の上で背を正し、胸を張って告げる。
「ロゼアちゃんの……だって、ソキは、ロゼアちゃんの育ててくれた『花嫁』です」
この瞬間の為に、育てられた。『花嫁』。嫁いで行くその瞬間に、もっともうつくしくあるように。傍付きの忠誠と献身はひたすらにその瞬間、花開く為だけに捧げられる。
うれしい、とヴェールの影に触れる瞳を輝かせて、ソキはうっとり、幸せそうに微笑む。
「ロゼアちゃんの……ロゼアちゃんが、世界でいちばんきれいな『花嫁』に、ソキをしてくれたです。きれいなのは、ロゼアちゃんが頑張ってくれたからなんですよ。ロゼアちゃんねえ、すごいんです」
ああ、でも、とひとすじの不安を乗せて、溜息がこぼれる。
「……ロゼアちゃん、思ってくれるかな……。ソキを、ちゃんと、自慢に……ロゼアちゃんが、思うとおりに……育てたかった『花嫁』に、なれてるって、思ってくれるです……?」
「ソキちゃんは……」
涙ぐんで言葉もない砂漠出身の少女を慰めていた女性が、ほんのりと頬を染め、憧れるように問いかけた。
「ロゼアくんの……花嫁さんになるために、育てられたの?」
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