言葉を鎖す、夜の別称 07

 どんな服を着ていたとしても、父親の、母親の出身国がどこであろうとも。産まれて、長く住み、根ざした土地が魔術師の出身国となる。ナリアンの出身国は、この花舞だ。どこの国の衣装をまとおうとも、それが変わることは決してない。

 うん、と微笑み、女王はロリエスの頬に指先を触れさせた。ほんのりと暖かい、女王の手。薄く透明な桜色に塗り飾られた爪先を見つめるロリエスに、女王は喉を震わせて笑った。

「ありがとう、ロリエス。私は構わないよ、本当に。……だが、そうとなると、ニーアにも砂漠風の正装を用意してやらなければいけないだろうね? 砂漠の彼に、頼んでおかないと……そうだ、頼むといえば」

 忘れてしまう所だったよ、と言いながら机の引き出しをあけ、女王が紙束を取り出した。黒い紐で綴られたそれは、十枚以上あるように見える。

 表紙にはうつくしい飾りがデザインされた紙がつかわれており、すっきりとした読みやすい文字で『さらに麗しく輝け俺の女神 -正直、ロリエスの肌に触れる生地が羨ましいがそれはそれ、これはこれ-』と書かれていた。

 署名はない。署名はないが、そんなものはなくても事足りた。完全に死んだ魚の濁った目をしながら、へいかこれはなんでしょうか、と問うロリエスに、女王はにこっ、と愛らしくも微笑んで。

「ロリエスが当日着る正装は、この中から選んでおくように。私も確認したけれど、今年の流行からスタンダードなものまで、ひと通り揃っていたよ。もちろん、君の好みはきちんと押さえてある。どれにするか決まったら教えておくれ、手配をしよう」

「……陛下、我がうつくしい女王陛下……! これは、これ……これを、どこの、誰から……?」

 そこにどんな理由があろうとも、王が差し出したものを受け取らない選択肢は、魔術師に存在していない。ふるふる手を震わせながら受け取ったロリエスに、質問の意味を完全に理解しきった笑顔で、花舞の女王は首を傾げてみせた。

「さあ、忘れてしまったよ。……ところでロリエス? 当日の、私の護衛の件だけれど」

「陛下……! 陛下、あれほど、なにとぞ、無断で学園に足を運ばないでくださいと……!」

「ロリエス? 君が袖を通すのに相応しい衣装を相談するのに、彼以上の適人はいないのだよ?」

 私は君を相応しく飾る衣装にひとつの妥協もしたくなかった。それだけのことだよ理解してくれるね、とそっと両手を取って囁かれ、ロリエスは己の意思意見感情その他諸々を全て星の彼方に捨て去って、もちろんです私の愛しき女王陛下と即答してみせた。

 ロリエスは花舞の国の王宮魔術師である。花舞、まじ花舞、と各国にあたたかく囁かれる、そのひとりである。例外ではない。女王は素直な返事をしてみせた魔術師にふふふふふ、と幸せそうに笑いかけ、それならば問題ないね、と目を和ませた。

「楽しみにしているよ、ロリエス。……さて、私の護衛はどうしたものかな。最後まで、誰が残っていたか教えてくれるかい?」

「白魔術師キアラと、空間魔術師タルサが」

「そう。……では、タルサを連れて行こう。キアラをひとり、連れて行くのは忍びない」

 どうせならばシンシアとジュノーと一緒に連れて行ってあげたいからね、と囁く女王に、それではそのように、とロリエスは一礼した。




 星降の王は、それはそれは張り切っていた。なんといってもメーシャの正装である。

 ねえ待って陛下さぁ自分の夜会服決める時よりもさぁ気合い入ってるっていうかはしゃいでる気がするんだけども気のせいかな気のせいであって欲しいよねあははうふふ気のせいである気がしない、と涙ぐんだ真顔で王宮の服飾担当たちの頭を抱え込ませた星降の王は、その日も、数点しあがってきたデザイン画を手に、うわぁああ格好いいちょうかっこういい、と恋する乙女のように目を輝かせている。

