祝福の子よ、泣くな 03


「魔力漏れ」

 額に手を押し当てて頭が痛そうに答え、寮長はぷるぷる震えているソキの顔を覗き込んだ。

「本来、自分の体の中で管理する筈の魔力が漏れて、具現化してんだよ。だいたい、本人の持つ属性の形を持って現れる……ソキ、これはなんだ?」

「ソキのちょうちょさんなんですよ。……風の」

 詳しく、と言わんばかり寮長の笑みが深くなったのが怖かったのだろう。ロゼアにぎゅっと抱きつきながら答えるソキに、だと思った、と寮長は深々と息を吐き出す。

「予知魔術師の、概念の具現化。漏れた魔力が、最も馴染みのある風の属性の形を保って現れてる。……お前はなんで、次から次へと……こう……!」

「悪いことです?」

「お前が意識的に行ってるなら制御訓練の一環として見守っててやるんだけどな?」

 どう見てもただ漏れてるだけだろうこれは、と呆れる寮長に、ロゼアはどうすればいいんですか、と問いかけた。幸い、ソキに体調不良の兆候は表れていないが、この状態がいつまでも続くとなると不安になってくる。

 本人よりも危機感のある表情で尋ねるロゼアに、寮長は担当教員に連絡する、と身を翻しながら言った。

「ただ、ウィッシュはこういった系統は不得意だ。……レディが起きてればよかったんだが」

「レディ?」

「愛称だ。星降の王宮魔術師の」

 こと魔力漏れと具現化の事象に対してならば恐らく唯一の、そして最優の専門家なんだが、と寮長は困ったように息を吐きだした。

「今回、ちょっと長くてな。まだ起きたと報告が来ていない」

「……お昼寝しているんです?」

「そんなところ。星降にも連絡は入れておいてやる……ソキ、安静にしてろよ?」

 他のヤツならともかく、お前はそのうちたぶん体調を崩す、と断言してから、寮長は小走りに食堂を出て行った。副寮長を呼ぶ声が響いてくるので、もしかすると、すこし深刻な事態なのかも知れなかった。ソキ本人に自覚は全くないのだが。

 警戒を解いてゆるく脱力するロゼアの腕の中で、ソキは己の内側にある魔力を探ってみた。特に荒れている感じはしない。ただ、凪いでいるとも言い難かった。なんとなく、やれ、と言われても魔術の発動をしたくない。そんな気持ちになる。

 ソキは右手の人差し指に通した指輪を見つめ、無意識にそれにくちびるを押し当てていた。大丈夫だ。これがあれば、ものすごく怖いことにはならない。すくなくとも、ソキが一人で己の魔力を扱おうとする分には。

 幸い、今日は授業のない日曜日であるし、翌日もソキの実技の予定は組まれていない。安静にしていような、と言ってくるロゼアにこくりと頷いて、ソキは己の髪を飾るようにとまる柘榴石の蝶を見た。

 蝶はゆらり、一度だけ翅を動かし。やがて、ぱきん、と壊れる音を立て、赤く降り積もる砂のように砕け、跡形もなく消えてしまった。




 閉ざされた部屋があった。扉の鍵は内側からしかかからず、外から開ける術のない密室。窓にも鍵がかけられ、見る者が見れば魔術的な封鎖がされていることも知れるだろう。

 光を完全に締め出す密な作りの布は窓を覆うように引かれていて、さながら部屋は夜のようだった。光のない夜。星の瞬きも、月の優しい一瞥も、この部屋には全く届かない。

 太陽の光も、風の囁きも。なにもかもが失われた、ひたすらに内側から閉ざされた部屋だった。部屋に置かれているのは寝台がひとつ。それ以外はなにもなかった。寝台の傍には、室内履きが置かれている。

 それだけが部屋に持ちこまれた全てだった。眠る者が目覚めた時に必要とする、火を灯す灯篭も置かれていない。眠りの為だけの部屋だった。

 寝台には、一人の女が眠っていた。よく磨かれた金貨を思わせる、うっとりするような艶やかな髪は寝乱れた様子もなく、白いシーツの上に散らばっている。年齢の分からない女だった。

 十代の半ばのように幼くも見えるし、二十をとうに超えているようにも感じられる。降ろされた瞼が開いたとて、恐らくその印象は変わらないことだろう。不思議な、歪な印象を帯びた女だった。

 規則正しい澄んだ呼吸が、女がただ生きていることを知らしめる全てだった。寝がえりすらせずに眠り続ける女があるばかりの部屋に、ふと変化が現れる。暖炉で木が爆ぜたのと同じ音がして、寝台の上、女の顔のすぐ傍に火の粉が現れる。

 銅に輝く高温の光点は、夜空を巡る星たちを見守る、北極星のきらめきを思わせた。

 黒く塗りつぶされた部屋に星が現れて行くように、火の粉は数を増やし続けた。それはやがて本物の火の揺らめきとなり、女の胸元で不死鳥の形を成した。不死鳥は恭しい仕草で羽根を折り畳み、女の目覚めを待ち焦がれる。

 火の熱は女の肌を焼くことなく、それはただ、触れて行く恋人の手のようにやさしくあった。女は枕に頬を擦りつけるように頭を動かし、ん、とちいさな呻き声をあげて瞼を持ち上げる。

 はぁ、とひと仕事終えたばかりのように疲弊した息が唇から零れ落ち、女は胸の上で静止する不死鳥を気に止める様子もなく、寝台に手をついてその身を起こした。目覚めたばかり、近距離で目にするには強すぎる火の光は、女の目を焼くことはない。

 その熱が肌を痛めないのと同様に。

 火と、それによって引き起こされる全ての事象が、女を害すことは決してなかった。光も、熱も、ただ暖かく寄り添うだけで、痛みを与えはしない。暗い部屋、唯一の灯りとなる不死鳥の形をした火に照らされて、女は目を細めてあくびをした。

「おはよう……」

 女は不死鳥に手を伸ばし、指先でその羽根を一撫でした。火による赤みを帯びた金の髪と、全く同じ色をした瞳はどこか納得の行かないように室内を眺め、首が傾げられる。

 素足を室内履きに突っ込んで早足に戸口へ向かい、女は慣れた仕草でその鍵をあけた。扉から顔だけを出して廊下を見る。そこに広がっていたのは早朝の空気だった。真夏の盛りを過ぎたらしき、なまぬるい朝の空気。

 新鮮な太陽の光にようやく眩しげに目を細め、女は部屋の扉、そこに付けられた暦表を凝視する。一日ごとに紙をちぎって行く形式の暦表に、大きく、月と日付けが書かれている。八月十九日。

 女は無言で己の指を折り、数え、ぎこちなく首を傾げて口元を引きつらせた。八月である。六月ではない。硬直する女の背から鳥がひょこりと顔を出し、羽根をぱたつかせた。

 女は現実を拒絶したがるように頭を振り、朝の空気を思い切り吸い込む。そして。

「……寝坊しちゃったああああぁあっ!」

 悲痛な叫びをあげ、眠りの為の部屋から飛び出した。星降の王宮魔術師。火の魔法使いが、四カ月ぶりに眠りから醒めたと知らせが駆け巡ったのは、それからすぐのことだった。



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