 しかしながら決めているのはメーシャの夜会服である。己のものではない。そして、メーシャの服を決める権利があるのは、ルノンである。星降の国王陛下、そのひとではない。

 従って星降の王は、天井付近でやや疲れたような苦笑いを浮かべて漂い、場が落ち着くまでを辛抱強く待っていたルノンに、きっらきらの笑顔で語りかけた。

「なあなあ、ルノンはどれにする? どれがいいと思うっ? 俺としてはさー、これとかこれとか! あと、こういうのとかっ? やっぱり男前押しで行くといいと思うんだよなメーシャの顔整ってるし体つきもしっかりしてんじゃん? でもまだ十六だから、こっちはちょっと服に着られちゃうかなって気もするんだけど、これなんかだと多少背伸びした感じはするかもしれないけど大人の男って感じですっごいいいんじゃないかと思う訳だよ! でさー、生地なんだけど、これとこれと、これなんか俺はオススメかなー。動きやすいし肌触りもいいし、灯された火の光を受けた時の光沢がきれいなんだー。俺の服とかにも使うんだけどさ、それでさあルノンはさあ」

 あの大変申し訳ないのですがどうにかなりませんでしょうか、と視線を向けられ、星降の王宮魔術師たちはこくりと頷いた。

 その間も、延々と星降の王は、釦の素材や生地の裁断の仕方に至るまでを徹底的にこだわってああしたいな、こうしたいな、という希望を口にし続けていた。

 部屋の端に控えて立つ衣装師が、うちの陛下は予算というものがあるのをご存知でいらっしゃらないのかしら、という笑みを浮かべているが、王宮魔術師たちは知っている。星降の陛下は、メーシャの服に関してこう言った。

 笑顔で。ものすごく楽しそうな笑顔で。

『大丈夫予算が足りなくなったら俺が出すから!』

 まずなにも大丈夫じゃねぇよ、というかなにもかもが大丈夫じゃねぇよ落ち着け我が君、という言葉をぐっと堪え、王の側近たる王宮魔術師は即座に主君の頭をぶん殴ったと言う。

 それを行った筆頭魔術師に、同僚たちからは惜しみない拍手が送られた。その年、学園へ入学した新入生の正装に対しては、各国できちんと予算が組まれている。

 裕福な家の出身であれば、そこへさらに援助を、という申し出があって増額する場合もあるが、極めて稀なことである。ましてや、一国の王がひとりの新入生に対して個人的なそれを申し出ることなど、前代未聞に過ぎた。

 星降の王が新入生かわいいな超かわいいな、とはしゃぐのは毎年のことである。恒例行事のひとつに数えてもいいくらいだ。彼の王は魔術師をこよなく愛している。星降出身の者であろうと、他国出身の者であろうと、その愛は変わることがない。

 その筈であるので、星降の魔術師たちは訝しみ、ルノンが口を挟めない勢いで語り倒す主君を胸倉を掴んで頬をひっぱたいて黙らせ反省させがてら、そのことを問うことにした。

 つまり、なんかメーシャだけひいきしているような気がするのですが、気のせいでしょうか、と。

 というか気のせいである気がしないので理由があるならばちゃんとお話しような、できるよな、と笑顔で胸倉を締めあげぎりぎりぎりと力を込めてくる己の愛すべき魔術師に、星降の王はなんで怒ってんだよなんでなんでと涙ぐんで手足をばたつかせながら、さらに後頭部から平手でひっぱたかれて涙ぐんだ顔つきで、しょんぼりと息を吸い込んだ。

「だってな?」

 うん、と三歳くらいを相手にしている眼差しと笑顔で先を促す魔術師たちに、星降の王はあどけなく告げた。

「俺の息子の晴れぶっ、なんで殴るんだよ!」

「なんでだと問われることがなんでだよ。なんでだよ……!」

 わたくしどもの記憶に間違いがなければいまこの国には王の妻と呼ばれるお方や恋人と呼ばれる方はおろか、そもそも跡継ぎというものが存在していない状況で間違いありませんよねっ、と確認してくる筆頭魔術師の男に、星降の王はこくん、と素直に頷いた。

 その、罪悪感と焦りが一切見られない仕草にうちの国跡継ぎ大丈夫かなそろそろヤバいと思うんだけど大丈夫かな、と近年城勤めの者の胃を痛ませる原因のひとつになっていることを思い出し、魔術師の男は告げる言葉も見つけられずにひくく呻いた。

 それにどうしたんだろう大丈夫かな、と純粋に心配する眼差しを向けつつ、星降の王はなんでって、と臣下から向けられた問いに真摯に悩み。しばらくして、俺が、と星降の王はあどけなく首を傾げ、言い切った。

「俺が、高貴だから」

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